うん、私が読みたかったのはこういう本だ。「500ヘルツのクジラたち」じゃなくて。ただ、読みながら自分がこの本を沖縄に対する加害者としての本土の人間として読むべきなのか、誰にも話したことのない数々の傷を負った同じ被害者の女性として読むべきなのか、混乱する。大概の人がどちらの立場にも多かれ少なかれ関わってるんじゃないだろうか。そこをあえて加害者として読めるかどうかが、一つの分岐点じゃないかと思う。私は自分に関して、加害者たちを赦す判断をしたために、あらゆる抗議活動に共感を覚えなくなってしまった。もう怒れないのだ。もしかしたら、上間さんが話を聞き続けてる、なかなか自分のことを話せない女の子たちの精神のまま年だけ取っちゃったのかな。
でも、辺野古の海に行って泣きながら海を見ていることならできるかも。そんなことをしても誰の何の役にも立たないけど。私にはそのくらいのことしかできないのだ。