遠藤周作「影に対して」857冊目

この短篇集を読むとき、主人公の姿を「のび太」として思い浮かべるといい。

小説のなかでは一人っ子のこともあれば、兄がいる設定のものもある。弟と考えた方が、主体性のなさがイメージしやすい。

父と別れてひとりで息子を育てている母の財布から、小銭をくすねたり、小物を盗んで売ったりして、お菓子を買って食べる少年。母が倒れてから亡くなるまで、悪い友人の家で解像度の悪いエロ写真に見入っていた少年。

中年になり、彼は自分が憎々しく感じていた父よりも時折卑怯な男になっている。たいがいの人の中にある良い子や悪い子の中から、気弱ですぐ逆上する「のび太」を描くことには勇気が要る。普段自分を少年マンガのヒーローに重ねてる人も、こういう本を読むと、自分が昔のび太だったことを思い出して、ため息がつける。

 

「沈黙」とか「海と毒薬」で、この作家はものすごくストイックで自分にも人にも厳しい人だと思ってたけど、むしろ「のび太」を心に住まわせ続けた人で、そのために、踏み絵を「踏んだ人」、転んで生き延びたほうの人を気にかけ続けたのかな、と思った。

 

家庭を顧みず(いや、愛しつつも情熱をごまかせず)バイオリンや宗教に熱中した母親のことを、理解したり共感したりした人は、彼女の同世代にはいなかったのかもしれないけど、息子は崇拝し続けたんだ。うまく生きていける人だけが人間じゃない。「がんばれ」や「明日がある」「きっと報われる」に疲れたときに読むこんな本が必要なんだよな。