奥田知志・茂木健一郎「『助けて』と言える国へ」702冊目

2013年発行。最近見た特集番組で奥田知志が取り上げられていて、もっと知りたいと思って借りて、よく見たら対談集だった。茂木健一郎は、以前はTwitterをフォローしてたこともあったけど、その頃彼はなにかに怒ってることが多くて、読むのに疲れて外してしまった。思っていることを発言するのは本人にとっても周りにとっても大事なことだからやめたほうがいいとは思わないけど、私は人が放出した悪意も善意もそのまま受けてしまうほうなので、わりとダメージくらってしまうのだ。(自分に向けられたものでもないのに)

奥田知志は以前、vs村木厚子という組み合わせのパネルディスカッションを聞いたことがあって、大切なこと、必要なことをすごい行動力でどんどんやってる人だと思ってたけど、見れば見るほど、読めば読むほど偉大だなと思う。キリスト教は「人間の選択は悪と悪のどちらを選ぶかだ」と説くとか、人は傷つくことを避けて一人になってしまってはダメで、関わり合うことは絶対に必要だとか、私自身この年になってやっとわかりつつあることをスパッと断言する。本当にその通りなのだ。

東日本大震災のあと、一度だけ「ボランティアツアー」に出かけたことがある。私は体力も知恵も知識もないので、邪魔にならないように、”震災にあうというのは実際どういうことなのか”を勉強させてもらおうと思って。教わろうと思って行ったんだけど、そんなこと仙台の友達には言えなかった。お前なんかに助けてもらうことは何もないよ、って思ってるんだろうなと思った。でも黙って行ってきてよかった。何が出てくるかわからない泥の地面を掘って、雑草を引き抜いていたら、誰かのノートの切れ端や写真もときどき出て来た。東京にもいつか必ず大地震が来る。そのとき私はどの程度備えられるか、どのくらい覚悟を決めていられるか。

ついこの間、家の近所で女性がバス停で住民に殴られて亡くなったっていう事件が起こってすごくショックを受けたんだけど、そこから近所の住民の私たちは何を学んだんだろう。以前行ってたボランティアも、もう1年以上開催されてないので、区の福祉担当の人たちと直接話すことも当分ない。私たちはひきこもりやホームレスの人たちと同じくらい、いまは孤立しがちになってる。

「暗闇を見た人にしか見えない光がある。」これほんと、そうなんですよ。「いじめっ子ほど絆、絆って言いたがる」って誰かのツイートを見たことがある。私もすっかり「絆」って言葉が信用できなくなってしまった。いじめっ子ほど、いじめ撲滅とか言うのだ。

最後の章は奥田氏が一人で書いた文章で、そこだけ読んでもかなり学べることがある。匿名の寄付をするのはいいことだ、でももう一歩踏み出して直接かかわれないか?

…私自身、人から嫌われるのが怖くてどんどん人間関係にしり込みしてしまっているけど、やっと新しい目標もできて、これからはお節介でいこう!と思う。