李琴峰「生を祝う」763冊目

彼岸花が咲く島」を読んだあと、さかのぼって他の単行本も全部読んだ後、満を持して受賞後第一作を読了。

改めて、この人は現代日本随一の言語能力を持つ人だなと思う。昔の本を読めば、文豪と呼ばれる人も、希代の評論家も、まずその言語に驚くことがある。(逆に、古典でも文体がまったく不統一だったり気まぐれだったりする作家がいるのも面白いけど)今って偉そうに評論している文章でも、文学賞の選考委員たちの書いた小説でも、言語に感銘をおぼえることなんて全くない。昔の人はきっと日本や中国の古典も読んだし、歌舞伎や文楽も見たし、もしかしたらシェークスピアゲーテも原文で読んでたのかもしれない。知らない言葉がたくさん出てきて(といっても漢語の熟語だと意味はまあまあ推測できる)、教養を知性が思うままに使いこなして作り出された重厚な作品に、ため息をついたものだった。

私が長年愛読している作家たちの文章力は素晴らしいんだけど、語彙がそこまですごくないので、感動の種類が違うんだ。その点、この作家は久々に文豪みたいな語彙力を感じる。中国語由来のものも多いんだろうけど、豊潤な語彙を使う巧みさもある。私はけっこう本気で、この人に三島由紀夫(一例だけど)になってほしいんだ。

一方で、内容にはちょっと戸惑ってる。面白かったけど、毒が強い。一方で、東アジアに何百年も前から伝わってきている死生観みたいな深みは感じなかった。「彼岸花」には今の世の中に蔓延している苦しみや痛みを昇華したような美しさが満ちていたけど、この小説はそれらを割とそのままアレンジして書いたような感じだと思った。いろんなアプローチで作品を書いてみるのかな。また「彼岸花」みたいな、美しい魔法世界みたいなのも見せてくれるといいな。

死生観について個人的に思っていることをいうと、チベット仏教か何かの本を読んだとき、魂は親を選んで生まれてくるという話があって妙に納得したのを覚えてる。たいがいは自分が精神的にも物質的にも恵まれる環境を選ぶけど、なんとなく、私は「平坦で順調な人生より、なるべく思いがけない出会いや失敗や浮き沈みがある人生、自分が助けられるより誰かの役に立てる人生」を選んだんじゃないかなと、その話を聞いて思った。生まれてからずっとそういう選択をしてきたから、生まれたときもそうだったんだろうなと思った。この小説の設定上、「生まれない」選択をした人はいったん霊界に戻っていつかまた偶然に誰かのおなかに宿るのかな。どんな人生であっても、一度しか生まれ出る機会がないなら、たいがいの人が生まれるという選択をしそうなものだ。宝くじなんてほとんど誰にも当たらないけど、みんな当たるつもりで買うわけで、選択の際に提示されるのが数字だけなら、「不幸になる可能性が高いから生まれない」より「幸せになる可能性が(少しでも)あるから生まれる」と考えるのが人間じゃないかな。

「世界で一番まずいカレー」がレストランのメニューにあったら、私なら注文してしまうかもしれない。不幸も幸せも、全部盛りで味見したい、世界の端っこから端っこまで全部知りたいと思う私には、生まれるかどうかという選択は一択だ。