竹中誉「日本IBM ICBMからの見事な軌跡」75

しまった~まだ感想書いてなかった。

帯に「18年間、椎名のもとでその手腕を直接体験し、北城へのバトンタッチを見届けた著者が語る、内側から見たIBMの成功の記録」と書いてあります。そういう本です。著者は退職後はIBMのスピンオフ、株式会社エル・ビー・エス(p18にそこでやっているアンケート調査結果のことが書いてある)を立ち上げ、現在会長です。特に日本に進出してくる外資系企業のサポートを主にやっているPR会社らしい。この本は1999年12月に発売されたので、ちょっと時間がたったかな、という気がします。

ちなみにタイトルの「ICBM」は、1950年代にIBMの工場建設をICBM(大陸間弾道弾)工場と間違えて、反対運動が起こった・・・というエピソードからきています。

以下例によってメモ。

まえがき。「外資への風当たりが弱まったようだが、今もまだある。」IBMの歴史を語るときに必ずでてくる話。外資というだけでイジワルされた、入れてもらえなかった、といった話です。(製薬会社も同じだ)DEC、TI、ユニシスなど、昔から日本にいる外資系企業の人に、昔と今で変わったかきいてみたいです。

p20 よそ者を容易に入れない日本人の意識。→これは結局ムラ意識なのかな。「強いものいじめならいくらやってもいい」みたいな。でも、これを国家レベルでガンガンやってる国もあって、そっちのほうが一般の人はハッピーなのかもしれない。

p22 外資の日本への参入障壁。90年代まではこれについて語ったものが多いですね。人材確保は今もむずかしいんだろうか?外資を目の仇にするのは日本の大企業では?IBMに育ててもらって感謝してる、っていうベンチャーの話をいくつも聞いたことがあります。立ち上げたばかりのベンチャーIBMがいい仕事をくれて、おかげで資金も得られるしスキルも上がって、いまや中堅、という。

外資の特徴は、実利を取るというところ。女性、コネなし、その他ハンディキャップのある人は差別が少ないから外資に求職していったけど、外資側には実を取るというメリットがあったと思う。

p24 経団連の部会 93年から95年。つい最近誰かが、「経団連である程度の地位を占めることが一流企業の条件みたいにいわれてきたけど、時代遅れだ」みたいなことを何かに書いてたな。実際どうなんでしょう。遠すぎてわからないや、、、

p26 ランドセルの色は男の子が黒、女の子が赤。そういう固定概念が日本には根付いているという話。長年そうだったけど、ここにきて急激に変わってきてますね。茶色、青、黄色、緑、ピンクなんて何種類もある。女の子に一番人気はもはや赤じゃなくてピンクらしい。

p27 日本人は「日本人とは」を考えるのが好き。ハハハ、まったくだ。駅前でバラバラに自己主張を続ける選挙候補者とストリート・ミュージシャンが目に浮かびます。自意識が強いのか、自信がないのか。

p64 1980年代に統計を取ったところ、在日の外資の実態は日本人が思ってるのと違う、という結果が出たらしい。たとえば会社都合の解雇は日本企業のほうが多いとか。・・・でも、人が期待してるのと違う結果なので、あまり大きく取り上げられなかったらしい。

p65 「日本アイ・ビー・エム社長の3つの特色」

1.社長は日本人。

2.社長の長期安定。

3.優れた後継者の人選。

IBMは徹底的な現地主義だと、椎名さんも書いてた。そう考えると、Asia pacificから独立してUS直轄になったのは、あんまりうれしい動きではないのかな。ちなみに某USのIT系企業の日本法人もある日US直轄になって、本社から社長がやってきたけど、それではうまくいかないと気づいたか?次の社長は今度は日本人らしい。

p69 揺籃期:稲垣、成長期:椎名、とフェーズで適任者が違うと分析している。Exactly!私のいう「イノベーター社長とMBA社長が適切な時期に交代するのがベスト」というのはそういうことです。

p75 椎名さんが考えた3つの重点施策。

第一重点施策・・・世界のIBMの優れた技術を日本へ。

第二重点施策・・・日本IBMを営業部隊でなく研究開発・製造を含む総合拠点に育て上げる。

三重点施策・・・日本の各界の企業と協力して、製造・サービス等を強化する。

・・・やっぱそうですよね・・・。

p81ノーベル科学賞を受賞した江崎玲於奈博士が、椎名さんをこう語ってる。 「椎名さんの功績は営業だけから研究・開発・製造・販売を包含する総合的な会社にしたこと。研究開発から製造まで持っているかどうかは、日本の顧客へのサービスという観点から天地の違いがある」。なるほど、すごいですねぇ。そうですよねぇ。

p124 日本IBMが日本に受け入れられるための委員会、1970年代はじめ。「ビジターからメンバーへ」と表現している。ここでも具体例として1972年の経団連の加入があげられている。

6章 産業スパイ事件。FBIのおとり捜査で、日本企業の社員がIBMの機密情報を盗んだとして訴えられた事件。

200人のアメリカ人が来日、コンレイデス氏と椎名でふんばって、最悪の事態を避け、イメージが地に落ちることなくのりきったのだそうです。

最近DECという会社が気になってます。2つのExcellent Companyのひとつが危機を乗り越え、ひとつが乗り越えられなかったのはなぜだろう?・・・DECの本も届いたらしいので、読み込んでみたいです。