東野圭吾「殺人の門」147

4冊目。

感想。・・・夏目漱石「こころ」を思い出した。「殺人の門」ってくらいなんだから、「青春の門」とかを思い出すべきなのかもしれませんが、読んでないので、ごめん。

頭から最後まで、Stream of consciousness、男の内面の独白。そして「こころ」で男は自殺へと、「殺人の門」では殺人へと向かう。

東野圭吾の小説の主人公たちは、人をよくできた機械であると認識できるタイプの知性をもった人たちであり(整形外科医とかには必要な才能。)、人間の肉体を完璧にまで作り上げることに興味を持ち、それに心身ともに夢中になることをどこかで肯定してる。女性なら自分の肉体を使い、男性なら完璧に近い女性に対して果てしなく入れ込む。現実の人間は美を追求するために人を殺したりしないから、実現できないところをトコトン追求したのがこの人の小説・・・というのが私が前作までで理解したところです。マッド・サイエンティストの一種だな。

そしてこの作家は、ひとの肉体や行動だけでなく心の動きに対しても、そういう解剖学的な興味を深く持ち続けられる。善より悪に堕ちていく心の動きを知りつくしたいという強~い好奇心が、今回の小説を書かせたのかな。

ファム・ファタールは今回は小粒で脇役。整形やなんかで自分の外見を磨きを続けて年を経てますます美しく・・・という女性像は、美しい系のニュー・ハーフさんのようです。

ああ、それにつけても、読中感最低。もうこの作家の作品は読まない・・・と思ってAmazonのコメントを見たら、この本以外は面白いと書いてる人も多かった。やっぱそのうちまた読んでみるかな・・・。