村上春樹「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」730冊目

<映画とこの作品終盤の筋に触れています>

映画「ドライブ・マイ・カー」を見た→原作の短編集「女のいない男たち」を読んだ→なにかまだ抜けている気がして、新しめの長編を読み返してみたくなりました。結果、読んでよかった。「ドライブ・マイ・カー」の原作というか元ネタは表に現れている短編「ドライブ・マイ・カー」「シェエラザード」、チェーホフ「ワーニャ伯父さん」だけじゃなくて、同じ短編集の「木野」という短編の妻の浮気発見の場面も使われていたし、あの映画の重要な”癒し”の場面はこの作品から来たものかもしれない気がします。

多崎つくるの高校時代の親友のひとり、エリは結婚してフィンランドに住んでいる。若い頃に自分を傷つけた事件の真相を探りながら、彼はフィンランドの彼女を訪ねる。彼女の容貌はいわゆる美人ではなくて健康的でたくましく、胸がすごく大きい。その彼女と、傷ついた過去について告白しあって二人はハグして泣きます。この場面だけ見ると、家福がみさきの雪深い故郷をはるばる訪ねて、そこでハグしてそれぞれの過去と和解する、映画「ドライブ・マイ・カー」のクライマックスと同じに見える。

こんなカタルシスの場面なんて村上春樹の作品にはないだろう、いやあったっけ?と思いながら映画を見ていたんだけど、読み直してみたのがこの作品で当たりでした。濱口監督ほんとすごいな、多分村上作品全部読んでいて、すごくよく、丁寧に熟成させてブレンドして映画を作ったんだな。一つの作品をさらっと見ただけで、安易に、わかったような批評をすることの薄っぺらさを自分で思い知った気がします。

そして、「好き」だと思わないし、読み終わると筋を忘れてしまうのに、出ると読まずにいられない、読みだすと読み終わるまで止まらない、という村上春樹作品について、少しずつ、少しずつ、本質に近づいていけてるのかなという、この感覚がたまらないですね。

(今は、村上春樹は「神の視点」をもった作家ではなくて、ムンクみたいに心の闇を描き続ける天才、みたいに感じてる)