津村記久子「ポトスライムの舟」1170冊目

そうか、「水車小屋のネネ」を書いた人か。あの本は好きだった。水車小屋のある世界が。そして「君はそいつらより永遠に若い」も、胸をチクチクと刺されながら静かに見た。

この本の表題作、芥川賞を受賞した「ポトスライムの舟」は、解説に書かれていたように、べったりとした私小説にならず、ちょっと自嘲的に見えるような苗字カタカナ書きの、一人称なのか三人称なのかはっきりしない呼称で、視点をぼかしたまま進みます。この世界では、工場勤務と友人のカフェの手伝い、パソコン教室の講師、という3つの仕事をかけもちで続けて、自分が疲弊していることに気づかない、まだ若い女性が主役。彼女が母と二人で暮らす広い家には、困り果てた友人が来てしばらく暮らしたりする。この世界もまた、ゆるく優しくてしずか。ほんとに、みんなこんな風に優しく過ごせばいいのに。

一方でもうひとつの収録策「十二月の窓辺」は痛い。ひどいパワハラで、クビにならないのが不思議なほどの上司に、執拗にいじめられる女性がいて、何を言われても自分を責める方向にしか考えがいかない。同じ目にあったことはないけど、これ私?と思いながら読む人も多いんじゃないかな。自己肯定感が低いまま大人になってしまうと、誰かに怒鳴られてまず、そうか、と思う。助かるには逃げる以外に方法はない。自己肯定感の低さは、危機管理能力にもつながるんだけど、どこの会社のどこの上司も、根拠のない自信で堂々としている者を重用しがちなんじゃないかと思う。たぶんみんな自分の判断力に自信がないから、それっぽいものを選ぶんだろう。

加害者には被害者の痛みがわからない。たいがいの人が、自分こそ被害者だと思ってたりする。自分の気持ちも考えてくれない人には何を言ってもいいと思っている。イメージの中の自分はまだ小さい子どもで、怒鳴る相手は無神経な大きな大人、かもしれない。相手は話してもわからないし、周囲の人は自分を守り続けたいと思っている。とどまれ、がんばれ、と説得を試みる人たちをそのまま置いといて、すぐに逃げろ。その不毛なレースから一刻も早く降りろ。

 

グレゴリー・ケズナジャット「トラジェクトリー」1169冊目

日本在住で日本語で小説を書いているアメリカ出身の作家といえば、リービ英雄をだいぶ前に読んだ記憶があります。この人もそう。トラジェクトリーって何だろう。Google翻訳は「軌道」と訳しました。惑星の移動ルートとか。何か重いものが、さらに重い大きなものに引っ張られてずるずると動くイメージかな。この小説の主人公、名古屋の英会話スクールで働くブランドンは、現在に満足しているわけではないけど、なかなか動き出せずにいる。そういう状態もトラジェクトリーなんだろうか。

もうひとつ、やたら講師に当たりたがる初老の生徒カワムラさんが書いてくる日記にも、衛星の話が出てくる。彼の存在も重く長い間この英会話スクールにはりついていたようだった。

でもやがてどちらも、軌道から外れて自由な粒子となってどこかへ飛び出してしまう。

…私は今日本語を教える仕事をしているので、雇われ英語教師の生活そのものが興味深かったし、外国である日本で暮らす生徒にも重ねて考えるものがありました。

もう一つの収録作品は「汽水」。汽水域の汽水か。海水と淡水が交じり合うところ。この作品の主人公チャーリーはアメリカ南部出身で、日本の大学のスタッフとして働いている。ニューオーリンズに出張で数日滞在し、”留学フェア”の出展者として、アシスタント的な業務を行う。これも、もしエッセイとして書かれていたとしても私には興味深い内容だな。私は海外には最大で6か月しか滞在したことはなくて、常にやがて帰ることが頭にあったけど、それでもロンドンのフラットのベッドで(私なんでこんな遠くまで来ちゃったんだろう?)と、なにか実在的不安みたいなものを感じて、あしもとがぐらぐらするような感覚をもったことはある。私は九州のいなかの出身で、両親はその県の山奥から市内に出てきて暮らしていたので、自分が東京でずっと暮らしていることさえ、そのころは不安材料だった。東京生活はとうとう九州の生活の倍の長さになってしまって、たくさん世界じゅうを旅行したのは、もしかしたらそういう場所の不安を乗り越えるためもあったのかもしれない。怖いから行く。一度土を踏んだ場所なら、故郷から、故国からの足跡がちゃんとつながってる、みたいな。今ならどこに住んでも自分は自分だと思える気がします。この人の主人公たちは、故郷と日本のほかの国にはほとんど行ってないから、世界を歩き回っていなくて、だから実存的不安みたいなものが続いてるのかしら。とか思ったりしました。

 

平野啓一郎「富士山」1168冊目

面白かった。読む前からなぜか「東京タワー」みたいな、私小説っぽい感傷のある小説かと思って、いらいらしてないときに読もうと数日寝かせてしまったけど、全然そんなんじゃなかった。登場人物たちはわりとぐだぐだ考えあぐねるんだけど、それほど粘着質ではないし、だいいち短編集だ(中編集のほうが合ってるかな)。

「富士山」はマッチングアプリで出会ってちょこっとだけ付き合った男について回想する。「息吹」は大腸がんがたまたま見つかったか、見つからなかったか、というパラレルワールドが展開する。これ読んだ人の何割かは、検診を申し込むんじゃないか(私も真剣に調べ始めた)。「鏡と(ドガの)自画像」は、「金閣寺」の主人公が現代に転生したみたい。「手先が器用」は、ここまでこの本でずっと書かれていたような気がする、悪い因果応報とは逆の、ほっとするような短編。で最後の「ストレス・フリー」は、私も若いころはけっこうイライラして親しい人たちに本気で転嫁してしまっていたなと思い返す。今の私はストレスフリーなルーシーに近い。フルタイムの仕事をしてないことで、確実に精神衛生が向上してる。

なんとなく、この著者とはあまり相性が良くないんじゃないかと不安だったけど、面白く読めました。(「あの本読みました?」に何度か出てたし、私の中では「テレビに出てる人っ」ていうイメージになってきてる)

 

岸本佐知子「気になる部分」1167冊目

どこかで紹介されていた本。知らずに読んだんだけど、この方、私の愛読しているニコルソン・ベイカーの翻訳者なのか。確かに彼と似通ったものの見方をしてる気がする。でも私が1992年に最初に読んだ「VOX」は原書で、自分としては語学力不足や幼さもあったと思うけど、可笑しいというより、ちょっといやらしい禁断の書を読んでしまった気分でした。この時期ちょっとロンドンにいて、ブッククラブという本の通販に申し込んだらこれが送られてきたような。最後まで読んだだけでもよくがんばった。その後たまにニコルソン・ベイカーのことを思い出して翻訳をちょくちょく読んでいて、「中二階」は本の感想を書き始める前に読み、その後「フェルマータ」も「U&I」も「ノリーのおわらない物語」も岸本さんの翻訳で読んでました。違和感がまったくなく、やわらかい翻訳だった記憶があります。「U&I」のあとに元ネタのジョン・アップダイク「アップダイクと私」も読んだし、その元ネタのホルヘ・ルイス・ボルヘスボルヘスと私」も読んだ。この本、「気になる部分」に登場する作家は私も好きな人が多いし、岸本さんは確かに変わったおもしろい人だと思うけど、私は真顔で読んでしまった。多分ここも、ここも、笑うところなんだろうな、と何度も思いつつ。笑わないのは、可笑しいというより「なるほど」と思ってしまうからかな。あるいは、内容はすごく興味深いけど、岸本さんがものすごく読者を意識して緊張して書いてるのが伝わってくるからか。勝手な想像でしかないけど。

ニコルソン・ベイカー元気なのかな。その後また新しい本書いたかな。ロンドンのブッククラブって、まだ存在するんだろうか。。。

 

ハン・ガン「すべての、白いものたちの」1166冊目

菜食主義者」も美しい作品だけど、かなり痛々しい描写もあって、わりと激しいものを書く人なのかなと思ってました。でもこれは、ただただ美しくて、静か。音のない世界がひろがっています。

ありきたりのもの、雪とかみぞれとか蝶とか白い服とか、そういうものを描写する表現ってもう出尽くしてるんじゃないかと思ってたけど、今自分が幼い子供に戻って、初めて雪を触ったり蝶の動きに気づいたりしているような、ひりひりするような、敏感な状態にワープしてしまったような気持ちになります。全部の表現が、大人の自分が見てるのに、初めて見るように新鮮で。

この製本もいいですよね。白にはいろんな白があって、印刷用紙の場合色だけじゃなくて質感や厚さやインクの乗りもまるで違う。東日本大震災のとき、東北の製紙工場がしばらく稼働できなくなって、語学講座とかのテキストに、いつもと違う紙を使わざるを得なかったことがあって、並べたときにその月だけ目立つ、という状況があったのを思い出しました。それを確信犯的にやったのがこの本。コンテンツの区切りと紙が変わるタイミングは関係なくて、全体として紙が違うことをあじわいながら、別の頭で中身を読む。

この本は、一度読んで共感しても、多分すぐ忘れてしまう。今までになさすぎて、何かとの連想で記憶できない。だから手元に置いて、そういう新鮮な気持ちを思い出すためにときどき取り出して読んでみるのがよさそう。この「今までにない」感じが、世界の人たちにとって新鮮で、ノーベル文学賞っていう決断につながったのかな。

ベストセラー以外の海外の作品を読むのは、翻訳ばかり読んでる私にはなかなかチャンスがないので、エンタメどまんなかじゃないこういう作品を知ることができてほんとによかったなぁと思っています。

 

上田岳弘「関係のないこと」1165冊目

この著者の作品、3冊目です。

この人の本って、刺激もあるんだけど、どこか繭の中に包まれてるようで、危険を感じないで少し距離を保って読めて、快適なんです。体温が自分に近いような。

1つずつ書いてみます。

片翅の蝶・・・兄が離婚したけど、子どもを引き取って育てている元義理の姉とは連絡をとりあっている。子どもが残していったサナギが羽化して、男はその様子をマメに子どもに連絡する。彼がついた小さなウソは、子どものためにがんばったように見えるけど、それとは全然関係なくて、何か足りてない男が自分の何かを埋めようとしたようにも見えます。

下品な男・・・たまたま入ったバーで話しかけてきた下品な男。下品というのは面白くもない、ちょっと不快なだけの下ネタをまぜて話をしたがる。これ面白い。謎に下品で自慢話の多いおじさんっていたな。ちょっと度を超えてるんだけど、このまままあまあ勝ち続けていくつもりなんだろうか、いけるもんなんだろうか、心配なような、あまり関わりたくないような気持ちでいたけど、今になってみるとちょっと懐かしい。

関係のないこと・・・学生時代の”スクールカースト”のちょっと上めにいたやつと、そいつがカジュアルに見下していたやつ。数年後に出会ってもみんなそれを引きずっているような。なんとなく不安で、ちょっとイヤな感じ。

扉・・・「たぶん結婚することになる男」といるんだけど、そいつと結婚するために何かアクションをとるわけではなく、自分は運命の波に乗っかって流れている。強い意志を見せず、観察者の視点で主役をつとめるのが、この人の作品の主役なんだなぁ。

おそらくは、たぶん・・・「下品な男」のバーだろうか、全然関係ない別の店だろうか。そもそも、こういうバーに一人でお酒を飲みに行くことが若い頃はあったけど、今はなくて、バーに行ったときのお酒の香りやけだるい快適さをもう忘れかけてる。そういうのを思い出しながら読んでも、なんかちょっと懐かしいような快適さがあります。

 

新川帆立「魔法律学校の麗人執事 1 ウェルカム・トゥー・マジックローアカデミー」1164冊目

「あの本、読みました?」で著者本人が紹介していたのを見て読んで、いや、聴いてみました。これはAudible向きだな。若くて生き生きとした登場人物たちの群像劇は聞きやすくて楽しい。

”魔法律”ってのが…私は素人だけど企業の法務部にわりと長くいたので、悪魔と契約するためのエリート学校ってなんだよとか、無権代理だとか、なんでそんなに文言に縛られるんだ、すべての契約より優先される憲法とか民法はこの世界には存在しないのか、とか思い出したりニヤニヤしたりしながら聴きました。きっと法律の世界あるある何だろうな(一部は)。

男装の麗人が本当に男性としてまかり通るのは小説マジックだからいいの。きゃしゃなのに強すぎる執事の椿ちゃんがいたいけでつい応援してしまうし、冷酷なマリスも根はいい奴に決まってるのでどこか可愛い。

余暇に疲れをいやしてもらいながら楽しむのって、こういうのだよな…。

続編が次々と書かれているけどまだ出版すらされてないので、おいおいまた読みましょう。

Kindleにはリンク張れるけど、Audibeのはないんだなー)