地球の歩き方BOOKS「世界遺産の歩き方 学んで旅する!すごい世界遺産190選」927冊目

このシリーズを何冊か読んできたけど、中でもこれはカタログや教科書的に使えそう・・・世界遺産検定や、添乗員や旅行会社を目指す人なら。私自身、旅行関連の仕事をやることはずっと考えていて、文字ばかりの本では全然イメージが湧かないので、この本なら楽しく見られそうだなと思います。

それに、自分がかつて大昔に旅行したところを改めてこの本でおさらいするのも楽しい。エジプトに行ったのは1993年だと思うけど、あまり世界遺産ということを意識した記憶がない・・・。1979年にとっくに登録されていたけど、今ほどセールスポイントとして大々的に宣伝してなかったかも?(私がちゃんと見てなかっただけ、という可能性も高い)

コロナ以降すっかり海外旅行からは遠ざかってしまったけど、いつ再開できるかな・・・以前は時間とお財布さえ許せば毎月でも行ってたのになぁ。でも、国内にとどまっている間も、いつかまた行く海外に備えて勉強しておくのもよいかも。

 

柴田元幸・小島敬太 編訳「中国・アメリカ謎SF」926冊目

中国とアメリカの、新進気鋭のSF作家の短編を集めた本です。

この中では冒頭の「Shakespeare(遥控)」と名乗る作家の「マーおばさん」という作品が面白かったなぁ。脳の神経ニューロン→アメーバ→小さい生物(昆虫など)の集合、と連想してなんとなく納得してしまった。

原語で中国語や英語の新作をどんどん読んでくれる人がいるおかげで、ベストセラーにまだなっていない作家の作品がこうやって読めるのってありがたいですね・・・。

アレクサンドル・ベリャーエフ「ドウエル教授の首」925冊目

強烈にインパクトのある1925年のロシアSF。ざっくりいうと、遺体の蘇生を研究していた学者が、助手に殺されて実験台になり、首から上だけの状態でひそかに生き続け、助手の研究はさらにエスカレートして・・・というお話。当時はこんな未来もありうると考えられたんだろうな。

ロシア作品らしく(偏見かもですね、私)それぞれの自我が強くて独白が多いのが、奇天烈な設定に深みを持たせています。ドイツ時代のフリッツ・ラング監督で映画化してほしかった。「カリガリ博士」とか「M」みたいな古典になりえたかもしれない。

この著者、実際に大人になってから脊椎を傷めて5年間も首から下が動かない生活を経験してるそうですね(今日付けのWikipediaによると)。体の自由がきかないのがどういう精神状態か、彼は知った上でこの本を書いてるわけです。どうりでその牢獄に閉じ込められたような感覚の表現に重みがあります。

邦訳はなんと10回も出版されています。きっとそれぞれの発行部数はあまり多くなかったんだと思いますが、「これを世に出したい!日本のSF読者に届けたい!」という出版関係者の熱意が感じられます。

これ、アメリカの人が書いて映画化したら、めちゃくちゃサイエンス寄りになって、閉じ込められた人間の精神はさらっとホラーっぽく表現して終わりそう。ロシア的な深みの魅力を改めて実感しました。

 

佐藤ジョアナ玲子「ホームレス女子大生川を下る」924冊目

面白い本しか書かない高野秀行氏(このブログの常連)が激賞していたので読んでみました。さすがです。面白いものを書く人が面白いという人は本当に、腹の底から面白い。

佐藤さんは自分の蓄えてきた身一つでアメリカの郊外に留学し、お金がなくなってアパートを追い出されたら小さい組み立て式カヌーと少しの道具だけでミシシッピ川を3000キロも下るのです。

この方、若くして母も父も失って、人生には甘いことなど一つもないとこんな年齢で悟ってしまったのか、一人でかつ独力で生きていくことに何の迷いもないように見えます。人間レベルの階段の頂上近くにすでに至っているような。他人になにひとつ期待していないので、してくれること全てに感謝できる。どんなアクシデントも楽しみと捉えられる。25歳までにみんながこんな経験をして覚悟を決めることができたら、世界はものすごく良い場所になるだろうな。

サバイバルに必要なのは考えて考えて考え抜く力、その積み重ねから生まれる「勘」。健康な肉体も必須でしょうね。

すごく変かもしれないけど、最近見たアニエス・ヴァルダ監督の映画「冬の旅」を思い出しました。あの主人公の女性(モナ)もこのくらいの年齢でしょうか。社会を倦んで一人で旅しているところまでは同じだけど、モナは社会を、人を、憎み続けてる。自分で考え始めていないから、何をやっても失敗する。彼女たちを旅へいざなったものは、もしかしたら似ていたかもしれないけど(映画では何も語られないし、佐藤さんもあまり詳しく本に書いてません)、大いなるこの違いは。

映画「ノマドランド」を思い出した人は多そう。旅で出会った人と飲むビール、焚火で沸かして飲むコーヒー。・・・でも最近のキャンプ女子のことは連想もしない。彼女たちは佐藤さんやノマドランドのファーンは開いてるけど、インスタ映えする写真やYouTubeを撮ってる彼女たちは閉じてるように見える。日本とアメリカの環境の違い(主に人かな)から来る違いかもしれないけど、見栄えを棄てたら世界は少し違ってくるのかな。

肉体も脳みそも鍛錬した自分だけを持って、広い世界の中で小さく生きるのって、私の理想なのだ。「Culturally rich」というのは、芸術の素養のことじゃないのだ。生きる全てがculture。

佐藤さんの今後の人生をずっと見ていたい、かないようがないけどお手本にしたい、と思います。どこにいて何をしていても、がんばれ佐藤さん。

 

ニコルソン・ベイカー「U&I」923冊目

Uってジョン・アップダイクのことか。好きだけどなぜか全部読んだ作品が少ない小説家のことを、知りもしないのにあれこれ妄想して1冊本を書いてしまった、という。やっぱりニコルソン・ベイカーって変な人だ。

でもこの本はすごく面白い。語り口がカジュアルでアケスケだし、自分がどこに行ってどう思った、何を読んで(あるいは読まずに)どう考えた、ということしか書かれてないので、誰かの面白いブログでも読んでるみたい。書いてあることはアップダイクの作品にしてもパーティにしても、知らないことばかりなのに、なぜか面白い。この人はとにかく感受性が豊かで、目の付け所や比喩のしかたが独特なんだ。誰かの借り物、手あかのついた表現を極度に恐れて、常に自分の文章を批判し続ける。自分自身の見た目や考えも批判する。基本的に、自分を卑下してる文章は読者をその分持ち上げてくれるから、緊張せずに楽に読める。

それに翻訳が素晴らしいんじゃないだろうか。この有好宏文という翻訳者はいったい何者だ。こんなにクセの強い文章をどうやったらこんなにスルスルと読める日本語にできるんだろう。アップダイクも読んだことないし、その他この本のなかで言及される物事の半分以上見たことも聞いたこともないのに、まるで旧知のことみたいに読めるのはなぜだ。きっと手練れの「読み手」「書き手」で、かつ博学な人なんだろう。と思いながらググってみたら、この本の翻訳は30歳そこそこでやってたようです。すごいな、さすが京大卒。その後キューバへの留学を経て今はアメリカのアラバマ州にいるらしい。理想の人生だ。

老い先短めになってきた自分の今後のことを、夢見つつ現実に足を降ろして考えてみる。4月から仕事が激減するかもしれず、なんとか生活はするとして、空いた時間をどうするか・・・。テキスト買って安心するだけじゃなくて、本気でスペイン語やってみようかな・・・(本を読むとそれ以外のことを考えこんでしまうことが多いな私)

 

佐々涼子「紙つなげ!彼らが本の紙を造っている」922冊目

震災で東北の製紙工場が被災し、雑誌の紙のストックが印刷会社の倉庫にあと1,2ヶ月分しかない!と、取引先の出版社が紙を探して奔走してたことを覚えてます。結局、いつものクリーム色と違う真っ白な紙でその雑誌を印刷したのでしたが、その紙を使ったのは2回くらいで、すぐに元の紙の生産が再開したのは、多分この本に書かれた経緯があったからなんだろうなと思います。あの時期、同じく東北にあったDVDのプレス工場も被災して、発売が少し遅れたり、別の会社に発注したりしたこともありました。でも2012年あたりがプレス枚数のピークで、その後は減る一方だったなぁ・・・(雑誌の発行部数も似たようなかんじ)

・・・という、出版業界や製紙工場、印刷工場、などのさまざまな物語が見られるのかなと思っていたら、冒頭で東日本大震災が発生。被災した製紙工場とその地域の生々しい描写が続いて、ちょっぴりトラウマを思い出してしまいました。あの日から、テレビ番組制作会社では、揺れが収まってからもフロアの真ん中や管理職の机の上に置かれていたテレビモニターで津波の映像が何日も流れ続けていました。この著者は死から目を背けないノンフィクション作家だということを一瞬忘れてた・・・。

この本では、さまざまな紙のことが書かれてるけど、文庫本などに使われる中性紙によって本の寿命が延びたことにも触れています。確かに、母が持っていた文庫本や私が小さい頃に買った文庫本は、紙が茶色に変色して、もろもろと弱ってる。物理的な本の寿命が長くなったけど、読み捨てられる割合は増えてるんじゃないかな・・・。

「エンジェルフライト」もこの本も、個人の生活を犠牲にして仕事に尽くす人たちの本です。精神的にも身体的にもフルタイムの仕事を続けられなくなってセミリタイアした私には、まぶしいような、心配なような気持ちもりますね・・・。

 

佐々涼子「エンジェル・フライト 国際霊柩送還士」921冊目

この著者の本を片っ端から読んでます。どれも面白い。事実に忠実で、かつ、事実に忠実であろうとしている自分を偽りなく書こうとしている姿勢が誠実です。折しもAmazonプライムビデオで米倉涼子主演のドラマが放映されるそうで、表紙がドラマバージョンになってます。

「エンド・オブ・ライフ」もそうだけど、この著者って「死」に興味を引かれているのかな。私自身けっこう長年「死」を知りたくて、看取り士という資格を取りに通い続けた時期もあったので、理由はともかく、知りたい気持ちはなんだか共感できます。亡くなった親しい人の死を悲しみつくさないと、その先に進めないのと同じように。

といってもこの本で丁寧にさぐられるのは、死そのものではなくて、遺族には大事な人の死んだ体をどうしてあげることが必要か、それを国際霊柩送還に携わる人たちがどのように行っているか、ということです。死にゆく人の気持ちでも、死そのものでもなく。

この本には、国際葬送の実際を知ることでほっとした部分と、それより深い死の世界のふちを回って戻ってきたような、知り尽くせなかった部分への意識があるように思えます。

それにしても、死者を新聞やテレビで扱うときに「変わり果てた姿」って言うのは何なんだろう。エンバーミングが発達してからは、一見いつものような姿なんだろうけど、それでも命のあるなしで全く別のものになることはわかる。この本ではこの表現は使ってないけど。

今は「死」にはもうあまり興味がなくて、具体的な「終活」のほうが興味あるな。最後にやらないといけない仕事がちゃんとわかって、備えが済んだら、南米のジャングルでも南極でも、安心して出かけられるような気がします・・・。