テレビでこの人のドキュメンタリー番組を見て、ここまで美食に人生をささげてるのってどういう人なんだろう、私も生きてる間に一回くらいミシュランの星がたくさんついたレストランというやつに行ってみたいけど、豚に真珠みたいなものなんだろうか、など色々と気になって、読んでみました。
…ひたすら寺門ジモンを讃えている。肥後さんは焼き鳥屋でよく会うけどめちゃくちゃいい人だ、みたいなうわさ話は知り合いから時々聞いてたけど、そういえば寺門ジモンのことは「肉に詳しい」くらいの知識しかありません。ダチョウ倶楽部は、とことん自分たちを低めて単純な笑いを提供していて楽しい人たちだ、という認識しかないので、二枚目然と見えた浜田氏がそこまで持ち上げてることで、脳がぐるぐると回って混乱しています。
読み進んでみても、全然気取らない人です。オタクみたいに食べることへの興味が深すぎて、それ以外の人生のかなりの部分を費やすと決意してしまった、あっち行っちゃった人が誠実に書いた本、という印象です。「うまい」と「美味しい」の使い分けは、表現の面でぴんとこなかったけど、理屈はよくわかったし。なんか、研究家って感じですね。作るのではなく、食べる側の研究家のトップに近いところにいる人。
ミシュランだとか世界トップ50のレストランとかも、味のわからない私ごときが行くべきではないと切り捨てず、順番に今食べているものから少しずつレベルを上げていって、最高のものを食べたときに違いがわかる状態で食べてほしいという、料理に対しても店や料理人に対しても、レベルの低い飲食者に対しても、きわめて誠実な書き方をしてくれています。ありがとうとしか言いようがありません。私にとっては、今いるところからミシュラン三つ星まで上りつめるのは、あまりに遠すぎて無理かもしれないけど。
私はこのところ、コーヒーだけはわりと最高に近いものを飲むことがあるのですが、それはたまたま近所にバリスタチャンピオンの小さなカフェがあるからで、その店でも私が頼むのは料金表の一番下のお手頃価格のものだけ。一生この地位でも十分幸せ、という感覚があります。しかし私は知的好奇心が強い、というか、わりと止まらないほうなので、嗜好品としては満足していても頭でもっとすごいコーヒーを知りたいと思ってしまっている。そんなカフェに行くとき、本気のコーヒー研究家の方たちの邪魔にならないようにしなきゃ、と小さくなっている。迷いながら、お財布と相談しながら、暮らしている。この生活を食のほうに拡大すると、ほかの趣味がおろそかになるくらい大変なことになりそうだ。
さて料理に戻ると、この本では繰り返し、昔ながらのやり方を受け継ぐことをよしとしがちな「職人」と、新しい味覚を追求し続ける「芸術家」の違いについて書かれています。私自身は、一度美味しいと思った店には同じものを食べに行くし、何年たっても何十年たっても同じものを出してもらえるとすごく感激します。ノスタルジーを食べに行っているとこの本では表現されていますが、まさにそれです。そういう意味で、私の舌は芸術からは遠いところにあるというしかないですね。美術館のアートなら、伝統に現代的な工夫がされているときらめいて見えるし、音楽も同様だけど、料理に関しては保守的、かもしれません。(コーヒーは別だけど)
10年前なら、紹介されたレストランを予約してフライト取ってすっ飛んでいくくらいの勢いがあったかもしれないけど、すっかり出不精になってしまいました。でも浜田氏のインスタはフォローした。いつかどこかで出会って、部屋の片隅で本当においしいものをご一緒できたらいいなぁ。(夢)
