金谷武洋「日本語に主語はいらない 百年の誤謬を正す」1181冊目

最近、英語を使って大人に日本語を教えることが増えています。そうすると、文法に関する複雑な質問が出たりします。(日本語で日本語を教えていると、初心者は複雑な質問がそもそもできません)

「は」と「が」はどう違うの?「を」はどういうときに使うの?など、(あー出た!)と構えてしまう質問が続出します。私は読書や日記を書くことや、英語やスペイン語の学習をわりと熱心に数十年間続けているので、自分なりの考えはいつ何を聞かれても言えるんだけど、えらい人が考えた理論とは何の関連もない自分の考えでしかありません。今さらながら心配になって、”象は鼻が長い”系の言語学の本を読みかじってみたくなって、冬休み読書用の本をあさっているところです。

この本はAudibleに入ってたので聴いてますが、文中に英語やフランス語がたくさん挿入されていて、全部カタカナ読みなので、英語かフランス語か考えてるうちに終わってしまってちょっと厳しい部分もありますね…。

内容の話をすると、これが書かれたのは2002年で、その後この人はたくさん本を書いているのですが、その中の一冊をすでに読んでました。この本が”処女作(最近この言葉見ませんね)”だったみたいですね。今は日本語教師養成講座では「国語の文法」と「日本語教育文法」の違いをしっかり教え込まれるので、日本語教育現場でいまさら国語の問題点を批判することは少ないんじゃないかと思います。(むしろ小中学校の教育現場を見直した方がいいかも?)

「日本語では主語を省略する」を進めて「日本語に主語はいらない」と言い切るのは気持ちいいだろうな。でも、ここでいう主語は英語subjectの訳語として世界共通の意味をもつ(たとえば「述語の動作の主体」等)と考えると、あるけど言及しない、省略する、という言い方も正しいと思います。

問題は、「どうすれば、他の言語の文法をマスターしている人に、日本語の文の正しい作り方を指導できるか」だ。

結局のところ、1:1なんだよなぁ。目の前の生徒さんがまあまあ納得して、どんどん日本語が上手になってくれたら、もうそれだけでいいのです。それが、他のどこでも通用しない、自分だけの理論だったとしても!(すごい開き直り!言いすぎじゃないの!?)

本の中で、村上龍の日本語に主語が少なくて、欧米コンプレックスがある人ですらそうなんだから、みたいななんとなく失礼なことを脈絡なく書いてて、なんで翻訳書をたくさん出してる村上春樹の日本語について触れないんだろうと不思議に思ったりします。大言海っていう太古の辞書のことをあげて、このために日本語に主語があるという誤りが広がったと強く批判もしてるけど、辞書だから訳語をひねり出すのは普通かも。訳語がその国で普通に使われない語であることは、どの国でもありうると思います。

一番知りたかった「象は鼻が長い」の話は1/3を超えたあたりで登場していて、この著者のお話は感覚的に共感できることも多いけど、これを根拠に文法を説明したり、たとえば参考文献として引用するには、エッセイっぽい本なのでちょっと違う気がします。

面白かったけど、引き続きいくつか文法関連の本を読んでみようと思います。