Lawrence Lessig講演会

http://www.nii.ac.jp/intsympo/05/top.html これに行って来ました。

レッシグといえば、あれですよ、あれ。Creative Commonsでなんか新しい著作権表示を推奨してる人。

というより、あの、タイプ文字が暗闇から次々に浮かび上がるスライドを始めた人。(30分の講演で240枚、みたいな)

で、なんだかいろんなことに警鐘を鳴らしてる人。(ああ、相変わらずわたしのこういう表現は身もフタもないですね、、)

とにかく、生レッシグの生講演がタダで聴けるというので、いてもたってもいられずに申し込みました。ミーハーです。クリステンセンのときと同じ行動です。

(参考) http://ittousai.org/mt/archives/2003_04/free_culture.html ←このときとテーマはほぼ同じ。でも状況の変化に応じているのか、引用した例が違ってたし、イラストなんかもガンガンUpdateしてました。

おおざっぱな内容:

昔は、誰かが作った歌や文章はRead & Writeだった。つまり、口伝えで伝承されるうちに、さらに追加されたり改変されたりして、変わっていくものだった。

しかし今は文化(culture)はRead Onlyになり、consumeされるばかり。

でもデジタル時代になり、また違った形でのRW cultureが生まれている:

例えば、音楽のremixや「AMV」=anime music video。(ありもののアニメのキャラクターの口の動きに合わせて音楽を流して、口パク状態にしたもの。ブッシュ大統領とブレア首相が口パクでEndless Loveを合唱するものとか・・・。)

残念なことにRW CultureはUSではillegalだし、著作権法のreformはほとんど不可能。元のartistと、RWを行ったartistがlawyerを介さずに話が出来る世の中にしたいものだ。

だから自分たちはCreative Commonsライセンスを提唱している。協力をお願いしたい。

・・・という感じです。

なんか・・・彼の言ってることは正しい。つい自分の職業上の立場が先に立ってしまうんだけど、心情的には共感します。

ちなみにBillGはLessigのことを「あの共産主義者(communist)」と呼んだらしい。なんか根に持ってるみたいでした。うーむ、わたしも仲間内で酒なんか飲むと、GPL共産主義だとか言ってるので、BIllの言うこともわかる。いっしょうけんめい工夫していい道具を作った人がそれで儲けることを否定されるってのは、資本主義の根本への挑戦にも思える。生活に困ってない人が余暇に何かを作るというシステムは、ありがたい人もいるけど、存在感が希薄なボランティア活動のような印象がある。なんとなく、責任を感じて会社を運営している人の商売にそういうやり方をもちこむことが、会社=資本主義を形にしたものに対する共産主義的なアプローチに見えて、違和感があるんだ。

(ちなみに、わたしは共産主義を否定する気持ちはぜんぜんないです。本当はみんなで助け合ってシェアしあう世界がもっとも美しいと思ってるけど、理想的な意味での共産主義はいままで地球上のどこでも実現してなくて、人間が人間の力でなしとげるのはすごく難しいと諦めて、資本主義前提でちょっとでもうまくいく方法を考えてます。)

で、この講演を聴いて、思った。

・たとえば工作機械や業務用ソフトウェアは、事務機の仲間であって、作ってる人も使ってる人も便利さにお金を払う必要を感じているものなので、勝手に模造品を作って売ることをやめさせたいのは当たり前だ。

・歌や小説や絵画はアーティストが作る芸術なので、それをappreciateすると同時にinspireして新しいものを生むことはとても大切。

この2つを全く同じ法律で全く同じ条件で縛ることに無理があったんじゃないのかなーと思った。もちろん、どこまでが芸術でどこからが商売道具かという境の判断は難しいけど、本当は、芸術権と商売道具権を分けて規定しておいて製作者が選択できるようにしておいた方がよかったんじゃないかね。

まぁ極論だけどさ。