恩田陸「祝祭と予感」642冊目

蜜蜂と遠雷」を読んだのが3年前、映画を見たのが2年前なので、だいぶ時間が経っちゃいました。発売後すぐ図書館に予約を入れて、やっと昨日届いたというわけです。私のあとさらに136人がお待ちかねなので、一晩で読んでしまいました。今日さっそく返そうと思います。

蜜蜂と遠雷」読んでだいぶたつので、4人のコンテスタント、彼らの先生たち以外の登場人物をちゃんと思い出せない、、、。この本はあの素晴らしい音楽小説の続編ではなく後日譚と前日譚なのですが、まるで憧れる先生の作品の二次創作をするコミケ参加者が書いたような愛と遊び心の短編集です。それくらい本編のコンテスタントたちは魅力的でした。

でもやっぱり、読みたい!というときに読むべき本もあるよな…とちょっと反省。お金ないけど、古書店ですぐ買うとか、新刊買ってすぐ売る・寄付する・とかも考えてみよう。(なるべく買うべきなのはわかってますが)

祝祭と予感 (幻冬舎単行本)

祝祭と予感 (幻冬舎単行本)

 

 

ラビンドラナート・タゴール「ギタンジャリ」641冊目

 「あるヨギの自伝」に出てきた、宗教家・詩人でノーベル文学賞の受賞者、タゴールの作品。詩人で宗教家ってどういうことだろうと思ったら、この本はすべて彼の神への思いをつづった愛の詩集でした。

人間ってたいがい、救われたい、愛されたい、と強く思う一方で、自分自身に救われる価値があるということや、神の存在が信じきれなくて、まったく素の状態で泣きながら神を求めるってことができない、と思う。できない自分にどこまで祈りの気持ちが持てるか、そこまで純粋な気持ちになれるか、という葛藤の本のようにも感じます。

だから読んでて苦しいし、なんだか心配にもなります。でも、待ち焦がれる詩を読めば読むほど、「誰の中にも神様は最初からいるのに」っていう気持ちも起こってくる。

不思議なのは、男性であるタゴールが乙女とか花嫁に自分をなぞらえたり、創造主を母とみたりするところ。なんとなく感覚的には、時折そういう感じに書きたくなることのほうが自然な気がするのが、また不思議。

英語原文(タゴールはインド人だけど英訳も自分でしています)も掲載されてるんだけど、thouとかthyとか、普段使わないかしこまった言葉が多くて私には読めなかった…。

(1994年 9月20日発行 900円)

ギタンジャリ (レグルス文庫)

ギタンジャリ (レグルス文庫)

 

 

崔実「pray human」640冊目

前に「ジニのパズル」を読んでとてつもなく切ない気持ちになったなぁ。これは彼女の次の作品であり最新作。読んでてすごく辛くなるんじゃないかなと思いながら読み始めて、最初のほうはけっこうチクチクしてたんだけど、まず、すごく面白かったと言いたい。率直で鋭い感性で、表現力も高くて文章がうまい。この本がどの程度自伝的なのかわからないけど、たぶんこの人には、自分が体験していることの面白さや美しさを感じ取る力があるので、今後も自分の生活の中からいろんなものを拾い上げて見せてくれるんだろうなと思います。

あけすけな会話がいいですよね。アルゼンチンの映画でも見てるような。外国っぽいという意味じゃなくて、なかなかここまで思ったことそのまま口に出す日本の小説を読む機会は多くない、という意味。「わたし」も安城さんも由香も「君」も、表面に見せる緊張感から心のひだの内側まで、読むほうに伝わってきます。

決して暗い小説ではなかったけど、最後の最後、終わり方を迷ったんじゃないかな?ちょっと、いかにもな感じで明るくまとめすぎてないかな。私は、ぼんやりと終わってくれても良かったんだけどな。

この人ほんと才能あると思うので、できることなら(コロナが明けたら)旅とかしてまったく新しい人たちと出会ったりして、さらに新しい世界を体験して、見せてくれたらいいなー、などと思ってしまいました。

(2020年9月28日発行 1500円) 

pray human

pray human

  • 作者:崔 実
  • 発売日: 2020/09/30
  • メディア: 単行本
 

 

パラマハンサ・ヨガナンダ「あるヨギの自叙伝」639冊目

ある人からこれの原著(英語版)をいただいたんだけど、インド哲学の用語が難しくて、和訳を借りてきてしまいました。

この本はヨガナンダさんの生まれ育ち、ヨギとしての修行の記録なんだけど、生まれてからずっと、わりと頻繁に、奇跡に出会います。コレラで死にかけていた自分がよみがえったり、手からバラの香りがするようになったり、身体が浮かんでいる人がいたり。あらゆることを予言したり人の心を読めるのなんてまるで当たり前みたいです。

私、こういう奇跡ってある程度起こるもんなんじゃないかと思ってるんだけど、それにしてもこの頻度の高さは何でしょう。もともとこの時代のカルカッタ近郊では異次元への扉が開いてたんだろうか…特殊な高僧が一人でもそこにいると、連鎖的に奇跡が起こるんだろうか。彼を研究しようとする欧米の科学者が彼の生涯を描いたとしたら、不思議な超能力者の能力を科学的に解明しようとする本になったんじゃないかな。

この中に女性の異能力者が数人取り上げられています。テレーゼ・ノイマンは、毎週決まった日にイエス・キリストが磔になった際の手足の釘の跡が現れ、いばらの冠に傷つけられた頭と目から出血します。かつ彼女は、祭壇に備えられた小さな餅以外の何も口にしない「不食者」でした。彼女は「修行」らしい修行は何もせず、ある日この状態になり、人々のケガや病気を癒してあげる能力も持つようになったとのこと。もう一人、大食いをたしなめられたため「何も食べないようになりたい」と神に強く祈ってその能力を得たギリバラという女性もいます。彼女は他の人に対して何かすることはなく、食べずに50年以上生きていられた以外に何か行ったという訳ではないようです。苦行を何十年も続けて透視能力を身に着ける聖者たちと比べて、彼女たちはある日突然啓示のように能力を持つようになってるのが興味深いです。

比較対象になるかどうかわからないけど、語学についていうと、英語だけでも大変なのに他の言語まで学ぶなんて無理!と思ってシンガポールに行くと「4か国語くらいみんな話せるよ」と言われて、そこで初めて「やればできるかも」と思って勉強を始めたら3か国語くらいしゃべれるようになった…って話もあるしな。これだけ聖人(あるいは超能力者)がわんさかいるところで育つと、異能を達成できるのかな。自己催眠で促進されるようなものなら、多分人間誰にでも知られていない能力があるかもしれない?

今既に解明されてること以外に、まだ知られていない法則を探り続けるのが科学だと思うし、私たちが存在してたり世界が(たくさんトラブルがあるけど)回っていること自体がプラスのなにか大きなエネルギー(神の愛とよぶ人もいる)だと思うので、まだ知らない不思議だってあるのかも…。

(2014年8月20日第1版30刷発行 4200円) 

あるヨギの自叙伝

あるヨギの自叙伝

 

 

萩尾望都「ポーの一族 春の夢/ユニコーン/秘密の花園1」636~638冊目

2016年に執筆が再開し、現在も掲載中らしい。すでに出版されている単行本は再開後のシリーズ1が「春の夢」、2が「ユニコーン」そして3「秘密の花園」はまだ未完。いずれもエドガーとアランの物語です。ブランクを感じさせない、みずみずしい(やけにろうせいした)14歳たちの姿がそこにいます。

エドガーって甘さのかけらもないんだよな。これを演じられる10代の俳優っているかな。少年の頃のジャン=ピエール・レオ「大人は判ってくれない」アントワーヌ・ドワネル)とか、「SWEET SIXTEEN」に出てたマーティン・コムストンしか思いつかないけど二人とも黒髪茶色の目だし。青すぎる目というとキリアン・マーフィーを思い出すな、金髪の女装も美しかったらしいので、もう少し若ければできたかも‥‥

…なんてことを言い出すのはもうマニアみたいですねw

現在のシリーズでは、叶わなかった夢や愛について探求してるのかな。「flowers」買おうかな。連載を楽しみにまんが雑誌を買うなんて、半世紀ぶりか!?(そんなに生きてないか) 

ポーの一族 ユニコーン (1) (フラワーコミックススペシャル)
 

 

 

萩尾望都「ポーの一族1~3」633~635冊目

「100分de萩尾望都」を見て図書館に予約を入れたんだけど、数十人の列ができていたのですぐに借りられるTSUTAYAで借りました。1冊110円。

大長編ではなく、数回の連載と何度も繰り返してるんですね。エドガーとメリーベルとポーツネル夫妻の”家族”、アランとの出会いとメリーベルの別れ…という骨子が一番最初のシリーズですべて語られています。それ以降のエピソードはいずれも、前日譚や後日譚。「ポーの一族」を最初のシリーズ「ポーの一族」だけとみると比較的短い作品だということもできて、舞台化するときにはその後に書かれた他のエピソードをどれくらい加えるかという判断になるのでしょう。

トーマの心臓」も強烈な神と生死と愛の物語だったけど、これもまた愛と生の意味を問う深淵な物語です。後になるにつれ、エドガーの冷酷さが際立つエピソードが増えていきますが、こういう本格的な”悪”が深く描ける萩尾望都を育てたのが若い頃に読んだ「恐るべき子供たち」とかのおかげだとしたら、ジャン・コクトーに感謝しなければです。

これ、子どもが読んだら驚き、思春期なら啓示を受け、大人が読んだら何かを思い出し、老人が読んだら答を得たような気持ちになるんじゃないかな。 

続編も読まなければ。 

 (1998年8月発行、2013年6月第33刷 3冊で1833円)

 

 

エリック・A・ポズナー/E・グレン・ワイル「ラディカル・マーケット 脱・私有財産の世紀」632冊目

たしかNHKの「欲望の資本主義」に著者が出て、すぐさま予約を入れたんだと思う。社会に関する本の最近の流行はまるで社会主義みたいな「シェア」かと思っていたら、この本は「脱・私有財産」を掲げつつ、ラディカル・マーケットでは何でもオークションで価格が決められるらしい。それってけっこうすでに現実になっているけど、この本ではさらにどういう未来像を見せてくれるんだろう?

難しいかなと思ったら、すごーく平易で読みやすい本でした。するする読めます。

ベースになるのはノーベル経済学賞の受賞者、ウィリアム・S・ヴィックリ―のオークション理論とのこと。そして二人は、スタグフレーション(インフレなのに不況が続くこと)になぞらえて、格差は広がったが活力はかえって低下している状態のことを「スタグネクオリティ」と名付ける。(これ言いづらすぎて定着しない、に5000点)

第1章では共有財産制に移行し、例えばあるマンションの部屋を持ち続けたい人も価格を提示し、買いたい人が来たら即座に売らなければならない。持ち続けるには自分でつけた価格に見合った税金を払い続ける。という仕組みをCOSTと名付ける。…それ絶対うまくいかない。元気でバリバリ働ける人しか賛同しないと思う。富裕層に近い人。だって私はストレスまみれでやっと買ったちっちゃい部屋、猫が飼える貴重な部屋を、誰かが買いに来ても売る気はないし、もう体のあちこちが悪くてバリバリ働くこともできない。たいがいの人が若い頃にがんばって稼いで、年を取ったら休みながら最低限の生活ができるように蓄えるんだもん。住み慣れた家を引っ越すお金・労力・人間関係や便宜上のコストって「ネットワークの外部性」と同じで、簡単にはいそうですかと移動できるものじゃない。

第2章では、興味のあるものを選んで投票できる仕組みを考えてそれをQVと名付ける。興味のないことに投票させられるより、自分の利害が如実に反映されるトピックを選べるようにするというのは意味がありそうだ。障壁があるとすれば、投票作業が複雑で難しくなることかな。そうすると投票することのインセンティブが下がる。投票しない人、自分自身の利害を把握できない人は選挙に参加せず、外れていくのかな。

第3章では、個人が移民を受け入れる仕組みを提唱。なんで「豊かな国」から「貧しい国」への移住のことは何も書いてないんだろう?

第4章では、機関投資家が同じ業界の1位、2位など寡占企業の株を多数買い占めていて、資本がその業界を独占する状態が起こっていることを懸念し、それを禁止する法律が必要だと説く。企業は株主の顔色なんて、気にしているふりをしてるだけで、どんなCXOもライバルに勝ち、少しでも高い価格で消費者に商品を買ってもらうことに真剣に取り組んでるので、そんな懸念は無用、と思いました。そんな資本独占で価格競争がなくなるような動きのない業界は、低価格競争に陥ってどこかがつぶれるより、価格の波がなく落ち着いていた方がよい市場だと思うんだけどな。なんか実感のないことばっかり言うなぁこの人たち。

第5章では、FacebookGoogleを消費者たちがあまりに使っていて、2大巨頭が持つ「ビッグデータ」が高値で売れるのに、彼らはユーザーというデータ供給者に一円も払ってないので、ユーザーは組合を作ってお金を払わせるべきだという。ボイコットとかしないと思う、プラットフォームだから。ユーザーは1つのコミュニティに属してるだけじゃないから。経済学の本じゃなくてSFにしたら意外と話題になって、警鐘を鳴らすことにもなるんじゃないかと思うんだけど…。

結論・エピローグではここまでの主張をまとめて、すべてを実現するのに必要な情報集積・分析・リコメンド能力を、コンピューターシステムが2050年までに達成するだろうと述べている。結局そういうことか、中央計画制の社会主義が崩壊したのは、人々のニーズや長所を中央政府が正しく把握、分析、調整する力が及ばなかったからであり、現在の技術をもってすればそれは不可能ではないというのが、著者たちの考えなんだな。

人間の悪意や執着など、動物であるかぎり何千年たってもなくならない部分でコントロールができなくなりそうな部分がたくさんあるけど、純粋な概念書だと思えば面白いと思います。ボリューム大きいけど、読み終わったとき自分の考えもはっきりしてくると思うので、いいチャレンジになるんじゃないかな。

(2020年1月2日発行 3200円)