グレゴリー・ケズナジャット「トラジェクトリー」1169冊目

日本在住で日本語で小説を書いているアメリカ出身の作家といえば、リービ英雄をだいぶ前に読んだ記憶があります。この人もそう。トラジェクトリーって何だろう。Google翻訳は「軌道」と訳しました。惑星の移動ルートとか。何か重いものが、さらに重い大きなものに引っ張られてずるずると動くイメージかな。この小説の主人公、名古屋の英会話スクールで働くブランドンは、現在に満足しているわけではないけど、なかなか動き出せずにいる。そういう状態もトラジェクトリーなんだろうか。

もうひとつ、やたら講師に当たりたがる初老の生徒カワムラさんが書いてくる日記にも、衛星の話が出てくる。彼の存在も重く長い間この英会話スクールにはりついていたようだった。

でもやがてどちらも、軌道から外れて自由な粒子となってどこかへ飛び出してしまう。

…私は今日本語を教える仕事をしているので、雇われ英語教師の生活そのものが興味深かったし、外国である日本で暮らす生徒にも重ねて考えるものがありました。

もう一つの収録作品は「汽水」。汽水域の汽水か。海水と淡水が交じり合うところ。この作品の主人公チャーリーはアメリカ南部出身で、日本の大学のスタッフとして働いている。ニューオーリンズに出張で数日滞在し、”留学フェア”の出展者として、アシスタント的な業務を行う。これも、もしエッセイとして書かれていたとしても私には興味深い内容だな。私は海外には最大で6か月しか滞在したことはなくて、常にやがて帰ることが頭にあったけど、それでもロンドンのフラットのベッドで(私なんでこんな遠くまで来ちゃったんだろう?)と、なにか実在的不安みたいなものを感じて、あしもとがぐらぐらするような感覚をもったことはある。私は九州のいなかの出身で、両親はその県の山奥から市内に出てきて暮らしていたので、自分が東京でずっと暮らしていることさえ、そのころは不安材料だった。東京生活はとうとう九州の生活の倍の長さになってしまって、たくさん世界じゅうを旅行したのは、もしかしたらそういう場所の不安を乗り越えるためもあったのかもしれない。怖いから行く。一度土を踏んだ場所なら、故郷から、故国からの足跡がちゃんとつながってる、みたいな。今ならどこに住んでも自分は自分だと思える気がします。この人の主人公たちは、故郷と日本のほかの国にはほとんど行ってないから、世界を歩き回っていなくて、だから実存的不安みたいなものが続いてるのかしら。とか思ったりしました。