高田好胤「心 いかに生きたらいいか」652冊目

図書館の「リサイクル本 ご自由にお持ち帰りください」コーナーにあったのを持って帰って読みました。この本は実家にもあった。母がありがたく読んでた。やたらと般若心経を勉強しようとしてたのは(その後父もだけど)、この人の影響だったということがよくわかりました。高田好胤というお坊さんは、とにかく話が上手で日本中の人を惹きつけた立派な人だと認識してたけど、般若心経の写経をして薬師寺に納める(当時のお金で1,000円かかった)ことで薬師寺の金堂、西塔などを復興した、アイデア豊富なビジネスマンともいえる人だったんだな。

今の文庫本はだいぶ明るいデザインになってるけど、最初の単行本の表紙はものものしい黒の中に筆文字の「心」と、何かわからない藪みたいな写真。ものすごく難しくて重厚な、ありがたいご本だと思ってしまうけど、中は今ではこのままでは出せないような、お坊さんとは時に思えないような、本音の数々でした。

日光東照宮を「あの飾りたてた陽明門などへどが出るような思い」「徳川の成り上がり趣味とそれにおもねる精神のいやらしさ!」って今なら炎上確実。それ自体が、揺れ動く一般人に強い言葉で共感をあおる炎上商法と言われてもおかしくありません。

男が外で働いて、たまに夜遅くまで飲んで帰ってもその事情を察してやれ、遅く帰って風呂に入っても待っていて浴衣を着せてやれ、子どもは牛乳ではなく必ず母乳で育てるのが良い母だ。とか。

薬師寺の仏像をロシアのエルミタージュ美術館で展示することになったので、自分もそちらに飛んで法要をやって見せたところ「ソビエトは宗教のない国だと思っていた」という。ロシア正教でもお経と似た歌をうたう、など言われてロシア正教の大きさを知ることになります。

広い国営農園では人があまり働かず、自由に耕作することを認められた自分の農場で一生懸命働いて市場で売っている、という話を聞いて「日本の『三世一身の法』と同じだ」というエピソードもありますが、この歴史感覚が面白いです。今なら国内にソビエト的農場が過去に存在したと連想する人はほとんどいないだろうから…。大正生まれには侍の時代が感覚的にそれほど遠くない。(三世一身の法=大化の改新で私有地が認められなくなったら農民は働かなくなり、新しい農地を開墾して三代にわたって耕せば私有地を認めるというやつね)

読み終えて思うのは、こういう随想的な文章における倫理観って時代によって驚くほど変わってきたんだな、ということ。これに限らず、昭和の頃のエッセイって”無意識のうちの差別的表現”が多い。今でも心のままに(つまり炎上や攻撃を恐れず)スルドいことを書き続ける人はいますが、覚悟がないとそういう仕事はできません。

今の方が昔より、自分と違う性質を持つひとたちの存在を認識するようになったのは事実。でもそれは、わきまえて誰もがお互いを気遣うようになった…っていうわけではなくて、人目を恐れるようになったという面があります。今は物書きの人の多くがディズニーの映画やNHKの幼児番組みたいに、キレイでつるつるの文章を書くるけど、この本の作者の方が、実際に自分が差別的発言をした相手といつでも向き合って、自分の誤解を認めて仲良くなってたんじゃないかと思います。

感動する気まんまんで読み始めたけど、まったく予想しなかったものを見つけて面白かったのでした。