ヨリス・ライエンダイク「なぜ僕たちは金融街の人びとを嫌うのか?」442冊目

原題は「Swimming with Sharks: My Journey into the World of Bankers」、金融の海に飛び込んでサメどもと泳いでみた って感じでしょうか。

私はバブルまっただなかに大学を卒業し、成績優秀な学生の多くが金融に行った世代なんだけど、その後ベアリング、山一証券北海道拓殖銀行が破たんし、都銀がどんどん合併して、リーマンショックが起こり・・・というのを経験した世代でもあるので、金融って大変だなぁと思ってきたし、金融の人に対して好き嫌いの感情を持ったことはありません。なので、私にはまったくピンとこないタイトルなわけですが、他の人はどうなんでしょう。

前置きが長くなりましたが、感想としては、動かしてるものがお金でそのボリュームが膨大だという違いはあるけど、欧米式の大企業の中ってどこも同じような感じだなぁと思いました。
私がいたIT企業は、やってることは違うけど「クオンツ」のような人がいっぱいいたし、カンファレンスの壇上でカッコよくプレゼンをするPMは「ロックスター」に近い。法務や財務のバックオフィスの存在感はちょっと違うかな、IT企業の法務やコンプライアンスはけっこう力を持ってると思うので。何を売っているかが金融商品よりはわかりやすいし、紙幣を印刷するようにフロッピー(すみません古くて)をコピーしてすごい利益率をあげてたから、当局に目をつけられて独禁法の縛りも厳しかったんだよな・・・。

個人的には、当時「うちの会社って嫌われてるなー」という感じがかなりありました。つまり・・・「大丈夫、嫌われてたのは金融だけじゃないから!」(←なんか違う方向に行ってるw)。
嫌われるってことは、たとえば親が金融やITで豊かな生活をしている子どもが、学校でいじめられることもあるということでもあります。反感が強い人ほど、自分のいじめを正当化する力も強い。いい思いだけしてる人なんてそんなにいないんじゃないだろうか、というのが私の基本的な考えなんだけど、どうなんでしょう。

「1人1人を見るとどうしてこんなことになったのかわからないが、システムが悪いんだ。」と著者は村上春樹の小説みたいに締めくくるんだけど、システムというのは人間の欲望や善意や悪意が集まって出来てしまう「総意」のようなもので、規模が大きくなればなるほど自分で自分を縛って変化ができなくなるもんだ。金融業界の“巨悪”システムを切り崩すものが今後出てくるとしたら、別の巨大な“システム”である警察やら監督機関とかじゃなくて、もっと使いでが良くて手数料の少ない金融サービスを提供する、小規模で小さいビジネスによる、いわゆる破壊的イノベーションなんじゃないのかな。(それが巨大化してそのうちまた“システム”になる)

だからバブルには乗っかれ、という結論ではないです。バブルもイジメもない、ちょい貧しいけど平穏な世界に隠遁したい、というのが私の本音かな・・・。