アンソロジー「街を歩けば謎に当たる」768冊目

6篇の中編ミステリーからなるアンソロジー

海野碧「向こう岸の家」

実家に戻ってきた女性に、小さいころの記憶がよみがえってくる…。ひきこまれる設定だけど、「小さいころに亡くなった彼女の兄」という設定が伏線だと思い込んで引きずってしまった。

両角長彦「あいつのいそうな店」

新宿ゴールデン街は覗いてみたことくらいはあるけど、あんなディープな街の常連になるってものすごく大変そうだ。設定が楽しく、でも結末は私にはちょっとダークすぎたかな…。

石川渓月「弁慶は見ていた」

これは登場人物たちの年齢設定と、くだんの人物の年齢認識が必要なのか?と思ってしまった。

川中大樹「ファミリー、そこでヤマトだまし」

これは面白かった。どこか怪しいなーと思いながら読んでたけど、読後感もさわやか。本当にこんな議員さんがいればいいのに~

前川裕「僕の自慢の親友」

これはちょっと私には重いな。第一、身の回りの何をするにも不器用な青年がどうやってそんなにうまく立ち回れるんだろう(頭は非常にいい、ってことなんだろうけど)。

 

アンソロジー「街は謎でいっぱい」767冊目

気軽に楽しく読めそうなミステリーのアンソロジーかなと思って借りてみました。ショートショートではなくて、ちゃんと読み応えのある中編5本で、本を5冊読んだくらいの読後感がありますね。

大石直紀「京都一乗寺 追憶の道」

ロマンチックなファンタジー的ミステリ。若干、文章が読みづらいけど、抒情が伝わってきてしんみりしました。

岡田秀文「なごりの街」

これもファンタジーなんだけど、ちょっとやりきれん読後感。でもいい具合に予想を裏切られました。

新井政彦「手紙」

似たようなプロットで、もっとみんな不幸になる小説を読んだことがある。これはすごく美しい絵画的なエンディングで、感動的でした。

望月諒子「外れの家」

なにをコンプレックスに思うかは、ほかのひとから見れば馬鹿げて見えることもある。ありえない!と言い切ってしまうほうが楽だけど、明日は我が身かも?

嶺里俊介「夢の轍」

タイトルは歴史小説かなにかみたいだけど、三鷹駅南口の大きくて年季の入ったマンションが舞台で、情景がそのまま目に浮かびました…昔しばらくその辺に住んでたので。北口を出てしばらく行ったところにNTTの研究所もあるしね。著者は元NTTだそうで、知り合いに直接聞いた実話みたいにリアルで面白かったです。

 

おいしい文藝シリーズ「こぽこぽ、珈琲」766冊目

河出書房新社が2017年に出した”おいしい文藝”シリーズの中の一冊。

ほかにも「ぷくぷく、お肉」「まるまる、フルーツ」等々10種類も出てるそうです。なんて楽しい企画。

古今東西31人の著名な作家の短いエッセイ集ですが、書下ろしは1つもなさそう。よく探したなぁ、よく集めたなぁ。

コーヒーのいいところは、疲れたときにも、カツを入れたいときにも、飲んでほっとする。夏ならアイスコーヒーの淹れ方をひとくさりしたり、コーヒーゼリーについて書いたりするものいい。最近は円錐型ペーパーフィルターが流行りだけど、昔ながらの喫茶店のサイフォンのコーヒーはやっぱり素敵だし、家で淹れるならパーコレーターも簡単だしエスプレッソも直火で淹れられる。そういう、電気を使わないコーヒーマシンの数々のことを最近すっかり忘れてたのを、思い出してなんだか温かい気持ちになる。

中学生の頃なぜか故郷にあった、鍋で淹れるトルココーヒーのお店で初めて飲んだコーヒーが、まったく苦くなくて、お砂糖を入れなくても甘味と酸味があって「これがコーヒーか」と驚いたのをずっと覚えてる。

去年からずっとコーヒー豆を網を使って自分で焙煎してるんだけど、なかなかうまくいかない。いつかエスプレッソ用の豆を自分で焙煎して、ちゃんと細かく挽いて家で淹れられるようになりたい。

この本の中で誰かが「一杯のコーヒーから♪」という歌のことにちょこっと触れてて、そういえば父か母が口ずさんでたことがあったと思いだした。YouTubeで探して聞いてみたら、1939年のヒット曲らしい。ロマンチックで優しい、素敵な歌でした。

 

村上春樹「図書館奇譚」765冊目

さっき読んだ「猫を棄てる」もだけど、短い作品に素晴らしいイラストをたっぷり加えて薄い本にしてくれるのって嬉しい。映画化ともアニメ化とも漫画化とも違って、中心にあるのは文字なんだけど、ときどき見る刺激的で美しいイラストがピリッとイマジネーションを追加してくれる。

カンガルー日和」は大昔に読んだので、収録されてるこの短編も既読だけど、タイトルがうっすら見覚えがあるだけで内容は覚えてなかった。でも読みながら、昔見た怖い夢とかアニメとか昔話とかトラウマみたいで、なんとなく聞いたことがあるようなキモチ悪さ(気持ちよさかも?)があるんですよね。

理屈じゃなくて、どこか知らないところに連れて行ってくれるから、村上春樹を読むのはやめられない…。

 

村上春樹「猫を棄てる」764冊目

村上春樹のまだ読んでない本がけっこうあると気づいたので、順次読み進めてみる。

猫と暮らしてる私にはショッキングなタイトルだけど、どきどきしながら読んだら棄てた猫は自分たちより先に帰宅して待ってた、というオチがあって安心しました。というか猫を棄てるのがメインではなくて、村上春樹が自分の父について回想した文章でした。彼の日中戦争におけるノモンハンの悪夢の遠因とか、まるで伝記作家が故人の足跡をたどるみたいに書いてるのが興味深かったです。村上春樹ってあまり自分自身について語らない作家だと思ってたけど、こんな手記みたいなものを書いたり、早稲田に記念図書館を作ったり、だんだん変わってきたんだろうか。私は本を読むとそれを書いた作者の背景や心情まで考えてしまうほうなので、手掛かりが増えてちょっと嬉しいです。(これって野次馬根性かな…もしご本人が嫌なら引き下がりたいほうなんだけど、私は)

 

李琴峰「生を祝う」763冊目

彼岸花が咲く島」を読んだあと、さかのぼって他の単行本も全部読んだ後、満を持して受賞後第一作を読了。

改めて、この人は現代日本随一の言語能力を持つ人だなと思う。昔の本を読めば、文豪と呼ばれる人も、希代の評論家も、まずその言語に驚くことがある。(逆に、古典でも文体がまったく不統一だったり気まぐれだったりする作家がいるのも面白いけど)今って偉そうに評論している文章でも、文学賞の選考委員たちの書いた小説でも、言語に感銘をおぼえることなんて全くない。昔の人はきっと日本や中国の古典も読んだし、歌舞伎や文楽も見たし、もしかしたらシェークスピアゲーテも原文で読んでたのかもしれない。知らない言葉がたくさん出てきて(といっても漢語の熟語だと意味はまあまあ推測できる)、教養を知性が思うままに使いこなして作り出された重厚な作品に、ため息をついたものだった。

私が長年愛読している作家たちの文章力は素晴らしいんだけど、語彙がそこまですごくないので、感動の種類が違うんだ。その点、この作家は久々に文豪みたいな語彙力を感じる。中国語由来のものも多いんだろうけど、豊潤な語彙を使う巧みさもある。私はけっこう本気で、この人に三島由紀夫(一例だけど)になってほしいんだ。

一方で、内容にはちょっと戸惑ってる。面白かったけど、毒が強い。一方で、東アジアに何百年も前から伝わってきている死生観みたいな深みは感じなかった。「彼岸花」には今の世の中に蔓延している苦しみや痛みを昇華したような美しさが満ちていたけど、この小説はそれらを割とそのままアレンジして書いたような感じだと思った。いろんなアプローチで作品を書いてみるのかな。また「彼岸花」みたいな、美しい魔法世界みたいなのも見せてくれるといいな。

死生観について個人的に思っていることをいうと、チベット仏教か何かの本を読んだとき、魂は親を選んで生まれてくるという話があって妙に納得したのを覚えてる。たいがいは自分が精神的にも物質的にも恵まれる環境を選ぶけど、なんとなく、私は「平坦で順調な人生より、なるべく思いがけない出会いや失敗や浮き沈みがある人生、自分が助けられるより誰かの役に立てる人生」を選んだんじゃないかなと、その話を聞いて思った。生まれてからずっとそういう選択をしてきたから、生まれたときもそうだったんだろうなと思った。この小説の設定上、「生まれない」選択をした人はいったん霊界に戻っていつかまた偶然に誰かのおなかに宿るのかな。どんな人生であっても、一度しか生まれ出る機会がないなら、たいがいの人が生まれるという選択をしそうなものだ。宝くじなんてほとんど誰にも当たらないけど、みんな当たるつもりで買うわけで、選択の際に提示されるのが数字だけなら、「不幸になる可能性が高いから生まれない」より「幸せになる可能性が(少しでも)あるから生まれる」と考えるのが人間じゃないかな。

「世界で一番まずいカレー」がレストランのメニューにあったら、私なら注文してしまうかもしれない。不幸も幸せも、全部盛りで味見したい、世界の端っこから端っこまで全部知りたいと思う私には、生まれるかどうかという選択は一択だ。

いろんな考え方の人がいるだろうし、多分、私が変わってるんだろう。だいたい貧乏くじばっかり引いてきたし、好奇心は猫も殺すというけど、こういうサガは変えられるもんじゃない。すぐれた文学に出会うと、自分を振り返るきっかけになる。共感するより深い気付きを与えてもらったと思います。

 

吉野源三郎「君たちはどう生きるか」762冊目

一度読んでみようと思ってた本。書かれたのは1937年、昭和22年。第二次大戦前夜の日本で、児童文学者である著者が少年少女たちに強く働きかけたかったことが熱く、かつ静かに語られた、美しい本です。昔の映画みたいな真剣な倫理観が、戦前ではなく戦後の作品だけど、たとえば「キューポラのある街」なんかを思い出します。

読後感がすばらしいですね。素直に育ってきた思慮深い少年が、ときに迷いつつ、友達や家族の愛情に支えられて強くまっすぐな自我を育てていく、よい未来が見えるようです。現実には1937年に15歳の少年たちのうち何人かは戦争に行ったかもしれない。全員が戻ってこられたかどうかはわからない。今の時代、悪い情報のほうが良い情報より目につく中で、この本を読んでさえネガティブな感情が近づいてくるのが辛いところだけど、心の中に湧き上がってくる不安より、この本を書いた人がいたという事実だけを胸に、自分はどう生きるか、私も考え続けようと思います。

人はだれしも、たぶん全員、人をいじめたことがある。それを認識して心の痛みに向き合い、相手に謝ることができるかどうかが最高に重要なポイントで、それができた人は、いじめたことがない人よりも得難いのです。

他の人たちの感想も見てみたいな。読書感想文サークルとかってないのかなぁ…。