安克昌「心の傷を癒すということ」1203冊目

この本のことは、少し前の「100分de名著」で見て知っていたけど、ちょっと怖くて読んでいませんでした。この番組の再放送まで全部見たのに。見ながら毎回泣いてたのに。怖くてというのは、私には震災による被害やトラウマは何一つないけど、思い出したくないことや、ほとんど誰にも話していないことが、私にもあるから。読むことによって、せっかく元気に暮らしているのに、海の底にいるような気持がよみがえってくるんじゃないかと、考えるともなく恐れていたということです。

でも読もうと思ったのは、これ実は私の本ではなくて、ある人のために「一万円選書」で選んでもらった中の一冊なんです。本人にプレゼントする前に、興味が強すぎて、先に読むことを了承してもらって読み始めてしまいました。本当はずっと読んでみたかったんだと思います。手元にあるのに読まないなんて。

読み始めてみると、倒れた高速道路や木造家屋密集地での大きな火災など、文章を読むと当時の情景が頭に浮かんでくるのですが、頭のどこかで阪神淡路大震災と東日本大震災が重なってひとつのもののようになっていることに気づきます。テレビで一日中ニュースを見ていたのは2011年で、1995年にはちょうど仕事の用事で法務局にいたのに、まるでどちらのときもデスクに並んだテレビからずっと緊急地震速報が鳴っていたような気になっています。1995年には東京の私のアパートは全く揺れず、2011年にはオフィスを駆けだして、猫が待つアパートまで歩いて何時間もかけて帰ったのに。

途中、読んでいて苦しくなる部分もあったけど、著者の優しさが全編に感じられて、読み通すことができました。でもそんな風に、自分もつらいのに人にやさしくし続けることの重荷を思うと、河村氏が文庫版解説につづった自責の念に共感してしまいます。つらいよね、でもやっぱり、できればいい人間でいたい。誰かの役にたつ人間になりたい。と思うのも、本能なんでしょうね。

 

池内紀 編「ちいさな桃源郷 山の雑誌アルプ傑作選」1202冊目

素敵な本でした!

昭和30年代から50年代にかけて(西暦1958~1983年)発行されていた、山の情報や写真の一切ない、山や自然に関するエッセイを掲載した文芸誌があって、その中から選んだ珠玉の(古い表現だけどほんとにそんな感じ)作品を集めたのが、これ。

膨大な数の人々が寄稿しているので、この本も30人以上の方の作品を収録してるのですが、それぞれの最後に書かれた著者たちの生年と没年を見ると、物故者のほうが多い。しかもこれは文庫本刊行時点の2003情報だと思うので、23年後の現在、ご存命の方はごくごく限られているはず。描かれた風景は50年も60年も前のもので、書いた人ももうこの世にはいない。読んでいて胸がいっぱいになります。美しすぎて。

でも多分、今の世代の人も山の暮らしや週末に出かける山のことをどこかで書いていて、あるいは映像などで発表していて、そのごく一部を50年後に誰かが読んで、切なくて暖かい気持ちになるのかもしれないですね。

長田弘「世界は一冊の本」1201冊目

なんとこれは詩集です。でもロマンチックな詩集でも自己否定の詩集でもありません。すごく普遍的に、地に足をつけて地球の自然のなかで無理をせずに生きていくための考え方を、しずかに主張しているような本。

字が大きくて文字数は少ないので、丁寧に読んだつもりでもあっという間だけど、頭の中に何かが残っていて、いつかまた、何か悩んだり迷ったりしたときに読み直してみたいなと感じます。そういうときに、迷いのない言葉で力をくれそうな。

何かを感じてそれを繊細な言葉でつづった「詩」ではないんですよ。哲学書みたいに、自分の考え、生き方についての主義主張を詩の形で書いたものです。

一度さらっと読んだだけでは価値が十分にはわからないし、けっこう断言口調なので、弱ってるときに癒してくれる本ではないけど、きっとこの本が必要になる日がくるだろうな…そんな本でした。

 

木内昇「茗荷谷の猫」1200冊目

なんとも不思議な味わいというか匂いというか。

すごく平凡な、ボンクラといってもいいような人たちが次々に現れて、イケてない人生を送っている。そのイケてなさや、わだかまってる様子といったら、まるで私たちみたいだ。

ただ、彼らはぱっとしないけど特別不運という感じではありません。むしろどこか強運の持ち主のようにも見えます。なんでもよくできる人が突然の不幸にみまわれるようなドラマチックな物語が目立つものですが、この短編集を読んで号泣する人も大笑いする人も、多分いないだろうなぁ。

面白かったけど、まだこの著者のことをつかみ切れていないので、直木賞受賞作も読んでみたいなと思います。

 

米澤穂信「黒牢城」1199冊目

この本、実は以前にも読もうとしたことがあったんだけど、序章が昔の文章っぽくて、歴史音痴の私はビビりあがってしまってあっという間に断念したのでした。

その後たまたま同じ著者の「小市民シリーズ」とかを読むようになって、まったく読みづらい点のないミステリー作家という認識に置き換えられてしまっていたのですが、改めて、そういえばこの人にはこんな作品もあった。よく読めばきっとすごく面白いはず。と思って再挑戦してみました。

やっぱり歴史のことはさっぱりだ。官兵衛が実在したことはドラマがあったので知ってたけど、この本は、もしかしたら、何も知らずに読んだから私にとっては完全にミステリーだったわけで、幸せな読者だったのかもしれません。読了後にネットで調べて、かなり史実に忠実な部分もあると知ってびっくりしました。

栗きんとんとかマカロンとかと文体が違いすぎる。構成や、人間の黒さを避けて通らない傾向とかは実は似てると思うけど。この本はまるで、歴史小説だけ何十年も書いてきた作家の作品みたいです。ミステリーもたっぷりあって、名探偵はまさかの獄中、かつ実在の人物っていう、いろんな新しさをちりばめているけど、ものすごく正統派という感じが強くて。

コスプレの天才、なんて言葉が浮かんできました。コスチュームじゃなくて文体のプレイだけど。

とりあえず次は、読みそびれてた冬期限定ボンボンショコラを読まなければ。

 

西條 奈加 「六つの村を越えて髭をなびかせる者」1198冊目

あー実にいい本だった。文庫本で475ページもある大作なんだけど、まったく飽きずに読ませます。この著者の「心淋し川」を以前読んだんだけど、あれもすごく地味なのに自分も横丁で一生を送ったような、ちょっと切なくあたたかい充足感のある本でした。

時代劇ではあるけど舞台は蝦夷でアイヌ語も多く登場します。エンタメ性もあるので、昨今の人気作品の流れで読む人もいるかもしれません。

この本の場合、”里芋に黒豆で2つ目をくっつけたような”素朴な容貌の最上徳内という主人公のまっすぐな誠実さにすぐにほだされて、彼と、彼が大切に思う人々の幸せを祈りながら先へ先へと読み急ぎます。

徳内って実在の人物なんですね。写真はないかもしれないけど肖像画は残っていて。この本の中の彼はかなり、日本人が愛する典型的、あるいは理想的な日本人像だなと思います。すごく頭がいいけど身近な人々への愛の方が先に立つ。欲がなく腰が低く、涙もろい。自分が得をするための計算ができないので、周囲の頭のいい人たちがつい手を差し伸べてしまう。…差し伸べるほうの人がいる前提でなければ、ここまでのお人よしは名を遺す機会もないだろうなぁ。

 

川原繁人「フリースタイル言語学」1197冊目

すごく面白かったし、読み終わってなんだか満ち足りた気持ちになりました。いい本だ!

言語学は、数十年前に英文学科に入った私が4年間つまづき続けた学問で、あの4年間に学んだことは何一つ思い出せない、というより、4年間ちんぷんかんぷんなままだったという苦い記憶しかありません。

でもその後IT企業に入ったとき、当時は生成AIなんてないので”機械翻訳”の関係で、言語学をやっておけばよかったと思い(情報処理の専門家でなく英文科卒でも、言語学経験者には研究職の枠があった)、今は日本語教師としてやっていくうえで、なんでせっかくの言語学のチャンスを逃したんだろうと残念な気持ちです。

なぜそうなったかというと、川原先生や彼の師のみなさんのような先生に出会えなかった、というのも一因かもしれません。(というふうに人のせいにしたいくらい忸怩たる思い)

最先端だったり非常に高度だったりする学問って、専門用語をたくさん使って難しそうに語ることが大事なんじゃないですよね。この本がこんなに面白くてもわかりやすくても、著者の研究の専門性はきわめて高いのです。

この本を読んだきっかけは「スイッチXインタビュー」で上白石萌音が選んだのがこの著者で、対談があまりにも面白かったからです。いい本との出会いって本当に幸せ。

面白い本として読んだものを、自分の生活や仕事に生かさなくても構わないと思うけど、仕事に生かすとすれば、大人の生活者の方々に日本語を教える際に噴出する質問に対する答えの参考になりそうです。「いっぽん、にほん、さんぼん ってなぜ全部「ほん」じゃなくてそれぞれ違うの?」…日本語学校の生徒には時間とボリュームの都合で「いいから覚えてください」と言ってしまうかもしれないけど、1:1でじっくり教えている大人のみなさんの質問には答えないわけにはいきません。たぶんこの質問の答えはちゃんとこの本に出てました。もう一度読み返して、メモくらいは取っておかなければ…。