枝川公一「シリコン・ヴァレー物語」116

調べ物のために借りて読んだ。

受け売りもあるのかもしれないけど、この本には私の知識を補ってくれる新情報がいっぱいありました。それに、色々な方面から見てきた半導体業界やPCの歴史を、初めて地図+年表をイメージしながら見ることができて、面白かったです。この本は手元に置いといてもいいかも・・・。

第1章

1849年にカリフォルニアでゴールド・ラッシュ

1885にスタンフォード大創立

スタンフォード大の土地が余ってたので工業団地を作った。

1939年にヒューレットとパッカードがHPを設立。

HPの歴史も読んでみたくなった。「HPウェイ シリコンバレーの夜明け」はどこの図書館にもあるし。

その当時、優秀な学生はみんなハーバードやMITに行くのが普通で、東海岸のestablishmentは西と対照的だったらしい。スタンフォードはその後努力した。

50年代にSRI=Stanford Research Instituteを設立。

HPとスタンフォードの”産学連携”成功例は、HPは社員をマスターにしたくて、学校は就職先が欲しい、という明確な需要と供給の関係だったらしい。研究成果を製品化・・・とは違うのだ。

第2章

半導体の父ショックリーはのちに、遺伝子学に深入りしすぎて、人種によって「悪い遺伝子」のため能力が違うという説を全米で説いて回って嫌われたらしい。ヒューレットとパッカードにベンチャーを立ち上げさせたターマン教授も、スタンフォードを一流の大学にすることに熱心で、それが逆に学歴重視主義としてシリコンバレーに残った、と著者は書いてます。

シリコンバレーでは「バーでもレストランでも、新技術をめぐる会話がつねに沸騰している」という。この本は1980年代以降の取材をもとに、1999年に出版されてるけど、今でもそうなのかな。技術よりビジネスの話が多そうな予感がするけど・・。

東対西というと、どうしても音楽のことを考えてしまう。HPができた1939年はまだ、「1001 Albums」によると世界初のアルバムすら発売されてません。カリフォルニア州Bakersfieldが、ロカビリーの拠点としてやっと50年代から60年代に発展したそうです。一方65年にすでにタコマにThe Sonicsというガレージパンクバンドがあったらしい。スウィート・ソウルのMotownはMotor Town=デトロイトGMやFordの車を製造してた人が聞き始めたわけだし、音楽と地域色は切っても切れないはず・・・。

ビーチボーイズの結成がカリフォルニア州ホーソンで1961年。ザッパが1965年、Doorsとジミヘン(シアトル出身)は1967年・・・て西ばっかりだ。Haights-Asubury(サンフランシスコ)で起こったフラワームーブメントが下火になった少しあと、1975年から77年にシリコンバレーでHomebrew Computer Clubが活動。

東はディラン、Velvet Underground・・・と、東だと知ってるミュージシャンばかりで、どこだか知らないUSのミュージシャンのうちWhiteはほとんど西のようだ。(FSFRichard Stallmanが東の人だという事実はちょっとびっくり)

おっと、そんなことはどうでもよくて。

第5章

Xerox PARCも名前のまま、パロアルトです。「アルト」が製品化できなかったのは、そのとき手に入る部材で安く作らなかったから。技術は完成に近かったんだから(機械翻訳やロボットと違って)、やりようがあっただろうと思う。現にAppleはだいぶ安く作れたわけだし。研究所で開発した技術を商品化するための「生産技術部」が組み立て製品やソフトでも必要なのでは?

知らなかったこと:

IBMMS-DOSをMSから買う契約をしたとき、IBM役員の一人がBillGママ(慈善活動で有名だった)と知り合いだった。

Xerox PARCにジョブズが見学に行けたのは、X社が製品化を期待してAppleに出資していた背景もあった。かつジョブズはUIのライセンスを求めたけど、断られたのでアラン・ケイを含めて人を引き抜いたらしい。・・・フェアチャイルド社とインテルの話みたいだなぁ。

終章

元SUNでJavaの名付け親で、その後マリンバ社でカスタネットという、Netscapeで採用されたソフトウェアを開発した、キム・ポレーゼという女性が1997年のTimeの「アメリカでもっとも影響のある25人」に取り上げられてたらしい。Wikiで出てこないのでネット検索したら、2004年のニュースで、Push technologyの開発者としてWeb 2.0カンファレンスで講演というのが見つかった。Pushについてはこの本ですでに(名前は違うけど)触れられてます。今はSpikeSourceっていうオープンソースソフトのサポートサービスをやる会社のCEOに就任して、活躍してるようです。http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20071206/288923/

p184 前回「G社にしかできないことが何かわからない」というひろゆき氏の談話について書きましたが、なぜSUNのワークステーションを買うかというと「それはビル・ジョイがいるから」らしい。

なぜ優秀なエンジニアがMSに集まるか、それはビルゲイツがいるからだ、という話を13年くらい前はみんな普通にしてました。人が会社の方針を決める。「色」というか。ThinkPadLenovoになってから明らかに変わった。・・・「モノではなくて人こそがSUNをSUNらしくしている」。

ホンダはトヨタではない。東芝は松下ではない。創業者のカラーは努力してもしなくても、少しずつ変化しながら受け継がれる。外国の企業は、社員に「互換性」があってあまり色がつきにくいと思ってたけど、そうでもないのかも。日本企業に勤める人より自我が強そうな人が多くて、会社に染まりにくいというイメージがあるだけかも。自分自身は会社員である前に自分だ、と思ってるだけかも。・・・最近そういう方向に考え直しています。

うげ、今回は無駄口ばかりで長すぎますね!失礼。