瀬戸内寂聴「いのち」744冊目

寂聴さんの作品は「かの子繚乱」、「ひとりでも生きられる」くらいは私も読んだな。ネット小説「あしたの虹」も読んだわ。小林幸子ばりの、若い子のメディアにも臆さない八面六臂の活躍が好きでした。もっともっと生き続ける方だと思っていたけど、終わりは来るんですね。

「いのち」は最後の小説と聞いて読んでみた。でもこれ小説?秘書の名前が偽名なだけで、大庭みな子や河野多恵子など、登場する作家たちは実名だし、一人称の語り部は寂聴さん自身だと読む人全員が思っている。エッセイでしょう?

この人はとことん、人間に強い興味を持ち続けた人だ。とことん観察し続け、好きだとか嫌いだとかも書いてしまう、話してしまうけど、嫌いな人にも博愛的だった。私なんかは、「人には知られたくないこともあるでしょう、放っておいてほしいこともあるでしょう」と思うので、根掘り葉掘り問い詰めてバラしてしまうのに引いてしまう部分もあります。さすがに90歳を超えてからの作品はからっとしてきたけど、男女の性愛にそこまでこだわるか?と感じることも多かった。

もし身近にいて、私を親しく思って付き合ってくれたとしたら、みんなに言ってほしいことだけ彼女に話す、というような計算をしてしまったかもしれない、私の場合。彼女自身は計算のない、あけっぴろげで温かい人なのに。

男女の性愛か…若い頃は興味津々だったかも。トラブルもつきものだから、今は静かに穏やかに、何もないところで暮らすのが一番幸せ、となってしまった。

人間に対する興味の持ち方が、私とは違う。私は人がどうありたいか、何が幸せかということを知って、実現する手伝いをしたいと思うけど、その人の日常的なことはまあまあうまくいっていればいいくらいに思ってる。細かい話を聞いても忘れていて、相手が気分を害することがある。ワイドショーには興味がない。でも、そんな仙人みたいな友達が欲しいわけじゃないんだよね、みんな。…とか、この人の本を読むたびに考えてしまうんだよな…。

 

森達也「チャンキ」743冊目

この人の監督したドキュメンタリーはたくさん見てるしノンフィクションの本も読んでるけど、小説を書いてるとは知らなかった。厚い!

冒険RPGのような小説で、つまり村上春樹作品のようでもある。その章に出てくるフレーズを章タイトルにしているところなんかも。多分そこを指摘すると、そういう体裁をとって自分の言いたいことを書くのが意図だと言われそうな気がする。

すごく文章がうまくてストーリーテリングもうまいと思うけど、なんともまどろっこしいのは、最後の落としどころが見えないまま、日常がずーっとずーっと続いていくからかな。短気を起こしそうな気持ちを抑えて、禅の気持ちで(ほんとか)読み進めていくと、だんだん、登場人物に随行しているような不安な気持ちで物語に入り込んでいきます。

読み終わってみて。著者にはこの国がこんな風に見えているのかな。私も、国の統治が及ばなさそうな山奥とか、どこでもいいから外国に逃げ出そう、と思うことがあるから共感もするけど、どこの国の人間も、おおもとはそれほど違わないんじゃないかと思うので、どこに逃げてもしょせん同じじゃないかな。この本の中で日本に蔓延している”タナトス”は、遅かれ早かれ地表全体に広がる。日本だけが特殊だという設定は、ちょっと偏っていると思う。

タナトス”に取りつかれたときのために、まだ意識が残っているうちに自己注射できる強烈な鎮静剤が入ったベルトを常時手首に巻き付けておく。とか、タナトスを偶然生き延びた人の血液から血清を作って、罹患しやすい若い女性から予防注射を打つ、とか、対抗手段を講じる人々の存在も描いてくれたら、もう少し受け入れやすかったかも、と思いました。

 

安部公房「デンドロカカリヤ」742冊目

この本を読むことにしたきっかけは、日本語の「音声学」の授業で”「デンドロカカリヤ」はどんなアクセントで読むか?”という話があったこと。日本語の高低アクセントには法則性があるので、初めて聞く意味の分からない言葉でも、その法則に従って読むことができる。具体的には、この語はド・レ・ミで表すと「ドミミミミミレド」かな。そこを頂点にしてあとは下がる、という「アクセントの核」は2つ目の「カ」にある。ところで、その「デンドロカカリヤ」という言葉は存在するのか?と気になって、ググってこの本にたどりついた次第。

ちなみに実在する植物だそうです。和名は「ワダンノキ」。しかしこの小説のおかげで学名が意外と知られているらしい。小説では、コモン君という名前の平凡な男が、彼女とのみちゆきに失敗してだんだん植物になってしまったらしい。そういえば若い頃、安部公房の「砂の女」、「壁」、「箱男」を読んだ。

この短編集も、今読むと戦後の尖った日本映画みたいな不条理感があるシュールレアリスムで、わりと小難しい言葉、生真面目な表現が並んでいる。最近ずっと熟語や理論の説明が多い中国SFを読んでるけど、あっちには空想のひろがりがある一方安部公房には密室感しかないので、すこし疲れる。安部公房を読む年齢の旬があるとすれば、私は20歳前後だったような気がするのでした。

 

李琴峰「星月夜」741冊目

これで出版されている作品は全部読んだかな。台湾から日本に来て日本語を使って仕事をしている女性の、さまざまな恋愛。今回彼女は新疆から来た、ウイグル族のボーイッシュでキュートな女の子と恋に落ちます。中国のなかでイスラム教徒であるウイグル族は政治的に語られることが多い存在だし台湾もまた中国語文化圏のなかで独自の立場を保っている。彼女たちは、また別の女性たちに憧れたり恋愛したり、興味のない男性に言い寄られたり、国に残してきた家族との確執があったりしますが、おおむね日本という異国で落ち着いて暮らしています。

「長く住んでみれば日本もいいところだ」じゃないのだ。祖国を逃れてきたけど、ここにも生きづらさがあった。「地上のどこにも天国はない」という、受け入れと諦め。だからその後、架空の島へと物語の舞台が移っていったのかな。(短絡すぎる洞察)

恋愛そのものの、相手のたとえば体のパーツをくまなく観察して惹かれたり、言葉尻に一喜一憂したり、というのが、私にはもうちょっとしんどいところがあるのは、歳をとって昔を思い出すようだから、あるいはうちの猫の瞳や毛並みにいつも見とれていられるから、人間のことはもういいのか。猫は一方的にこっちの愛情だけで、部屋に閉じ込めて一生独占できる、愛情のはけ口なのだ。せめてそれを認識して、わきまえて猫の幸せを考えて暮らすのだ。

話がそれたけど、猫と違って人間の心は閉じ込められないから、思いはすれ違う。一生愛しあえる誰かとめぐり会えるとは限らない。この主人公が相手を求めわびるのはいつかハッピーエンドを迎えるんだろうか。ハッピーエンドのほうが多分、ずっと誰かと暮らすというストレスに耐えることなのかもしれないけど…。

 

李琴峰「独り舞」740冊目

これがデビュー作なのか。この中で描かれていることは、著者の”私小説”では決してないと思う。でも何らかの痛みにさいなまれて、小説のなかで”一度死ぬ(※結末を書いてるわけじゃないです)”ことによる生きなおしが必要だったのかな、と、しんみりする。

この人の書くもののトーンはどんどん変わってきてる。現時点での最新の単行本「彼岸花が咲く島」は現実から遠いファンタジーで、その中で小さき者たちが静かにやさしく暮らしている。波乱の予感もあるけど、読む人の心を解き放つような開かれた世界だ。昨日「アンモナイトの夜明け」という映画を見たんだけど、「彼岸花」にも夜明けのように何かが開かれて明るくなった感じがあった。「独り舞」は夜明け前なのだと思う。

恐ろしい事件や、他の人と違う特徴がないのに、海の底のような気持ちで過ごしていたことがある。何かがあるから責められなければならないわけじゃないし、何もなければ嫌われたり攻撃されたりしないわけでもない。「何もない人はいない」、人の心の痛みは外からは見えない。この先、世の中とどう折り合いをつけていけばいいのか…この本を読んで、なんとなくそういうことを改めて悩んでしまうのでした。

 

「あなたも名探偵」739冊目

こういう本大好き。秋の夜長に、こたつみかんでも、コーヒーチョコレート猫でもいいから、最高にリラックスして夜更かしして、楽しみたい時間です。

市川憂人、米澤穂信東川篤哉麻耶雄嵩法月綸太郎、白井智之+の6人が、ガッツリ”Whodunnit”(犯人は誰?)の問いを投げかけてきます。その答えは…あんまり打率良くなかったかな。100%犯人、トリック、動機までわかったものはなかった。(でも、全部わかるようになってしまうと、「やられた~」と降参する歓びもないわけなので、ミステリ作家を目指すのでもなければ、このくらいがちょうどいいと思います)

創元社の「ミステリーズ!」に連載してたようだけど、第二巻はあるのかな。こういうのどんどん出してほしいです(乱発しない程度に)。

 

歌田年「紙鑑定士の事件ファイル 模型の家の殺人」738冊目

すごく面白かった。「紙鑑定士」「伝説のプロモデラー」という、マニア心をくすぐるプロフェッショナルたちのオタクトークに”ふむふむ、ニヤリ”、「えっ」というようなエピソードの連続。だけど、文章がこなれていて読みやすい。登場人物たちが、美形であってもなくても、みんなちょっと壊れていて、インパクトも愛嬌もある。フケツな”プロモデラー”土生井でさえ、なんとなく好きになってくる。(でも若い絶世の美女が、なんの説明もなく彼と??というのは、いくらなんでも説得力が)

彼が第18回「このミステリーがすごい!」大賞を受賞したのは2019年。続編を待ち望む人が日本に1万人くらいいそうなのに、次作をいくら探しても出てこないのは残念。で、妄想した。

選定者のコメントも巻末に収録されているんだけど、そこには圧倒的な面白さのほかに、”ご都合主義のストーリー運び”などの指摘もあります。確かに、トリックや動機、犯人像を見るとこれは”本格ミステリ”とはちょっと違う。この軽い楽しい語り口、彼は(おっさんだけど)いわゆる”ラノベ”のジャンルの人なんじゃないか。ラノベの著者たちのストーリーテリングの能力は高い。必ずドキドキしながら、おっさんでも婆さんでも、主役の少女になった気分で頬を染めてページをめくるのだ。”本格ミステリ”みたいに小難しい熟語とか外国ミステリの引用とかクラシック音楽とか、読者が知らないことは出てこない。(あるいは、知るわけないものとして、オタクトークが繰り広げられる、だから読者はバカにされてるような気にならない。これ大事なことだと思う)

本格ミステリは別の人に書いてもらえばいいので、どんどん面白い作品を書きまくってほしいです。首をながーく伸ばして待ってます。