R.P.ファインマン「ご冗談でしょう、ファインマンさん」(上)29

ノーベル賞をとった量子力学の権威、リチャード・ファインマンが、自分がいかに小さいころからユニークでイタズラ好きだったかを語る、軽妙なエッセイ集といったところです。凝り性で変わり者の科学者の生活が生き生きと描かれています。

教科書をそのまま理解できなければ、自分で勉強して書き直す。

ふむ。わたしもよく教科書が理解できないんですけど、てって的に研究し尽くして自分で書くとか、先生に議論をふっかけるようなことはしませんでした。ただ呆けて、わかんねーと思っていただけです。しかし、相手のいうことが理解できないときは、自分に問題がある場合もあれば、相手に問題がある場合もある。相手に問題があるということを証明できれば、自分の勝ちです。そこまでやれれば、わたしも今頃ちょっとはみんなに尊敬されるような人間になれていたのでしょか。

しかし、そこまで人とてってー的にぶつかるのは大変だ。たいがいの人は、感情的にでなく純粋に中身だけの議論をするのが苦手だし、やろうとしないとしても無理はない。ファインマンさんは、奥さんが結核で亡くなったときのことを、「一般的にそういうときに感じると思われる感情が自分にはなかった、家内の体に何が起こったかを考えていた」と書いています。あったかいとかつめたいということではなく、どういうときにも対象物を観察して分析しようとしてしまう、それに集中してしまう、というメンタリティが、ノーベル賞をとるほどの科学者なんだろうなぁと思います。「何ヶ月もたってから、ショーウィンドウの中に彼女が好きそうな服を見たときに、初めて激しい悲しみに襲われた」と彼は書いています。

ファインマンさんは、原爆の開発者です。世界中の頭脳を結集したロス・アラモス研究所で、まるでMicrosoftGoogleの若きデベロッパーのように無邪気に一生懸命に、彼らは研究開発を続けました。ときにイタズラをしたり、仲間を笑わせたりしながら。それが完成したときに、所内でささやかなパーティをやったのだそうです。自分も浮かれていたが、その中で1人だけ、自分は何てものを作ってしまったんだろうと沈んでいる人がいた、ということを彼はこのエッセイにちゃんと記しています。後でこれを書くときに、その人の反応について書き残しておくべきだと思ったのでしょう。

ファインマンさんは何度も日本に来ている親日家で、日本人にもファンが多いのだそうです。

・・・原爆の開発者だよ?

もちろん、彼が悪いんじゃないし、原爆を落としたエノラ・ゲイの操縦士が悪いんでもない。でも、中国や韓国やアラブ諸国の人たちと比べて、あまりにもあっさりしすぎている、という気もする。アメリカの会社にもう12年も勤めているわたしの昔の同僚に、長崎出身の人がいました。彼女のカウンターパートのアメリカ人のおじさんは、とってもいい人でした。「私はアメリカ人は嫌いだけど、あのおじさんは好きだ」という言い方を、彼女はよくしていました。なにかあるとすぐに「アメリカ人は嫌いだ・・・」というのを見て、アメリカの会社で仕事してるのに子供っぽいなぁとよく思ったけど、彼女にはどうしてもこだわり続けたいことがあったんだろうなぁ、と今は思う。

出張でアメリカから戻る飛行機の隣に、韓国の基地に赴任する、テキサスの素朴な若いソルジャーが乗ってて、話をしたことがあります。南部ナマリのひどい彼は、最初は家族の写真を嬉しそうに見せてくれたりしてはしゃいでたんだけど、日本に近づくにつれて、「本当は行きたくない」って、声もかけられないくらい沈み込んでしまった。

そういういうやさしい人たちが、爆弾を作ったり、それを落としたりしなきゃいけないのが戦争なんだ。戦争なんかしちゃいけません。

・・・あれ、そういう本じゃないんだっけ(笑)

下巻も読みます。課題もまだたくさんあるけどね、、、