佐々涼子「エンド・オブ・ライフ」915冊目

一昨年「一万円選書」に当選した際に選んでいただいた本のひとつなのですが、図書館で予約した本は急に届いてすぐに返却期限がくるので、つい優先して読んでしまい、せっかくの一万円選書はずっと本棚で待たせてしまっていました。しかもこの本は、同じ著者の近著「ボーダー」が図書館で借りられたので、読もうとしてやっと「ちょっと待て私、同じ人の本が家にあるじゃないか!」と気づいて、先に読むことにした次第です。ごめんね、ずっと待たせて。

読み終えてみると、なかなかの重みのある本でした。それに、美しい言葉で静かに丁寧に率直につづられていて、読みやすくかつ品格があります。日本語教師の書いた本って言葉がすばらしいなぁ、李琴峰とかもそうだし。。。(私はまだヒヨッコ教師なのでこれには当てはまりません)

迫りくる死、ということを描くと、どうしても泣けるお話に傾いてしまうけど、過剰な感情を抑えて抑えて、落ち着いて書かれているのもよかった。私もそこそこ生きてきた中年女性として、思い出す身近な「死」がいくつもあります。大学4年で母を亡くして以来、死ということを考え続けてきた数十年間。仲良しだったクラスメイトが、すい臓がんで発病から1年ほどで逝ってしまったときの動揺も、読みながらよみがえってきます。心は揺れるけど、母が亡くなったときに父と話した「これからはみんな、やりたいことをやって生きよう」に尽きると思うので、死を特別に恐れることはありません。クラスメイトが言った「テレビのスイッチを切るようなものだよ」という言葉も忘れません。私たちはみんな、決められた時間の中で、できるだけ自分を幸せにしてやるために生きる。

私は今日も、少し仕事をして、弱い足腰を少しでも鍛えるためのお散歩も娯楽として楽しみ、美味しいコーヒーを飲み、美味しい野菜でご飯を作り、猫をひざに載せて映画を見る。

それでも、大好きな監督がこれから作る映画を全部見切れないうちに、私のほうが先に行ってしまうかもしれない。新刊が出ると必ず買って読んでいる作家の作品も、全部は読めないかもしれない。どっちが先に行くか誰もわからなくて、結局のところ、みんなどこかで諦めなければならない。誰にとっても残された時間は多くはなくて、その中で何を一番やりたいか、やらなきゃいけないと思うか。今までと同じように、それを考えながら今日も過ごすのです。

 

地球の歩き方BOOKS「世界の魅力的な道178選」914冊目

「道」と一口にいってもいろいろありますが、大昔からの街道や小さな家々が連なる路地、眺めが素晴らしい道や造形が美しい橋・・・旅先で印象に残るそういう様々な「道」が178も紹介されています。

さすがにこの本は、行ったことがあるものが多いぞ・・・。首都の中心部の道(ロンドンのストリートとかNYの五番街とか)は、滞在中何度も通ってよく覚えてるけど、アメリカの「ルート66」はグランドキャニオンとセドナのツアーの中で立ち寄って、オールドアメリカンなダイナーでご飯も食べたけど、あれってどの辺だったんだろう。こういう壮大な道路の場合、たいがいはほんの一部しか経験できないな。熊野古道は一部踏破するつもりで行ったけど、すぐヘトヘトになってしまって、坂をひとつ上ったくらいでリタイアして道の駅で飲み始めた記憶が・・・。

そういった様々な場所を「道」としてくくるのか。道って何だろう。それ自体は目的地ではなく、どこかへ向かうための途中経路。あるいは、その道が目的地ではなく、そこに行くと見える景色が目的地であるところ。とか。・・・だから、確かに通ったはずなのによく覚えていない道も多い。でも、こうやって一冊の本にまとめられると、その場にいたときの気分が徐々によみがえってきて、気持ちが高揚してくる。行ったことのない道なら、いつかそこに行けばこの景色が見られる、と想像できる。

この「いつか行ってみたい」気持ちってけっこう大事だな。一時期は、行きたいところには全部行く!くらいの勢いで、片っ端からルートを作って休みごとに旅行してたけど、憧れを温める時間って充実感がすごい。思い出を味わう時間も。

最近、長年たまりにたまった旅行のパンフレット類をとうとう整理して、全部ポケットファイルにまとめたんですよ。「地球の歩き方BOOKS」って、ガイドブックのようでもあるけど、思い出をたどる楽しみ方もあります。

今はコロナの影響がまだまだ続きそうで、高齢猫と暮らしてるので遠出は控えてる分、旅の憧れと思い出を楽しむ時間が増えてます。でもこれ十分楽しいな・・・。

 

劉 慈欣 「流浪地球」913冊目

「三体」で一世を風靡している劉 慈欣の、こちらは角川から出ている中編集。300ページほどのこの本に6編の壮大なアイデアが詰まっています。ほんとこの人、発想が宇宙級です。難しい科学の本を読んでるような難しさはあちこちにあるけど、SFですから全部ついて行けなくても、そういう箇所は飛ばし読みすればよし。そんな私でも、リアリティを保ちつつぶっ飛んだアイデアを展開するものすごさは十分に感じることができました。

流浪地球・・・地球が流浪するんですよ。そしてこの人の作品にはよく、宇宙規模の孤独を背負う人が登場する。表紙の、地球から発射されている”プラズマの光”のイメージが美しい。

ミクロ紀元・・・こんどはみんなミリ単位まで小さくなる。発想は小さい子みたいなのに、理論武装がすごいからなんだか丸め込まれてしまう・・・!(いい意味で)

呑食者・・・この前日譚が「円」に収録された「詩雲」と解説にあるけど、記憶にない・・・。「詩雲」で私は感想に「スーパーコンピューターのようなものが漢詩を極めようとする話」と書いていて、そこに注目すると確かに関連を見つけるのは難しいな。

呪い5.0・・・タイトルだけで笑える。なんでもかんでもx.0。しかも「呪い」。やっぱりカタストロフィが来るとしても、これはギャグなのでした。

中国太陽・・・人口の太陽を作る、という設定をどう料理するか。だいぶこの人の小説を読んできたので、ドヤ街のようなところで出会った二人の行く末は読めてたけど、人間味もある面白いお話でした。

山・・・この話が一番好きだな。地球に接近した月のような宇宙船の重力で、海の水が高山の高さまで盛り上がったのを”登る”、あるいは泳いでいく。これもまた登場人物の人生をていねいに語っていて、進化した技術の中で同じ人間性がどうそこに適合していくか、面白く読みました。

 

荒木博一「世界失敗製品図鑑」912冊目

ビジネススクールの初級マーケティングの授業で使うケースを集めたような本だなぁと感じました。あえて裏話や内部の事情に触れず、公開情報だけでまとめたと前書きにあったので、ネットニュースを読んでいるような、あまり深くない印象になっているのかもしれません。

マーケティングの授業でかつて身に染みて学んだことは「ケースで取り上げた企業は成長せず数年後に倒産またはM&Aされることがある」「不正で捕まることもある」「結局のところ、強味だと思っている点はブイブイ言わせてる時点でみんながそうじゃないかと思った部分で、あとあと思い返してみると別の要因があったりする・弱味だと思っていた部分があとで化けることもある」。なんかちゃぶ台返しみたいでよくないコメントかもしれませんが、それでも失敗をつぶさに観察してそこから学ぼうとすることは、成功したケースを読んでうっとりするよりずっと意義のあることだと思います。

でも、あまりに事実の複雑さを単純化してる感じはあるなぁ。売上とも事業の勢いともとれるイラストつきのマンガみたいなグラフは、命がけで事業に取り組んだ人たちにちょっと失礼な気もしたりするのでした。。。

 

 

村田喜代子「姉の島」911冊目

やっぱり村田喜代子の小説は面白い。日本のというか九州八幡のマジック・リアリズムだ。更年期やガンとの戦いをテーマにした小説たちを経て、彼女の世界はふわふわしていた娘時代の空想に戻ってきたようです。どこまでがいわゆる現実で、どこからが空想か、どのへんがこっちの世界でどのへんがあっちの世界か。お迎えを待つだけの日々薄れていく意識の中では、そんなことはどうでもいい。老婆最強です。

その中に真実もある。五島列島沖に、鯨のような廃潜水艦がたくさん沈んでいることも、九州の田舎の若者たちが大勢兵隊にとられて亡くなったことも。(私の母方の伯父もみんな帰ってこなかった)初代からの天皇や七草にちなんだ斬新なネーミングの”海山”も実在する。海女たちが海で出産したのも多分事実だろう。胎内みたいな暗い海に潜るのが仕事の海女たちは、さまざまな不思議を実体験として持っているんだろうな。

人間ごときがいくら科学を極めたところで、人智を超えたものごとの方が永遠に多いのだ。不思議を畏れ、不思議のふところに抱かれる彼女たちの姿に、心が広くなるような読書体験でした。さらにさらに、天国へ上ったあとの小説なんかもどんどん書いてほしいです。

 

ニコルソン・ベイカー「ノリーのおわらない物語」910冊目

この人の本を最初に読んだのは、1992年にロンドンに滞在してたときだ。半年しかいないのに、毎月1ポンドとかの廉価でペーパーバックが送られてくる「ブッククラブ」に入ってたときじゃないかな。ただしその本のタイトルは「VOX」、日本語版は「もしもし」。モニカ・ルインスキーが大統領に贈ったとか贈らなかったとか、話題になった小説です。(エロティックというより笑える気もする)

この観察眼が面白くて、確かそのあと「中二階」と「室温」も読んだはず。日本語訳はあと数冊だけなので、全部読んでしまおう。(原書が読めたんだから他のも読んでみれば?とも思うけど、積ん読がある程度片付いてからね・・・)

で、この本は彼の9歳の娘が学校の送り迎えの車の中で話したことをベースにしているらしい。父親に似て感受性豊かな面白い子なんだろうな。誤字や言い間違い(すごくよく訳されてて、自然に読める!)も楽しい、活発な女の子の世界。こんな利発な子が家にいたら、毎日楽しいだろうな。

彼女(小説のなかの)は毎日、荒唐無稽なファンタジーを考えてはノートに書いていきます。学校(アメリカ人だけど今はロンドンで学校に通ってる)では、ギリギリ陰湿にならない程度のイジメが毎日続いてる。いじめられてる女の子と主人公は仲良くしている。というか彼女はそう務めている。そのイジメは、本の最後まで完全になくなったわけじゃないけど、ずっとかばってる子がいることで、いじめる方がだんだん飽きてきたみたい・・・と終わります。

それでも、ちょっとホッとする。イジメ・・・私は中年の今に至るまで、どちらかというと「いじめられる方」で、それは多分、生意気に見えるし目立つ仕事をすることもあるのに、ぼーっとしてて攻撃的じゃないので、典型的な「意地悪してもいいタイプ」だと思われがちだったんじゃないか、と自己分析してます。あまりにも長年にわたったり、ひどく陰湿だったりした人たちのことは、できるだけなかったことにしよう、忘れよう、としてきたけど、なかなか心の中で赦すのは難しい。でもこの本の最後のページを見ながら、忘れてくれたらそれでいい、と思えた。だってその子はもうその人からは攻撃されないってことだから、良かったんだ。自分もそれと同じだと思えばいい。思うことにしよう。

人生が学びだとすれば、赦すことはその中でも1,2を争う難しい課題。でも私は怨みを今生に残して亡霊化したくないので、きれいに成仏できるよう、心の精進をそれなりに続けますよ・・・。

 

 

村田喜代子「エリザベスの友達」909冊目

敬愛する村田喜代子の小説、ぼーっとしてるといつのまにか読んでない新作がたまってる。久々に読んだこの作品の話者は、自分自身の更年期など過ぎ去って、施設で暮らす90代の母の介護をしている。もともとこの人の小説は、どこか筑豊マジック・リアリズムというか、すごく目立たない平凡な女性がある日遠くへ飛んで行ってしまうような話がけっこうあったんだけど、そのイマジネーションというか妄想というかモウロクは、認知症患者の頭の中と共通したものがあるのだ。若い頃の夢は明確で未来に向かっていくけど、こちらは日々ぼんやりと過去へ向かっていくという違いはあるけど。

90代の母が名を聞かれてエリザベスと答えて、家族が仰天する。いいじゃないか、面白いじゃないか!更年期やがんのことを書いていた頃は、読むと少し寂しい気持ちになっていたけど、もう突き抜けて自由さを感じる。やっぱり村田喜代子だ。

引き続き、未読の作品を少しずつ読んでいこう。