未読の村田喜代子の本が溜まってきたので読んでる。
このシリーズは最初のを読んだ気がしてるけど、ブログは書いてなかった。2番目を飛ばして3番目のこれを読んだみたいだ。
で、これが捧腹絶倒の面白さだった。私は芸術作品を自分勝手に楽しむのが好きだし、感想や妄想を誰かと話し合うのも大好きなんだけど、全然共有したがらない、そういうことを全く楽しいと思わない人もいるらしい。村田喜代子は書くものも感覚が鋭敏で言葉選びも鋭くてすごく刺激を受けるけど、そういう人が芸術作品に触れると、ここまで鮮やかにそれらを読み取って、これほどの思いを広げるのか、と思い知らされた。さすが!!
紹介されている作品や画家は知らない人も多いけど、どれも非常に個性的で大変雄弁(言葉は介さないけど)だ。著者はさまざまな思いを独自に読み取るけど、作者にぶつけるとやんわりと否定されたりする。間違い、なのかもしれない。でもいいのだ。芸術はインタラクティブだから、コウモリが発した電波が作品に反射して自分に戻ってくるように、自分の目で見て自分なりに理解するしかできないものなのだ。戻ってくる電波が多種多様な作品もあれば、あまりブレない作品もあるんだろうな。著者が好きなのは理解がブレブレになる、特徴づけにくい作品ばかりだと思う。私と趣味が合うのだ。
美術展にはよく行く方だし、自分で絵画教室に真剣に通った時期もあったけど、ある時期からまったく描きたいとも見たいとも思わなくなってしまった。最近見るのは「No art, no life」のアウトサイダー・アートばかり。この本で取り上げられているものは王道ど真ん中ではないから私にもヒットしたのかな。
早く2冊目も読まなければ。