ヴィクトリア・べラム「雄鶏の家:ウクライナのある家族の回想録」1093冊目

これは紙の書籍で。2024年8月に発売されたばかりの新刊です。

ウクライナから来た女性に日本語を教えたこともあって、彼女から聞いたウクライナ関係の本を読んだこともあったけど、この本はおねだんが3600円、300ページ以上あるし、争いの歴史について書かれた本だったら読みづらそう、と思って、おそるおそる読み始めました。これが予想に反して、若い女性が平易でわかりやすい文で家族愛をつづった感動の物語で、読んでみて本当によかったと、今はこの本との出会いに心から感謝しています。

翻訳も自然ですばらしいです。一度もひっかかることなく、もともと日本語で書かれた文章のようにするすると読めて、かつ品格があって美しい。原作に、人々の表情や動きや言葉からさまざまなことを読み取る箇所が多く、かなり繊細に読み込まないとズレた翻訳になりかねないと思うのですが、私が住んでいる町の人のことを読んでいるみたいに違和感なく読めたのは、翻訳の力も大きいと思います。

内容は、著者の父母、祖父母、曾祖父母、叔父叔母、離婚した父の妻や子など、現代日本の感覚だと「家族」というより「親類」と呼びそうな大家族の物語で、著者が訪れた町で出会った人々とも昔からの知り合いのように親交を深めていって、人と人の密なつながりはどんどん拡大していきます。昔住んでいた家を突然訪ねたら、笑顔で部屋に招き入れてくれて、そこから交流が始まる…といったことは、今の日本ではあまり考えられないですよね。何十年も百年以上も同じ家に人が住み続けるヨーロッパらしい気がします。

著者がこの本を通じて訪ね歩くゴールは、若くして失踪したニコジムという名の親戚の行く末。曾祖父が一度だけノートに強い筆圧でその名前を書き残した彼の兄は、あれだけ家族の話ばかりしているこの家族の中にあって誰も一言も語らず、著者が聞いても誰もが口をつぐんでいます。15歳のときにウクライナを出てアメリカに移住し、現在はベルギーを拠点としている著者は、自分のルーツを探るためにコロナ禍直前のウクライナを何度も訪れ、長期滞在しながら、ゆかりの地を訪ね歩きます。

まだ答を知らない著者と同化して、夢中になってこのミステリーを読み進めていくと、300ページなんてわずか数日間です。飢饉、粛清、歴史的な事実を思い浮かべるだけで、明るいゴールに期待するのは無理ではないかと予感するけれど、それでも知りたくなる。

そして、読み終えるとさらに著者のことが知りたくなります。「訳者あとがき」に彼女のInstagramやウェブサイトのURLも紹介されていて(boisdejasmin がキーワード)、本に出て来た親族の写真もところどころに掲載されているのですが、もう自分の知己のようで、懐かしいような切ないような気持ちで、いつまでも見入ってしまいました。

ニュースやドキュメンタリーで破壊された場所の惨状をいくら見ても、ウクライナという場所に生きてきた人たちのことは1ミリもわからなかったけど、この本を読んで、やっと少し知ることができたと感じています。この国の人々や、その暮らしに少しでも興味を持った人には、ぜひ読んでほしい本です。なかなか帰省できない自分の実家の祖父後や親せきたちと、生きているうちに少しは対話できるだろうか?と、身近なことに置き換えて考え始める人も多いと思います。いやもうウクライナに興味のない人でも読んでほしい。本当に名著です!