佐藤正午「熟柿」1098冊目

<結末をできる限りボカシて書いていますが、自信はないです>

40年以上愛読しつづけている佐藤正午の新作。予約して、発売日に自宅に到着。そろそろ読み始めようと思って開いたら、一気に最後まで読んでしまいました。

落ち着いた中年女性の視点で書かれたものは珍しい気がする。(ほんとかな。全部読んでるとか言ってる割にちゃんと覚えてない)最近はすごくマジック・リアリズムというか、超自然的な部分のある作品が続いていたけど、今度はとことんこの主人公の心理に付き合う作品です。

すこし悪い人は出てくるけど、真っ黒な人は出てこない。主人公はすこし気が弱くてすこしネガティブだけど、きわめて真面目で善良な女性。一度の失敗がその後の人生で、何度も何度もぶり返してきて、たいがいはちょっと悪い人に利用されて、貶められて、その場を去ることになります。

この「弱い立場の人を利用しておとしめて、若干の利益を得てトンズラする奴ら」、この世界に何万人もいて、なかなか悪辣なんだけど表に出て罰を受けることはなかなかない。この人たちのこの本での行いを見せつけられるのが、けっこう暗たんとした気分になってしまう…。利用される人には何らかの落ち度があると思ってる人が多いかもしれないけど、悪辣な人たちは落ち度を捏造して流布するのも天才的にうまいので、私も何度かやられたことがあって、読んでると思い出してしまう。救いなのは、著者は被害者意識で書いていなくて、なんというか、守護霊みたいに少し上から冷静に主人公を見下ろして書いてるようで、主人公が精神的に追い詰められて道を踏み外しそうになっているときも、手を貸すでもなく突き放すでもなくいるのが、最後まで読んだときに、その距離感でよかったと思えました。

第12章の、主人公と若者の会話、主人公と中年男性の電話の会話が、今まで読んだり見たりしたどのフィクションよりも本当にありそうで、不器用だけどあきらめない熱い思いがほとばしり合っていて、胸がいっぱいになります。

佐藤正午の小説は、ひねりとか伏線とかがたっぷりあって、転がされながら読むという楽しみが以前は強かったけど(例:鳩の撃退法)、この本に関してはまさに「熟柿」のように最初の1行目から最後までコツコツと読み進めるのが適切に思えます。だいいち「熟柿」(ちゃんと変換できるもんなんだな、私はこの本を読むまで知らなかったけど)っていうタイトルが成熟してます、枯れかけています。若い頃に好きだった佐藤正午とは違うジャンルの作品として読むことになっていくのかな、と最近いつも思いながら読んでるけど、そこまで言うほど別物ではないし、相変わらず一ミリの不自然さも感じさせず読める名文だし、ちょっと気持ちがふらふらしてるけど、今後も生きてる限り読み続けるつもりです。