J.T.リロイ「サラ、神に背いた少年」667冊目

VODで「作家、本当のJ.T.リロイ」を見たら読みたくなってしまった。これを書いて、JTリロイのマネージャーとして世に出たローラ・アルバートという女性は、虚言癖なのか多重人格なのかわからないけど、人を騙して儲けようという意図でやったのではなさそうだという感じはしました。

彼女が小さいとき父親の知り合いに性的虐待を受けて脅されていたこと、恋人との関係がうまくいかなくなると匿名でカウンセリングの電話をかけて性別を偽って過去を語っていたことは、リアリティをもって映画を受け止めたし、この本ではなく2冊目の「サラ、いつわりの祈り」にそのあたりのエピソードだと思われることが書かれているようです。一方この1冊目の本では、サラという娼婦の息子、ジェレマイアという美少年が「もっと大きいアライグマの骨が欲しい」と思って男娼となります。さらに野望を抱いて別の町までトラックに便乗していって着いたのは少女たちをトラック運転手にあっせんする宿。そこで少女と間違えられ、聖人扱いを受けたのちに少年だと露見し、劣悪な条件で男娼をさせられた後、元いたところへやっと連れられて帰ります。というお話。

売春仲間となる少女や少年がなんともカラフルで、ものすごく個性的。みんな何かのアーテイストみたいです。それと、アメリカの普通のダイナーでは絶対出さないような高級な料理について書かれている箇所がやたらと多い。そんな料理を、少年がもといたところのレストランでは出してたというのです。そんなこんなで、この作品を読んだ感じでは、実体験に基づいてると想像できる部分は少ないです。売春したことやポン引きが変わってその後連れ戻されたこととかは、もしかしたら似たようなことがあったかもしれないけど、聖人だとでっち上げられたことなど多分ないし、男か女かわからない立場でいたことも多分なかったでしょう。

非常に想像力豊かな人が書いたんだなと思うけど、なんでこれを「実際に起こったこと」だと思うんだろう、と不思議。アメリカには「オン・ザ・ロード」みたいなアウトローな自由人に憧れる人が多いのかな。

日本語訳が出版された時点でも、まだ少年の自伝的小説だとほとんどの人が思っていたらしい。自伝と自伝的小説の違い。書いた人のアイデンティティ。歴史的名作には、後世になるまで著者が女性だと知られていなかったものもある。「1Q84」の「ふかえり」を思い出したりもしました。これはまだまだ深堀りするといろいろ出てきそうな面白い論点だという気がします。