笙野頼子「説教師カニバットと百人の危ない美女」1171冊目

この著者の作品は、芥川賞受賞作、たしか「タイムスリップ・コンビナート」(よくタイトルまで覚えてたな)を当時読んだだけでした。なんとなく、あまり相性がよくない気がした記憶が。でも、どこかで最近この本の大ファンという人の話を聞いて、ずいぶん時間もたったことだし、読んでみようと思いました。

前半が「説教師カニバット」、後半が「百人の危ない美女」だけど、話は続いています。著者自身をモデルにした作家が霊園でとりつかれた”お化け”が、「巣鴨こばと会残党、またはカニバット親衛隊」。かつてカニバットと名乗るちょっと見た目のいい男が、一般大衆の虚栄心をくすぐるベストセラーを乱発し、それにひっかかった人たちの霊がファックスとなって毎日数ロールも彼女のもとに届く、という。

最初はそれほど荒唐無稽に見えなかったけど、だいぶおかしい。このお化けの女性のみなさんの逸脱ぶりが。わりと平気で人をあやめて解体とかしてるし。後半、彼女たちが主役となって魑魅魍魎の酒池肉林って感じになるのですが、その勢いのある文章は、以前いくつか読んだ筒井康隆の長編とか、村田沙耶香とかを思い出します。嫌いじゃありません、が、基本的に人をほめる言葉はほとんどなく、自虐に次ぐ自虐、女性を貶める表現を、本全体を通じて言い尽くすような文章で、読んでて気持ちのいいものではありません。

だいたい、美人とブスってどう違うんだろう。目と鼻と口の数はだいたいみんな同じで、もはや手術までしなくてもメイクの技法でいわゆる美をもよおさせる容貌を作り出すことは可能になってきています。歳をとると、瞳が大きくてまつげが長いことより、肌が若くて水分が足りている状態とかを見て心を打たれることが増えてきたし、その場合目鼻の位置関係や状態はどうでもよかったりします。

この人の本は、これ以外も全部、美醜とか女性に付随する不快とかを書き続けてるのかな?常にそういうことが頭にあるんだろうか。私はもしかしたら著者が自称するのと同じくらいブスかもしれないけど、そもそも美醜の判断力に全然自信がないので、あまり考えないようにしてる。メイクや洋服は、このくらいやっとけば普通かな、という線をいっしょうけんめい調べてやっている。(または一切頓着しない)

でもこの、「このくらいで普通かな」ができてるかどうかは、けっこういつも気にしてる。変な人が来たなと思われないくらいには、普通でいられただろうか。

よくわからないけど自分の外にいるものは美しいなと思って見ているのが好きなので、いつも猫ばかり見てたけど、いなくなってしまったので、見るものがない。(この著者も猫を愛でてる。似てるんだろうか私はこの人と?)

この小説、もう少し短かったらありがたかったなぁ。私はたぶん、ひとつひとつの表現の面白さをゆっくり味わうより、アイデアの面白さをざっと眺めたかっただけで、あまりよくない読者だったのかもしれません。