佐々涼子「エンジェル・フライト 国際霊柩送還士」921冊目

この著者の本を片っ端から読んでます。どれも面白い。事実に忠実で、かつ、事実に忠実であろうとしている自分を偽りなく書こうとしている姿勢が誠実です。折しもAmazonプライムビデオで米倉涼子主演のドラマが放映されるそうで、表紙がドラマバージョンになってます。

「エンド・オブ・ライフ」もそうだけど、この著者って「死」に興味を引かれているのかな。私自身けっこう長年「死」を知りたくて、看取り士という資格を取りに通い続けた時期もあったので、理由はともかく、知りたい気持ちはなんだか共感できます。亡くなった親しい人の死を悲しみつくさないと、その先に進めないのと同じように。

といってもこの本で丁寧にさぐられるのは、死そのものではなくて、遺族には大事な人の死んだ体をどうしてあげることが必要か、それを国際霊柩送還に携わる人たちがどのように行っているか、ということです。死にゆく人の気持ちでも、死そのものでもなく。

この本には、国際葬送の実際を知ることでほっとした部分と、それより深い死の世界のふちを回って戻ってきたような、知り尽くせなかった部分への意識があるように思えます。

それにしても、死者を新聞やテレビで扱うときに「変わり果てた姿」って言うのは何なんだろう。エンバーミングが発達してからは、一見いつものような姿なんだろうけど、それでも命のあるなしで全く別のものになることはわかる。この本ではこの表現は使ってないけど。

今は「死」にはもうあまり興味がなくて、具体的な「終活」のほうが興味あるな。最後にやらないといけない仕事がちゃんとわかって、備えが済んだら、南米のジャングルでも南極でも、安心して出かけられるような気がします・・・。

 

石原博光「まずはアパート一棟、買いなさい!最新版」920冊目

著者がご自身の考えと経験に基づくノウハウを、すごく正直に裏表なく、ウソ偽りなく、読者にシェアしてくれている本だと思いました。不動産投資に興味や経験がある人はたくさんいると思うし、アパート一棟から始めるとは限らないけど、これはどんな段階にいる人にも参考になると思います。

良い物件を買いさえすれば、不動産ってすごく良い投資先になるんですよね。家賃収入が退職後のベーシックインカムになりうるし、インフレにもデフレにも強く、為替の影響を受けず自分自身が普通に住宅に住んできた経験がノウハウとして生かせる。どういう規模で投資する人にとっても良いと思うけど、「自分が住んでた家を貸す」を超えて事業として展開するにはリスクが大きいので、勉強も必要だしある程度は才覚があったほうがいい。でも不動産投資をまったくしない人でも、一生親が建てた戸建てに住むならまだしも、賃貸住宅に住むことがある人なら、不動産のことはある程度知っておいたほうがいい。そういう人にもお勧めしたい本です。

不動産投資の本ってほんとにたくさんあって、結局のところ自社物件を売りたいだけの本も多いけど、偏りが感じられないこういう本は貴重。

私はこれから物件を買うこと、あるかな・・・もう借金は難しいだろうな・・・。でも都心のボロい戸建てを買ってAirB&Bとかやってみたいなぁ。まず自分がそういうところに泊まってみるところから始めてみよう。(それで終わりそうな気もするけど)

 

村田喜代子「百年佳約」919冊目

半島から九州にわたってきた陶工の家族たちの物語。「百年佳約」というのは、末永く添い遂げようという朝鮮半島の言葉だそうです。

去年はなぜか西九州に3度も旅行したんですよ。熊本城、阿蘇、高千穂、そして有田。有田の「内山地区」には色とりどり、形もさまざま、技巧を凝らした陶磁器が店々に並んでいて、見惚れてしまった(散財もしてしまった)のを思い浮かべています。

あの素晴らしい陶磁器のなかには、この本で書かれたような渡来の人々が、カラフルでパワフルな生活と仕事のなかで生み出したものもあったのかな。

この本は「龍秘御天歌」の続編的作品らしい。読んだ記憶があるけど多分かなり昔で、読書ブログにも記録がありません。そっちは死の物語で、こっちは結婚の物語。「男女の愛憎の物語」じゃないところが面白い。好き嫌いは二の次、結婚は家と家でするものだから失礼のないよう、そして自分の家の繁栄を示すため、贅を尽くすし相手選びには慎重になる。好き嫌いがどうしてもこじれた場合の「解決策」が面白くてたまらないですよね、死者との結婚とか樹木との結婚とか。数々の怪異のうち何割かは、人間たちの集団妄想から生じたものではないかと私は思っているので、そうやって真剣に思いを込めているうちに樹木の精が生まれてしまって、人の娘と本当に恋に落ちたりしてるんじゃないか。実際の伝承を参考にした部分も多いのでしょうが、本作でも著者の空想(妄想?)の翼は素晴らしく遠くまで私を連れて行ってくれました。

 

門井慶喜「銀河鉄道の父」918冊目

これも「一万円選書」の一冊。映画化されると聞いて、映画を見る前に読んでしまわないと!とあわててページを開きました。

読みやすくわかりやすく、ものの2時間でするすると読んでしまった。「一万円選書」はこのように読みやすい本が多い。おそらく、本を読みなれている人もそうでない人も申し込んでくるので、そもそも読みやすい本セレクションを揃えて待っているのかなと思います。これもまた、どんな人も最後まで面白く読めそうな本です。

これは実在の人物たちが実名で登場するけど、ドキュメンタリーとかノンフィクションとかではなく、あくまでもフィクション。たとえて言うと朝の連続テレビ小説みたいなドラマです。ただ、著者の想像の翼だけに頼るのではなく、おそらくかなりの調査に基づいて、現実の宮沢賢治、妹のトシ、父政次郎等々の姿を浮かび上がらせようとしたのだと感じました。

「あめゆじゅとてちてけんじゃ」と最後にささやいた妹トシは、誰もがか弱い少女だと思ってただろうけど、病気になる前は大変利発で気が強い女性だったんですね。(なんとなく「智恵子抄」と少し混同してたかもしれない)

父の頭のなかを辿るための資料などおそらくほとんど残ってなかっただろうから、心の中で息子を溺愛したい気持ちと家長として立派にふるまおうとする気持ちの葛藤は、ぜんぶフィクションだろうけど、一人の明治の男の心の中を想像するとこうだったのかも、と思えてきます。冷たそうに見えて愛情どっぷりなのが、読者をほっとさせます。

そして賢治は、朴訥な農業者だったというより、頑固な理想主義者だった、という感じですね。(この本では、ですが。)生活や家族の安心を犠牲にしても理想を貫こうとしたその極端さが、あれほど研ぎ澄ました童話のかずかずを産み、それが今も稀有な名作として残っているのかもしれないですね。

映画も、老若男女、家族みなで味わえるものになるんじゃないかと思います。

 

村田喜代子「偏愛ムラタ美術館【発掘篇】」917冊目

敬愛する村田先生の美術もの、3冊目。書かれたのは2番目かな。【展開編】を読んだ1年前は、アートに食傷して「No art, no life」しか見なくなってた時期でした。その後、建築から再開し、最近は美術館にもたまには行くようになったけど、毎月上野に出かけていくほどではないな。

この本では、著者がたまたま目に止めた絵画を取り上げていて、その視点も作品自体もとても面白かったです。

素人画家だった元船乗りのアルフレッド・ウォリス、芽の出たじゃがいもを細密に描いた瀬戸照、シルクロードを描いた後に竹林の暗闇も描いた甲斐大作、世界で最初の壁画、ぶっとい黒の線で絵を描いた横山操、黒澤明が描いた映画の絵コンテ、でたらめな縮尺で地図を描いた吉田初三郎、どこか暗い高橋由一、実は死にとりつかれていたかのような熊谷守一、さまざまな画家が描いた奇妙にねじくれた樹木、水越松南の「老天使」、チェルノブイリ事故後の立ち入り禁止区域を描いた貝原浩、合掌した手を描いた木下晋、閉塞感のあった松本竣介、水彩で夕焼け雲を描いたエミール・ノルデ、悪相の幼児を描いた片山健

ここまで深く作品を感じ、洞察してもらえたら、画家たちも本望だろうな。一人だけ画家じゃない黒澤明がいて、「鍋の中」を読んだあとで「八月のラプソディ」を見て「原作だというのは見間違いだろうか」と思った私も原作者と近い感覚を持ったのを覚えています。「夢」を見たときも、映像のインパクトはそれほどでもないけど監督が持ったイメージはもっともっと巨大だったんじゃないかと思った。それを裏付けるような強烈な絵コンテを見ることができて、長年の謎が解けた気分です。

 

佐々涼子「ボーダー」916冊目

「エンド・オブ・ライフ」と続けて一気に読みました。本当にこの人の文章は読みやすく、わかりやすくて、きれいだなあ。

難民の日本での受入問題のひどさは常軌を逸していて、それが一過性の個人のいじめとかじゃなくて国家が継続的に多数の人に対してやっているということを考えると、たいがいのことを我慢してきた私も感情を抑えられなくなることがあります。旅行や仕事でいくつかの国に行って、どれほど現地の人たちに助けられたか。彼らがどんなに温かく優しかったか。外国の人たちは日本で起こっているこういったことを知りつつあるし、映画「沈黙」だって見たかもしれない。とても恥ずかしいし、悔しい気持ちです。

ある難民支援団体を私も細々とサポートしていて、その関係で3年半ほど前に品川の入管に行って、中に入っている方々にお話を伺ったことがあります。知的でまっとうで立派な彼らに対して自分があまりに無力なことがショックで、しばらく何もできなくなってしまいました。今も私自身は何もできていないけど、この本がたくさんの人に読まれたり、映画「マイスモールランド」も高く評価されて、やっと少しずつ誰もが知る問題になってきている、暗闇を覆っていた膜がやっと破れて空気が少しずつ入ってきている、と感じます。そのきっかけになったのがウィシュマさんの事件だとしたらあまりにも悲しいけど・・・。

私が行った際に、入管の待合室にご家族ではなさそうなスーツ姿の数名の男女がいらしていて、弁護士かな、他にも支援団体があるんだろうな、と思ったのを覚えてます。もしかしたらそれが佐々さんや児玉先生だったのかも?しれませんね。

あの時期は私自身も自分の問題からやっと逃げてきたばかりだったけど、いろいろな意味で落ち着いてきたので、もっと本格的に自分が支援する側で活動できることを探してみようと思います。

 

佐々涼子「エンド・オブ・ライフ」915冊目

一昨年「一万円選書」に当選した際に選んでいただいた本のひとつなのですが、図書館で予約した本は急に届いてすぐに返却期限がくるので、つい優先して読んでしまい、せっかくの一万円選書はずっと本棚で待たせてしまっていました。しかもこの本は、同じ著者の近著「ボーダー」が図書館で借りられたので、読もうとしてやっと「ちょっと待て私、同じ人の本が家にあるじゃないか!」と気づいて、先に読むことにした次第です。ごめんね、ずっと待たせて。

読み終えてみると、なかなかの重みのある本でした。それに、美しい言葉で静かに丁寧に率直につづられていて、読みやすくかつ品格があります。日本語教師の書いた本って言葉がすばらしいなぁ、李琴峰とかもそうだし。。。(私はまだヒヨッコ教師なのでこれには当てはまりません)

迫りくる死、ということを描くと、どうしても泣けるお話に傾いてしまうけど、過剰な感情を抑えて抑えて、落ち着いて書かれているのもよかった。私もそこそこ生きてきた中年女性として、思い出す身近な「死」がいくつもあります。大学4年で母を亡くして以来、死ということを考え続けてきた数十年間。仲良しだったクラスメイトが、すい臓がんで発病から1年ほどで逝ってしまったときの動揺も、読みながらよみがえってきます。心は揺れるけど、母が亡くなったときに父と話した「これからはみんな、やりたいことをやって生きよう」に尽きると思うので、死を特別に恐れることはありません。クラスメイトが言った「テレビのスイッチを切るようなものだよ」という言葉も忘れません。私たちはみんな、決められた時間の中で、できるだけ自分を幸せにしてやるために生きる。

私は今日も、少し仕事をして、弱い足腰を少しでも鍛えるためのお散歩も娯楽として楽しみ、美味しいコーヒーを飲み、美味しい野菜でご飯を作り、猫をひざに載せて映画を見る。

それでも、大好きな監督がこれから作る映画を全部見切れないうちに、私のほうが先に行ってしまうかもしれない。新刊が出ると必ず買って読んでいる作家の作品も、全部は読めないかもしれない。どっちが先に行くか誰もわからなくて、結局のところ、みんなどこかで諦めなければならない。誰にとっても残された時間は多くはなくて、その中で何を一番やりたいか、やらなきゃいけないと思うか。今までと同じように、それを考えながら今日も過ごすのです。