胸がちくちくするなぁ。”ヤングケアラー”(新語ってあっという間に陳腐化する)って家族の病気の重さや症状のタイプやそもそもの性格や経済状況によって一人ひとりまったく違うと思うけど、経験者であればだれでも、ただただ目の前のことだけで頭がいっぱいで、誰かが一足飛びに問題を解決してくれない限り、放っておいてほしい、みたいなこの主人公の気持ちを、自分のこととして思い出してちくちくしてるはずだ。
病人って遠慮しがちだったり感謝を忘れなかったりするほうが多分まれで、若くて元気で美しかった頃とは真逆の意地悪で卑屈で根に持つ人もけっこう多いと思う。「なんでそんなにがんばるの?」と言ったそばから「え、病人を置いて東京の大学に行っちゃうんだ」と言い出したりする周囲の人(先生だったり友達だったり)もいる。そして病人はやがて、自分よりだいぶ先に死ぬ。
介護してたこともある母に大学のときに死なれて、10年ほど前に父を看取って(といっても世話はまったくしていない)、家族とは縁がなくなったのが寂しくもあると思ってたけど、先日、長く連れ添った猫が病気になって、ときどき当たられたけどがっつり面倒をみて、最後は手(前足?)をとって逝かせたのは家族の看取りの一種だったと感じている。こんなに愛情あふれる最後を過ごせて、すこし徳を積んだような、なにかの罪が赦されたような気もするので、家族の面倒をみるということは、相手のためならず、自分はその時点では大変なだけだけど、後年やっといてよかったと思う日が来たりするものなのだ。
いや、この著者はまだ看取りまでいってないし、まだ達観するほど枯れてない。若い女の子だ。死を経ると変わることもあるけど、多分看取りの場でも葬儀のときも、家族たちはくだらないことで笑い合ったりののしりあったりするんだろう。そういう”家族”って面倒だし、なにも自慢できない、どちらかというと恥ずかしい存在だし、苦々しいけど、やっぱりいいものなのだ。
この作品はとても普遍的なことを描いてると思うし、実写ドラマで見てみたいし、この主人公には「バリバラ」を作るプロダクションに就職してほしいと思う。
