村田喜代子「名文を書かない文章講座」154

怖い本を読んでしまいました。もう、今までのように軽い気持ちで駄ブログを書けません。この本は私のall-time愛読書になるでしょう。

私が敬愛する文章の達人 村田喜代子は、北九州在住の芥川賞作家であり、彼女の受賞作「鍋の中」は黒澤明「八月のラプソディ」の原作であります。彼女の文章にはいつも、こどものような新鮮で豊かな感受性が発揮されていて、かつよく練られており、読み終わるといつも、どこか遠くの異世界に連れていかれてぽんと放り出されたように感じます。

その大先生が地元の朝日カルチャーで文章講座を開いているという。地元の新聞に文章教室を連載しているという。なんで新宿でやってくれないんだ~とねたんでもしょうがないので、この本を読みました。すると、天衣無縫に見えた村田作品が、じつは練りに練られた職人の技だったという事実がじわじわとにじみでてきます。文中何度も引用されている「高校生のための文章読本」の一節に、”良い文章とは、自分にしか書けないことを、だれが読んでもわかるように書く”ことだ、というくだりがあります。悪文とはその逆に、誰にでも書けることを自分にしかわからないように書くこと・・・・。タイトルにあるように、かっこいい文章を書こうとすることを村田は徹底的に戒めます。

これが、図らずもビジネススクールで教える仕事のやりかたと同じなんだな。「素人のように考え、玄人のように行動しろ」。プロダクトアウトは自己満足の名文気取りで、マーケットインは読み手の立場になってものを書くこと。ただ、もう一歩この本が進んでいると思う点は、ビジネススクールの学生は「自分はプロだから素人の顧客を別に想定してものを作れ」と教わるんだけど、村田はあくまでも文章というのは身近なものだ、人に評価してもらうのではなく、自分がまず読者としての目を養い、自分が満足するような文章を書けるようになれ、という。

素晴らしい文章を書くことが製品開発より簡単だとは思わない。どんな製品でも使う側は素人(少なくとも、初めて使う人)を想定するべきだと思うし、逆に文章のよさをしっかり理解できる読者になるのはそう簡単でもない。ビジネスを教えるときも、まず自分が目の高い消費者になって、その自分を満足させられる製品を開発しろ、って言った方がいいんじゃないかなぁ。

村田はエッセイと小説の書き方は違う、とそれぞれを解説しています。ではブログは何だ?・・・私はこれは、いつか何かに使うつもりで書くメモやスクラップブックの類だと思ってます。このブログは、本を読んで心に残ったことを書き留めておくところ。だから人様にお見せできるような文章ではないんだけど、他人が本を読んだ感想を、メモでいいから、おしゃべりでいいから、見てみたいと思うことがあるので、もしかしたら自分以外にもそういう人がいるか・・・と思っています。しかしそれにしても、ただ思いついたことをダラダラと書いたり、偉そうに誰かをけなしたりしてはいけないなぁ・・・としみじみ思いました。ていねいに書き、ていねいに生活したいものです。

・・・今日はこのくらいで失礼します。(かしこまって)以上。