トーマス・セドラチェク&デヴィッド・グレーバー「改革か革命か」696冊目

 「ブルシット・ジョブ」が面白かったので、デヴィッド・グレーバー関連の本をさかのぼってみる。この本はチェコの経済学者トーマス・セドラチェクとの対話。ものすごく簡単にまとめると、二人とも今の経済社会はおかしいと思っていて、セドラチェクはそれを「改革」すべしと説きグレーバーは「革命を起こしてひっくり返すべき」と説く。

革命なんて、勢いがあってなんかうっとりしてしまいますが(←ゲバラを思い出している)、この人亡くなってしまったし、旗振りがいなくなった後に革命が成功するなんてイメージはもちづらいので、たぶんぽしゃってしまったんじゃないかな。といっても彼がやりたかったのはベーシックインカムという平和解決だけど。

この本は、意味がさっぱりわからない文章がときどきあって、翻訳の問題なのか、対話集であって書いたものじゃないので推敲されてないのか。それを差し引いても2時間くらいで読めました。引き続きグレーバー追いかけます。

 

カズオ・イシグロ「クララとお日さま」695冊目

カズオ・イシグロ買って読んだの初めてかも。映画があれば先に見ちゃうし…。今までに本で読んだのは「遠い山なみの光」と「忘れられた巨人」だけ。映画で「わたしを離さないで」「日の名残り」「上海の伯爵夫人」。じつに丁寧に作られたすばらしい映画で、言葉にならない思いで胸がいっぱいになります。情緒って普遍的なんだなと、彼がノーベル文学賞をとった事実から思ってしまう。

この作品の主役、一人称で語る「クララ」はArtificial Friend、AFと呼ばれる精密なアンドロイドで、今回は彼女の情緒が中心になるわけです。クララが…いいんですよ。機械っぽく、複雑すぎる光景だと認識が混乱したり、心遣いをしつつもまっすぐすぎて相手が気を悪くしてしまったり。純粋すぎて、ジョジー(彼女を買い与えられた、身体が弱い女の子)の幸せだけをひたすら望み、自分が打ち捨てられることに対するうらみつらみという感情が一毛もないことも、アンドロイドだと思えば受け入れられるのかもしれません。

そういう設定において、登場人物たちが(クララやクララ以外のアンドロイドも含めて)どんな風に生きてなにをどう感じて、考えて生きていくか、ということを、もう徹底して把握して描く。小説を書く人は神の視点を持つというけど、この神は私たちの痛みを全部わかってくれてる、というような不思議な信頼感があります。

でも、読んでる私は人間なので切ないです。切ないけど…でも、誰かが自分の努力で幸せになってくれて、自分が役目を終えたというよろこびもあって、清々しい気持ちもある。なんとなく、一歩下がって後ろを行くようなこの思いやりが「日本的」あるいは「英国的」と感じたりもするけど、エッセンシャルワーカーと呼ばれる仕事をしている人たち、医療や介護や教育に真摯に携わる人たちはそんな気持ちになることがきっとあるんじゃないだろうか。プロでなくても、そうだ、これは親が子どもを見送る気持ちにも似てるんじゃないかな。世界中の普遍的な思いやりの気持ち。

それだけじゃない。人間たちが誰も持っていないのにアンドロイドのクララだけにある強い”信仰心”(お日さま信仰?)。彼女だけが”ご利益”を信じて奇跡を起こそうとする。この設定すごいね。人間が信仰を失ってしまったことにもしずかに触れてるんだろうか。深く考えさせられて、その後の一生、心に残り続けるのが文学のすごさだから、もう一つ名作が生まれたってことなんだろうな。

 

今回は待ちきれずに買いました。

 

しいたけ.「しいたけ.の小さな開運BOOK」694冊目

発売と同時に読んでみました。

どうしても、自分が何色かわからなかった…。

オタクで対人関係が苦手なエメラルドか。仕事のときだけはきびしいネイビーか。マイペースでメモ取りな茶色か。運命に翻弄されるけどへこたれない金色か。

基本は茶色かエメラルドで、仕事のときだけはネイビー、運命は金色だけどけっこう苦労して対応してる。と思ってる。

でもがんばる。開運のきっかけになる出会いは、人事を尽くして天命を待つことにするわ~

 

たつなみ「すこしずるいパズル」693冊目

これ、Twitterで流れてきたのを見て、すごく面白かったので買ってしまいました。むずかしくてヒントなしではほとんど解けないのですが、ヒネリが利いていて、なんか可愛いので挑戦するのが楽しい。

夕方に届いて、夜遅くまで解き続けてしまいました!

Twitterもフォローしたので、これからの新作も楽しみにしています。 

 

デヴィッド・グレーバー「ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論」692冊目

ものごころついたときから、(本当に偉大な仕事は、土から食物を生成する農民なんじゃないか?つまり、それ以外の製造業もサービス業も、それほど重要じゃなかったり、なくてもいいものなんじゃないか?)という思いに取りつかれて、目の前の勉強や仕事に今一つ本心から打ち込めなかった私のような人間にとって、この本は自分に対する答を突き付けられるような偉大な研究(思索?)です。

そんなふうに感じることって、多分あらゆる人にたまには起こることだと思います。現実を見て、(そうは言っても妻や夫や子どもたちや親たちの生活が自分の肩にかかっている)という風に割り切る人も多いでしょう。不運なことに(あるいは自分の力量不足か)家族を持てなかった私は、割り切る必要に迫られなかったこともあって、ふらふらとフルタイムの仕事(かなりブルシット度の高い)を定年よりだいぶ前に放り出してしまったんだけど、それについて「仕事がツライ」とか「人間関係が、、、」といった陰気な理由以外の、本質的な理由をうまく説明できずいます。

逆に、友人や周囲の人たちに「あーわかるわ、私も辞めたい!」と共感されることが多くてすごく驚いたりもしました。そのあたりの、自分だけでなく働くどんな人にもある葛藤も、この本で少し解けてきた気がします。

なるほど感のまま読み進み、圧巻?なのは最終章(タイトル長い)「ブルシットジョブの政治的影響とはどのようなものか。そしてこの状況に対してなにをなしうるのか?」。

p321にこんな文章があります。

”道徳羨望(モラル・エンヴィー)は、十分に理論化されていない現象である。それについて書かれた本があるかどうかも、わたしは知らない。(中略)ここで「道徳羨望」という言葉によってわたしが占めそうとしているのは、そのひとが裕福であったり、恵まれていたり、幸運の持ち主であるがゆえにではなく、そのひとのふるまいが羨望する者自身の道徳的規準よりも高い基準を有しているとみなされるがゆえに、直接的に他者にむけられる羨望や反感の感覚である。その根本には「どうしてあのひとは、(自分の方がわたしよりも優れているとわたしにわかるようなやり方でふるまうことで)わたしよりも優れているということを主張しようとするのか」という心情があるようにおもえる。”

はっとしました。これなんですよ。この意識が、うらやみ、ねたみ、そねみ、いやがらせ、あるいはいじめを引き起こしている。引用が多くなって恐縮ですが、あまりにインパクトがあったので次のページからもう少し。

”よき価値を共有する善人(do-gooders)のコミュニティ内部では、共有された諸価値をあまりに模範的な仕方において示すひとは、脅威と感じられるのである。あからさまに善いふるまい(近年の流行語のいう「善行信号(virtue signaling)」である)は、しばしば道徳的な挑戦と捉えられる。当該の人物が謙虚であったり控えめであったりしてもなんの関係もない”

これを目の当たりにしすぎると、対人恐怖症がくるね。人間って複雑で本当に興味深いけど、自分に向かってこられたら生きていける気がしない。差別やいじめや、攻撃に向かう人間の心理、誰もが一番見たくなかった自分の心の中のドロドロを、とうとう表に引っ張り出してしまったね!という気持ちです。著者あるいは他の人がこのテーマをもっと掘り下げてくれることを望み、自分でもちょっと探してみようかなぁと思います。

ちなみにこの本は最終章で「UBI=Universal BasicIncome(普遍的ベーシックインカム)」に触れていて、それがもしかしたら解決につながるかもしれないとして締めています。「ブルシットジョブ」のブルシット性に着目する人は、楽してばんばん儲けることに意味を見出さないわけなので、共産主義が失敗しなかったらこうなっただろうという本来の「みんな平等」主義に向かうのも納得できます。でも逆に、楽してばんばん儲けることの快感のほうを重視する人は、その生活を維持しつつ、モラル的にも充実感を持てるようになるにはどうすればいいかと考えて、稼いだ分を寄付したり財団を作ったりするんだろうな。それも一つの解決。寄付する気持ちって偉大だし、される側に実益がある。どういう方向性でも、いい気持ちがまん延してほしい。憎しみが世界を覆うような状況はいやだよね…。

この本は、今年度アカデミー作品賞をとった映画「ノマドランド」とその原作「ノマド」と、違う視点で同じ人たちを見つめている気がするので、「ノマド」の方も早く読みたいなぁ。

字だらけで400ページ近くあって、なかなかの重量感だけど、無駄に引き延ばしている感じではありません。噛みしめ、噛みしめ読んだので、じっくり2週間かかってしまったけど、これは読んでよかった。

 

吉永小百合(取材・構成 立花珠樹)「私が愛した映画たち」691冊目

日本の女優の大本命、吉永小百合がとうとう自分の作品を振り返る本を出してくれました。立花先生、大活躍。

吉永小百合って人は若い頃のチャキチャキした役柄のとおりの、竹を割ったような性格の行動派だな、という印象ですね。いくつになっても若々しく明るい。もし女優にならなくても、きっとその場所で太陽みたいにまわりを明るくしてきたんだろうなー。

個別の作品については、まだ見ていないものも多いのですが、「北のカナリアたち」「北の桜守」「外科室」「華の乱」「愛と死の記録」とか、見てみたくなりました。

私が愛した映画たち (集英社新書)

私が愛した映画たち (集英社新書)

 

 

宇佐美りん「推し、燃ゆ」690冊目

直近の芥川賞受賞作品。図書館で500人待ちの末やっと手元に届きました。

まず、この本は抜群に面白かった。アイドルって言葉は今はもう使われないのね。「推し」のことを名前で呼ぶことも少なくて、ファン本人も「推し」と呼び合っている。自分の「推し」にヤケに入れ込んでる女子高生の、ブログへの書き込みやコメントも含めて、「推し」を中心とした生活が鮮明に描かれます。

文章はとても「キレイ」だと感じました。かっこよくいうと流麗。技巧があると感じさせない。技巧など駆使していないのかもしれない。かといって”感性のままに流れる”みたいなふわっとした感じもない、地に足が着いていて観察眼は落ち着いている。で、結果としてすごく面白い。すごいなぁ、この人。どうすごいのか、よく言い表せないけどすごい。

あくまでも主人公の女の子(「あたし」)がその周囲を見回して喋っているだけなんだけど、だんだん彼女の置かれた状況、彼女自身のことがうすうすわかってくる。意外と、本当に、苦しい。手詰まりになっていく。どうしようもないかも、と思ったところで「推し」に転機が起こる。彼女にもそれが転機となるのかもしれない、ならないのかもしれない。結論や結末を語ることはしないまま、作者は行ってしまうんだけど、そこまでの面白さでなんだかすごい満足感を得る。そんな感じ。

この人はきっと、これからもすごく面白い本を書き続けるんじゃないかな。楽しみに読んでいきたいと思います。

推し、燃ゆ

推し、燃ゆ