延江浩「J」1018冊目

この本の紹介をどこかで見たとき、すごく下世話で品のない本かなぁ、でも読んでみたい、と思った。読み終わった感想をいうと、思ったような下品さは全然ない本だった。この著者のことは全然知らないけど、もともとこういう純文学っぽい文章を書く人なんだろうか。それとも「J」に対する敬意で、いつもより品位のある文章を心がけたんだろうか?ファンの人から総バッシングを受けそうだけど、「J」自身の下世話な男性の話や同性に対するどろどろした妬みそねみに比べて、この本のほうがずっと上品だ。

瀬戸内寂聴の本はエッセイ本数冊、伝記数冊、性愛小説数冊を読んだ記憶があって、性愛小説以外は感動したものもあったけど、読み進みたくないと感じるものもあった。自分が聖人君子だというつもりは全然なくて、読み進みづらいのは自分の過去がよみがえってくるからかもしれないけど、ともかくこころよく読めないくらい、ぬるぬるした多数の触手にからめとられて嫌な気持ちになるような感覚があったんだよなぁ。。。

その触手に自分から身を投げてしまえば、その甘美さに夢中になってしまえるんだろうか?

この本は、「かの子繚乱」に似てる、というか、彼女自身が「かの子」だし、「母袋」は岡本一平のようだ。でも岸恵子の自伝的小説「わりなき恋」も、同じエピソードを別の作家が書いたんじゃないかと思うくらい似ている。

「かの子」にも「J」にもどこか少し反感をおぼえるのは、もしJと母袋のどちらになるかを選ぶとしたら、私はぜったいJだからかな。誰かに付き従う快感なんて一生共感できないと思う。自分の思い通りに人を振り回すことならできそうだけど、それが楽しいとも思えない気がするのは、憧れではなく、どこか身近なものとしてJやかの子を見てるからかもしれない。この先わたしはどんなババアになっていくんだろう・・・・。

朝倉秋成「六人の嘘つきな大学生」1017冊目

いや本当に、就職面接なんてやっても、人間のなにも見えやしないと思うよ。とくに内面は。外面のよさは、今後営業職をやらせる人ならある程度うまくやれるかどうかが面接でもわかると思うし、焼き魚をきれいに食べられるかどうかは、精密機械を扱うスタッフを採用するうえで重要なポイントです。ピンポイントで1項目をテストすることならできる。でも人物の”よしあし”なんて見られると思ったら大間違い。そもそも会社自身、自分たちが”いい会社かどうか”わかってないだろうし。

という以前に、この本全体を通じて、良い・悪いという判断基準が1本の偏ったものさしのようで、ものごとを判断するに際して「この場面ではAよりBがすぐれている」みたいな統計的、あるいは場面設定を行ったうえでの評価がない。誰かがすべての面においてすぐれているかどうかを、一場面で判断することなんて、人間でも神様でもそもそも不可能、っていうおおもとの認識がないのが怖いくらいだ。日本人は事実より感情に左右されると外国の新聞記者だか誰だかが言ったというのは、軸を決めずに判断しがちな傾向を言い換えたともいえるかもしれない。

はなからそう思って、就職はいままでずっと欠員補充の三次募集とか派遣からの社員登用とかでやってきた私のような人間は、面接官から見ればやる気もないし反応もにぶい「×」の候補者だったんだろうけど。

思うに、とてつもなく優秀な学生を、飛ぶ鳥も落とす勢いのITベンチャーが採用しても、あまりに突出しすぎて凡庸な上司と衝突してあっという間に辞めたかもしれない、というかその可能性がけっこう高いと思う。

語弊をおそれずにいうと、凡庸な社員や悪事をはたらく社員がいない中~大企業はない。就職が厳しくなると、その先にあるものが大きく見えるかもしれないけど、狭い門をくぐったところで、その先では、今自分たちがいるのと同じ人たちが何かやってるだけなのだ。口に出して言ってしまえば誰でも納得するようなこういう事実を、新卒の就職システムが見えなくしてるとしたら、大きな問題だし、私が学生にアドバイスをするとしたら、そんなもの避けて人気がないけどポテンシャルのある中小企業に入って自分で会社を大きくしろ、と言いたい。希望する有名企業に行きたければ、そこで出世してから中途で受けた方がいい。

ちなみに大学も、しばらく働いた後で社会人入試で入るほうがハードルが低いことがあるし、高専卒で入れる大学院もある。

自分自身の学歴職歴バイアスを棄てて、誰かが考えて広めた社会のシステムから降りなければ、そういうことも見えてこないのかも。「いい学校に行っていい企業に努めればお金も稼げて幸せになれる」というのも、「痩せてきれいになればいい男と結婚できてタワーマンションに住める」というようなマーケティングの成果なんだろうな。

この小説では、語り手が人間を諦めずに、誰もがミスを犯すけど性根のあたたかさを信じていることが救いですね。

ちなみに、そういうものに左右されずに自分の嗅覚だけで仕事を選んでやってきても、行きたいところに行ったり住みたいところに住むことはできる、ただ、「そういうもの」の中で暮らしている人とは話が合わなくなるので、友達は少なくなるよ、と経験から言わざるを得ないな。。。

 

追跡団火花「n番部屋を燃やし尽くせ」1016冊目

まず賞賛と激励の拍手。まだ若い韓国の女性二人が、のちに警察や人権団体のサポートを受けるとはいっても彼女たちだけで、ここまでの戦いを成し遂げたことに感動をおぼます。と同時に、「無事でよかった・・・」。日本と同様韓国も、正義を貫こうとするものたちに必ずしも優しい社会ではないと思うので、この先もずっとずっと無事でいてほしいと強く思います。

SNS 少女たちの10日間」というチェコの映画は、この本で彼女たちが「韓国でもできるようにしたい」と強く主張している”おとり捜査”でSNS上の未成年への性的搾取の実態を明らかにしたものでした。対象とされる年齢や、もしかしたら性別には差異があるかもしれないけど、性犯罪はたぶんどこの国にもある。加害者のことを考えるのであれば、立場を守ってあげることではなくて、なぜ犯罪に至るのか、どうやったら未然に違う方向に関心を向けさせられるか、という方向で考えていったほうがいいと思う。おそらくそれは性欲の強さとか遺伝子とかより、強い不満をどこにぶつけるか、という問題なんじゃないだろうか。加害の意識があるから、自分より弱いものに矛先が向く。それに、良いことより悪いことをするほうが、怒りや不満が強いときには気分がいいのかもしれない。犯罪心理学の世界なんだろうな、こういうのは。

弱い立場のもの、女性や未成年を守るために、彼女ら自身にやってほしいことと、社会全体ができること。両方あると思う。(これは、被害者自身にも社会全体と同様に非があるという意味では全然ありません)

とかいっても、自分自身は腰が引けている。私のような中年世代がもっと女性の権利のために戦ってこなかったから今がある、というのも事実で、胸が痛いんだけど、この世代の女性はたいがい、自分ひとりでセクハラとパワハラ(ときに犯罪と呼べるものも含めて)から身を隠す、逃げ切ることで精いっぱいだったんじゃないかとも思う。受けてしまった被害のことを忘れることも含めて。

正直なことをいうと、韓国のほうがまだ正常なんじゃないかと、この本を読みながら思った瞬間もありました。日本はみんな表面的にはいい人を装ってるけど、同じくらいひどいことがもっと平然とまるで何でもないことのように日常的に行われている怖さがある。

私(たち)はもう心のどこかで諦めているけど、若い人たちには未来を信じる力がある。だから物語のヒーローはいつも若者なのだ。私は私にもできることをして、彼女たちをサポートしていかなければ・・・。

 

坂本龍一「ぼくは、あと何回、満月を見るだろう」1015冊目

坂本龍一のことを私はたぶん、自分とかより”進化した人類”、目指すべきもの、と思っていて、どうやっても近づきようのない高みにいる存在だった。バッハとかモーツァルトみたいな。こんなに早く、ろうそくを吹き消すみたいにいなくなってしまって、ぽかんと途方に暮れたような状態になってました。これから何を見上げて暮らせばいいんだろう?

映画「怪物」を、彼がプロデュースした映画館で見たけど(大枚はたいて)、なんか墓場のような場所で、つめたい不在感が募るばかりでした。

この本もお通夜の続きみたいに、彼自身が作った「Funeral」プレイリストを流しながら読んでみたのですが、だんだん、冷え切った体に少しずつ赤みが戻ってきて、血が通って温かくなってきたような、坂本龍一の生々しい人間関係、熱い思いで取り組んだ活動、酒や女性、愛憎や放蕩が生き返っていきました。

訃報を聞いた瞬間に私のなかの坂本龍一は消滅してしまったけど、この本を読んでやっと、本人と話せたような気がする。死者として私を再訪している彼が、昔の作家みたいに、彼がかつて思ったことを語りかけてくれていた。優しい幽霊が来てくれたようなぬくもりを勝手に感じています。よかった。

人は死なないのかもしれない。(語弊あるけど)彼はもう人体を通じて満月を見ることはないけど、彼が残した大量の作品や記録も、彼が他の人たちの中に残したものも、地球中の質量の大きな割合を占めるほどなのだ。たぶん。

 

今井むつみ・秋田喜美「言語の本質」1014冊目

見た目もタイトルも、おそろしく地味。ためにはなるけど堅くてあまり面白くない本・・・に見えます。最初のほうは私もそう思って読んでいました。私は言語にふだんから興味のある方だから、オノマトペだけでぐいぐい読めるけど・・・って。

書きぶりも、面白さ重視じゃないんですよ。まさかこの本が、中盤から劇的に面白くなるとは。

この本自体が誠実な学者による論文のような、仮説と、それを証明するためのかっちりとした検証の繰り返しです。この検証実験がね、いい。言語をまだ習得していない8カ月の赤ちゃんに、必要なアイテムを仕込んだ動画を見せて、その視線をたどって習得度合いを測るとか、効果測定の前提がいちいち納得感あるんですよね。対照実験としてチンパンジーに同じ実験をするとか。総体としてはチンパンジーアブダクション能力はないけど、一匹だけ人間と同じ能力の可能性を見せた個体がいた、とか。

言語学を教科書だけでかじった者としては、チョムスキー生成文法って何だろう、人間だけが言語獲得装置を生まれ持っているってほんとかな、などまったく半信半疑のまま生きてきたんだけど、その言語獲得装置というのは、この本のなかで証明された「AはXである」から「XはAである」という対称的推論を行う能力のことだったってことか、とちょっと乱暴に納得してしまったのでした。人間がもつ言語習得能力は、人間とそれ以外の動物を決定的に分けたけど、その能力があることで「逆もまた真」と思い込みすぎることで、人間は先入観や偏見をも性質として生まれ持ってしまったのかもしれないですね。。。

いろんなことがつながった、ミッシング・リンクが可視化された、という気がして、小さな研究かもしれないけど、こういうのにノーベル賞とか上げてほしい気がするのでした。この本がベストセラーということは、日本の読書家って捨てたもんじゃないんじゃない?

 

うかうか「それゆけ犬HK」1013冊目

NHK、それも大河とか朝ドラじゃなくて、「ドキュメント72時間」とか「100分de名著」とか語りだす人、たまにいます。「ピタゴラスイッチ」と「みんなのうた」が好きな人とか・・・料理と体操が好きな人とか・・・

この著者もきっとそういう人なんだろう。だって、どの番組も細部までよーく知り抜いてるから。それに、愛があふれてるから。ぜんぜん魚を調理できない「こいぬ山イヌ代」先生とか・・・こいつはチワワか何かか。小さすぎるだろ。この「愛」はNHKに対するものか、それとも犬に対するものか。

ふだんはこの著者、こいつみたいな小さい犬のマンガを描いてるのね。犬好きな人って柴犬とか好きな人が多いと思ってたけど、この人は小さい犬や、大きくてものんびりした犬が好きなのかな。犬型人間=統制を好む、軍隊型、スパルタ、とか連想してしまうけど、いろんな人がいるのだ。当たり前か、猫でも長毛種好きとか三毛好きとかいろいろだもんな・・・。

「世界へも歩き」の「へも(猫?)」は猫よりカマドウマに似てて、猫派の私も可愛いと思えなかったんだけど、あれは何だったんだろう。

でも一番受けたのは、朝ドラ「ちくわん」の途中に入ってくるニュース速報。まっさきに速報を出して、どんな番組よりもニュースを優先するのがNHK。朝ドラは毎日やってるから、速報が入り込むことも多い。とうとうメジャーな番組が出た!と思ったら、ニュース速報で終わってしまった。速報までよく見てないと、このマンガは描けないわ・・・。

面白かったです。この本を私に回してくれた人に感謝。

 

國友公司「ルポ歌舞伎町」1012冊目

あー面白かった。著者のTwitterで、この本がAmazonプライム会員なら「読み放題」(つまり追加料金なし)で読めることを知ってすぐにKindleにダウンロードし、あっという間に読み切ってしまいました。

この人の本は、やくざの世界をやたらと残虐に、あるいは美しく描くことがなくて、ふつうの自分が恐る恐る、好奇心に導かれて、ずんずんと奥へ入って観察を深めていくその視点がフラットで、とても自然に読めるんですよね。

思えば自分も、小さい頃からアンダーグラウンドの世界に興味をもっていました。悪いことが好きというのではなくて、知らないことを知りたいという知的好奇心が強すぎた半生でしたが、今その頃を思い返すと、「危ないからそっちに行くな!」と自分に言ってやりたいような気がします。

今はこうやって安全な自宅でこの本を読んでいるわけですが、もう40年も前になるのか、田舎から大学進学で上京してきたのは。西武新宿駅を使っていたので学生時代は歌舞伎町を通ることも多かった。バンド仲間に誘われて、カラオケ館の入ってるビルの地下のスタジオで夜中に練習してたこともあった。ちょっとオシャレしてパーティなどに行った帰りには、駅の近くで「おねえさんこれから出勤?」とスカウトの人に声をかけられることもあった。慣れないメイクが濃すぎたのか?逆に、この本で書かれているように、どんな地味な女にも水商売に流れる可能性があるからか。

西武新宿の駅ビルの中の店で、友達の結婚式に着ていくドレスを見ていたとき、取り置きを勧められて、結局すごまれて買わされたこともあったな。飲み会で帰れなくなって(タクシーに乗るお金がない)歌舞伎町のマクドナルドで夜明かししたことも。今考えると、背伸びして貧乏じゃない振りをしたり、危ないところに足を踏み入れたりしないで、地味でまじめなお嬢さんをやっていたら、もう少し起伏のない安泰な一生だったかも、と思う(多分今だからそう思うんだろう)。

中年になってからは平気で歌舞伎町の奥のカフェにも出かけていくし、特にオシャレもせずに歌舞伎町タワーの地下のクラブに行くのも平気だ。ひりひりした心を抱えた歌舞伎町の女の子たちに、こんな平穏な老後もあると教えてあげたいくらいだ。(そんなババアになんかなりたくないよ!って思うんだろうけど)

コマ劇場には、上京してすぐ読売新聞を購読した友達が、島田陽子主演のミュージカルのチケットをもらったというので一緒に見に行ったんじゃなかったかな。広場をはさんで向かいのビルに「リキッドルーム」というライブハウスがあって、G.Love &Special Sauceとか見に行った。同じ大学の友達は日比谷とか東京とかの会社に入って、いつまでも新宿に入り浸っている私はなんとなくイケてない感じだったけど、当時から今に至るまで、新宿が私のホームなんだよな。きっとこれからも。

ボランティアで知り合った人が、ある土曜日に、これからトー横の女の子たちの様子を見に行くって言ってた。若さは高く売れる。逆にいうとどんな女でも生まれつき持ってるものは若さしかない。それ以外の部分は、あせらず自分で積み重ねて作っていくしかないんだよね。どんなに冷静でいるつもりでも、承認欲求や、自分を嫌う感情がひどく強いときの自分は、すこしヤバい心理状態なんだと自覚したほうがいい。自分を見失ってる子たちに、私が何かしてあげられることはあるんだろうか・・・。それとも、何もないんだろうか。なんて考えてしまうのでした。