千葉雅也「センスの哲学」1189冊目

若いころは、雑誌に載っていない自分なりの服選びや、友だちの知らないミュージシャンを激しく推してることとかに確信を持ってたけど、それから何十年もたって、今は洋服は”無難で手ごろなもの”を選び、映画は片っ端からなんでも見る、本も最近はベストセラーをたくさん読む。音楽はもはや、昔好きだったものも聞かない。…という、自己はどこにあるんだ?私のセンスなんて存在するのか?と言いたくなるような生活になっていることが不安に思えてきて、この本を読んでみました。

書いてあることは、難しげだけど、ちゃんと読めば意味はわかる。でも、私がイメージしていたのとすごく違っていて、すごく読みづらかったです。何を期待してたんだ?私は。同意できるかどうかにかかわらず、センスとはこういうものだという定義から始まるような本?…多分そうなんだな。ファッション雑誌の表紙を飾るようなスタイリストは、どういう選択眼でそれを選んでいたか、というノンフィクションのようなものとか。

書けば書くほど、私の期待のほうがうすっぺらな感じがしてきます。

でも、書いてあることは理解できました。自分が最初にいいと思った絵や本や音楽に立ち返って、自分が何を選んできたのか考え直してみてもいいのかもしれません。そう考えてみると、今でも好きだな。マグリットとか。アガサ・クリスティとか。チープ・トリックとか。(時代がわかるな)

誰がなんと言おうと、今でもアメリカのおじいさん兄弟デュオのライブには行くけど、昔から自分が好きなものを人に勧めることはなかった。でも「これだ」と思える服はひとつもない。昔も今も、選べるものと選べないものがある。いくら選択肢があっても迷わずに即決できるものと、どうでもいい中から何を選ぶか迷い続けるもの。

人生もだんだん残り少なくなってきて(病気とか問題があるわけじゃないけど)、限られた時間のなかで、あと何ができるか?と考えると、少しは判断するパワーが出てくるかな。自分が一番好きな、こうありたいと思う自分でありつづけるために。