これもまた「一万円選書」から。白洲正子、お姿とお名前はよく知ってるけど、書かれたものを読むのは初めてです。
少し前にたまたま、鶴川に住む友人宅に伺うことがあって、車で「コメダ珈琲店」に連れて行ってもらったりもしたのですが、町田市の中心とはちょっと離れた、家族で落ち着いて住むところ、という印象の町でした。この本はタイムリーだなぁと思って読み始めたら、鶴川日記は最初の1/3だけで、あとは「都心の坂」と「心に残る人々」でした。どれも面白かった。
鶴川に関しては、第二次大戦末期に都心から移住して、茅葺屋根の古民家を再生する様子が記されていて、目の前で屋根が張られていくように生き生きとして面白いです。逆に、今の鶴川を思わせるものはあまりないんですね。当時の田畑が戦後一気に住宅地として開発されていって、当時を知る人から見れば多分あまり面影のない町になったんじゃないでしょうか。でも残っているのが、まさに白洲家そのものを展示している「武相荘」。併設のレストランも含めて、ぜひ近々訪ねてみたいです。
第二部は「東京の坂道」。都心の坂といえば、2022年の私は乃木坂は実在するけど、日向坂も吉本坂もないよなぁ、えっ欅坂(けやき坂)はいつ櫻坂(さくら坂)に改名したの、という連想をしてしまいましたが、この章では「赤坂」「三宅坂」「神楽坂」等々といったもっと基礎的な地名の由来をひもといています。都心はそもそも坂が多いんだけど、この章を読んでいると、「xx坂」と呼ばれていたものが今は「xx通り」と呼ばれるようになったところが多い。「日本テレビ通り」は日本テレビが建つ前は「善国寺坂」と呼ばれていたことはこの本に書かれているけど、それ以降も様々な名前が付けられてきたのだ。渋谷なら「道玄坂」は江戸時代に命名された説がある一方、「公園通り」はパルコにちなんだものだし「ファイヤー通り」は消防署。新しいものは「坂」でなく「通り」と呼ぶことになってるみたいです。
私は上京してからもう40年近いけど、長年武蔵野多摩地域で暮らしていて山手線の内側の地理にまるで弱い。それでも仕事でよく行ったビルなどを思い出しながら、改めて、都心の地理って入り組んでいて、小道も多いし上り下りも多かったなぁ、なんて思ったりしました。
最後の章で取り上げられている人々は芸術家や収集家たち。梅原龍三郎の作品はエネルギーが強すぎてやっぱり苦手だけど、熊谷守一や芹沢銈介の美術館には行ってみたいと思いました。当時ご存命で、同じく健在だった白洲正子が親しげに紹介していた彼らが、亡くなって遺品を寄贈した先が美術館になっているというのも、無常というのか、没してなお遺っているというべきか。今は訪ねて行けるけれど、やがて塵になっていくんだろうなと、この本を読んでいると感じるので、自分自身が健在なうちに早く行っておこうと思います。
「目利き」の才覚は、さまざまな分野でさまざまな度合い、さまざまな嗜好があるんだろう。ネイルのデザインやギャルファッション、アニメのキャラクターデザインなど、全ての新しいものにも良しあしがあるわけです。私にも好き嫌いがあったけど、なるべく節約しよう、とばかり思ってやってきたうちに、自分の嗜好を優先することを忘れてしまいました。今は時間だけはたっぷりあるから、自分の中から生まれてくる「好きなものと暮らす喜び」を、これからはもう少し追い求めてみたいものです。
この本からも教えられることがありました。ありがとう岩田社長。