鈴木光司「ユビキタス」1190冊目

これも「あの本読みました?」から。

「リング」「らせん」etc.の映画はいくつも見たけど、もしかして原作を読むのは初めてかも。(※これがドラマや映画化されるかどうかは不明)

番組でも、「植物が!?」って話が出てましたが、ほんとに植物の隠された力が強大な世界です。語り口はものすごく強引な箇所も多いけど、熱量はすごく伝わってくるし、これだけあらゆる種類のフィクションが出そろってる状況にあって、アイデアはとても新鮮。映像化したらかなり楽しめそうです。

…というか、この小説に限らないのですが、登場人物がたくさん出てくる作品でキャラクターをしっかり想像しつつ読み進めるのは難しい。容姿について詳細に書いていなくても性格がわかりやすいと、途中で人物像がごっちゃにならずに済むのですが、この小説でも私はちょっと混乱してしまいました。だから映像だとありがたいです。植物に由来する緑色が随所に現れるのを、実写で見てみたいな、という気持ちもあります。特に最後の最後に生まれる不思議な生き物の造形を見てみたいです。

 

千葉雅也「センスの哲学」1189冊目

若いころは、雑誌に載っていない自分なりの服選びや、友だちの知らないミュージシャンを激しく推してることとかに確信を持ってたけど、それから何十年もたって、今は洋服は”無難で手ごろなもの”を選び、映画は片っ端からなんでも見る、本も最近はベストセラーをたくさん読む。音楽はもはや、昔好きだったものも聞かない。…という、自己はどこにあるんだ?私のセンスなんて存在するのか?と言いたくなるような生活になっていることが不安に思えてきて、この本を読んでみました。

書いてあることは、難しげだけど、ちゃんと読めば意味はわかる。でも、私がイメージしていたのとすごく違っていて、すごく読みづらかったです。何を期待してたんだ?私は。同意できるかどうかにかかわらず、センスとはこういうものだという定義から始まるような本?…多分そうなんだな。ファッション雑誌の表紙を飾るようなスタイリストは、どういう選択眼でそれを選んでいたか、というノンフィクションのようなものとか。

書けば書くほど、私の期待のほうがうすっぺらな感じがしてきます。

でも、書いてあることは理解できました。自分が最初にいいと思った絵や本や音楽に立ち返って、自分が何を選んできたのか考え直してみてもいいのかもしれません。そう考えてみると、今でも好きだな。マグリットとか。アガサ・クリスティとか。チープ・トリックとか。(時代がわかるな)

誰がなんと言おうと、今でもアメリカのおじいさん兄弟デュオのライブには行くけど、昔から自分が好きなものを人に勧めることはなかった。でも「これだ」と思える服はひとつもない。昔も今も、選べるものと選べないものがある。いくら選択肢があっても迷わずに即決できるものと、どうでもいい中から何を選ぶか迷い続けるもの。

人生もだんだん残り少なくなってきて(病気とか問題があるわけじゃないけど)、限られた時間のなかで、あと何ができるか?と考えると、少しは判断するパワーが出てくるかな。自分が一番好きな、こうありたいと思う自分でありつづけるために。

 

 

 

高野秀行「ミャンマーの柳生一族」1188冊目

この著者の本は10冊以上読んでますが、2006年、20年も前に書かれたこれはずっと未読でした。なんでかというと、時代劇や歴史にあまりにもうとくて、「柳生」とタイトルにつくドラマや小説は一生ずっと避けてきたから。でも柳生をまったく知らずに読んでも面白かったです。船戸与一氏の描写も面白いし、違法な出入国を繰り返してるのも面白いし…。仕事の合間とかに、都心のおしゃれなカフェとかで読んでも「ぶっ!」と吹き出したりして。

「アヘン王国」も「西南シルクロード」も読んだけど、今回初めてミャンマーという国をイメージしながら読めたのは、国内のミャンマー料理店に行ったり、ミャンマーから来た人たちと話すことが多くなって、イメージしやすくなったから。ミャンマーの人たちって、東南アジア的なオープンな明るさがあるだけじゃなくて、”目上”の人にビビらないたくましさとか自信みたいなものを感じることが多くて、いいなと思ったことが何度もありました。ミャンマーってどんなところなんだろう。行ってみたいな、という気持ちが高まりますね。

昔の作品ほど、著者が笑いのツボを意識した書き方をしてるように感じます…。でも一番好きなのは「納豆シリーズ」だな。(歴史より食い気、なので)

 

峰月響介「謎屋珈琲店 21番目の挑戦」1187冊目

作りとしては、最近見かける、お店を舞台にした連作なのですが、書いた人がなんと、実在の金沢の謎屋珈琲店の店主!

東京にも2店目がありまして、そっちは何度か行ったことがあります。無料で解いていい気軽な謎から、長文を読み解く必要のある本格的な謎まで、通い始めたら止まらない沼のような店です!コーヒーも美味しいけどパフェもかわいくて美味しい!

とはいえ仕事もしなきゃいけないし、ちょっと家から遠いので滅多に行けないのですが、ひまになったらやりたいことリストに常に「謎屋に行く」は入れっぱなしになっています。

そんなわけで、店からのLINE通知でこの本のことを知って早速読んでみました。

物語性が強いですね。いつもの謎は基本的に、単発のクイズが続く感じですが、完全にミステリー小説です。こういうのまで手掛ける人なんですね…。うらやましい。(大変だろうなとは思いつつ)自信をもってコーヒーの自家焙煎と抽出をやりつつ、楽しませる仕組みまで実現し…おまけに小説まで。憧れますね~

実際の店舗に行ったことがあると、ついつい、現実と物語を混同してしまいそうです。違うとわかっているのに。そんな妄想をしてしまうのも、楽しみの一つかもしれませんが、お店に迷惑をかけないよう、心の中だけにしておこうと思います。

この続きも読みたいな~!

 

鈴木結生「携帯遺産」1186冊目

面白かったけど、前作同様、読みづらさはあります。今回は、ネーミングではあまりひっかからなかったけど、この本を読むうえで持つべき知識というか”教養”のレベル要件が高すぎて、(そんなこと普通に話されても…)と思いながら読み進むしかありません。いいんだけど、山のような脚注が欲しいような気もする。(cf.バブル期の田中康夫「なんとなくクリスタル」)

前回はゲーテについて調べまくる小説で、登場人物は男性多めだったと思うけど、今回は女性だらけです。書いているのは若い研究者の男性なのに、まったく違和感がなくて不思議。女性多めの家庭で育った人なのかな~。主人公の作家、その同居人、編集者、姉、母、それぞれが、彼女たちらしく誠実に生き方を模索する姿に共感します。

今回のテーマは、『自伝を書くべきか?書くとしたらどんな自伝を書けばいいのか?』が、一つの謎のように提示されます。こういうのもミステリーと呼んでいい気がしてきます。作家が探索するのは彼女が今までに読んできた数々の自伝や、編集者が送ってきた自伝、それから自分自身が何度も書いては一から書き直してきた日記や自伝のたぐい。その途上で編集者や姉との会話を深め、不在の父について思い、病気の母を訪ね、自分の内面に深くもぐりながらまた試行錯誤を続ける。大変なおしごとだな…。

そんな彼女たちなので、教養レベルが高すぎて、何度もいろんなことをググりながら読んでしまいます。しかし文中めったに誰も「それ何?」と訊かず、するする流れていく感じ、前作でも同じようなことを思ったけど、すごくアカデミックな家庭の一員にでもなったかのような不思議なあたたかさを感じてここちよい。※これ一瞬だからいいけど、本当にこの家族のだれかとずぶの素人が結婚したりしたら、ものすごく劣等感まみれになるはず…

でこの著者は、この先どういうものを書くんだろう?注釈なしでずっとこういう玄人向けっぽい本を書き続ける、とは限らないかも。前作でも今作でも、フィクションを書くというプレイを楽しんでるような感じがあって、ボルヘス「砂の本」みたいだけど、実験的という意味では、筒井康隆みたいな方向に進んでいくことだって可能。でも著者は今も、フィクションを生み出しつづけることを生業だと思ってない印象があるので、自分が書くものも含めてフィクションを斜め上から見ながら、ど真ん中の創作ではなくその周囲をずっと漂い続けるのかもしれません。

この本、注釈付きバージョンないかな。Kindleとかで。ざっと読み終わったあと、彼女たちの今までの文化的生活を深読みしながら読んでみたい気もします。

 

ミン・ジヒョン「僕の狂ったフェミ彼女」1185冊目

4年前に海外渡航をきっかけに泣く泣く分かれた男女が再会すると、彼女のほうは女っぽさを捨てたボーイッシュな格好でフェミニズム運動に打ち込むフェミニストになっていた。男のほうは基本的に以前のままで、社会的には普通かもしれないけど男尊女卑が習慣としてしみついている。

って、なんか最近見たなと思ったら「じゃあ、あんたが作ってみろよ」みたいだな。読み進めながらずっと、男性を啓もうする小説みたいだなぁと思ったり、この男ほんとに古臭い価値観だなぁとか、でも男が女を守ろうとするだけ日本よりいいんじゃないかと思ったりしてましたが、読み終わってみたら、彼女の方が気になり始めました。彼女が旅立つ彼に別れを告げたときの心境は?彼女のフェミニスト変化は、別れてからの4年間に起こったことなんだろうか。というより、時期を問わず、彼女がまったく今までと違う生き方をする決断にあたって、ひどく傷つくことがあったんだろうか。など余計な心配をしてしまったり。

日本ではさまざまな性的犯罪の際も女性側からのサポートは大きくならなかったような気がしています。黙る人も多いし、疑いがあっても確信や証拠がなければ人を糾弾したりできないのかもしれません。でもそれより、個人的に思っているのは、彼女たちはいまの立場に至るよりずっと前から身近すぎるほど性的犯罪に囲まれていて、それをどうこう言わないということを身に着けているのかな、ということ。何も言わない人たちの中の深い痛みのことが気になるけど、私がもし関係者であっても声を上げる勇気は出ないと思う。

子どもの頃は、みんなの努力によって世界を変えられると信じてたけど、そういうことばっかり言ってるとうとまれるだけで、今は何も変わらないのかもしれないと思ってる。でも、変えられると信じてる人の応援はしてる。自分のできないことをやれる人がいるって信じたいのかな。

 

張莉「五感で読む漢字」1184冊目

とっても面白い本でした。手元に置いて、ときどきまた気になる箇所を読み直したい。

日本でいま使われている漢字には、それぞれ元の意味があります。「漢和辞典」とか「漢字辞典」に書いてあるやつですね。中国出身の著者は、日本語を学ぶうえで、ある漢字の日本での意味と現代中国での意味の違いに注目し、特に”五感に関する語”に対象を絞って、日中の現代漢字での意味や、そうなるに至った変遷などを深堀りしています。

たとえば「聞」は日本ではもちろん耳で音を聞くことだけど、それは古代中国での意味がそのまま残ったもので、現代中国ではむしろ匂いをかぐことを指すことが多いとのこと。どのように漢字の意味が変わってきたかを追うのは、中国の社会や文化の変化を追うことでもあって、とても興味深いです。と同時に、簡体字と日本の今の漢字と旧字体をリンクさせなければ意味を読み解くこともできないし、甲骨文字にさかのぼる漢字の原初のかたちや由来を明らかにする必要もでてきます。すごく面白いけど、深すぎて難しい。だんだん本のあとの方になると、活字ひとつの中に納まりきれないんじゃないかと思うほど画数の多い漢字も出てきます。目が悪くなったのでちょっと違ってても区別もつかない。

とても面白い一方、深く読み込まないと理解できないので(理解できたときの「はっ!」は感動的)、薄さのわりに読むのに時間がかかる本です。そして、今、日本語を外国人(その多くが中国人)に教えている立場として、とても複雑な思いがわいてきます。文法の授業で例文を作っていると、中国の学生が「微妙」と覚えたてのことばを吐くのですが、私の例文作成能力はさておき、本来の漢字の意味が日本と中国ではもはや違うので、中国人が漢字にもつ感覚をベースにして日本語の語彙を学ぼうとするとドツボにはまるんじゃないかと心配になったりもします。

この間友人たち(非・日本語教育業界)から、「ら抜き言葉」など、”私たちが習ってきた正しい日本語”が若い世代を中心に乱れてきているという話を聞いてモヤモヤしたのは、私たちが数十年前に学んだ言葉ですら、これほど原義を大きく逸脱していることとも関連している気がします。

そもそも、学校で教える日本語は日本語の東京方言で、その「標準語」が日本中で公式言語のように扱われて久しいにもかかわらずあらゆる地方にはその方言も残っています。私の故郷では「ら入り言葉」を話す人はいなくて、方言では「ら抜き言葉」が標準なので、自分のもつ言語感覚で標準語の正解を導き出せるわけではありません。言語って学べば学ぶほど、ゆるやかで変わりやすく、正しさを追い求めるより変化を眺めて流れを知ることのほうが大切に思えてきます。

教科書に書いてある正しさにモヤモヤを感じたときに、またこの本を手に取って読み返してみたいなと思います。