劉慈欣「円」775冊目

「三体」で一気に世界のベストセラー作家となった劉慈欣の短編集。ケン・リュウが編纂したアンソロジーで何作か読んだことがあるけど、これほどまとまった形は初めてです。

「月の光」と「円」はアンソロジーの中のひとつだったのに、よく覚えてる。今回も、鯨を使った密輸を企てた人のお話「鯨歌」、地中の石炭層が発火したら…?という「地火」、山奥の学校で子どもたちに暗記をさせた「郷村教師」、運命が分岐したパラレルワールドをそれぞれ「繊維」と呼ぶ話、高齢の科学者が弾くバイオリンを聞く若者「メッセンジャー」、天候を変えられる地球上の”特異点”の同定についての「カオスの蝶」、スーパーコンピューターのようなものが漢詩を極めようとする「詩雲」、難民たちが戦争の代わりに設けられた1:1のオリンピックでアメリカに挑む「栄光と夢」、少女の夢のシャボン玉が町を救う?「円円のシャボン玉」、莫大な料金を払えば300年の命が手に入る「2018年4月1日」、そして母親のすべての記憶を持って生まれてくる胎児を描いた「人生」。

ひとつひとつのアイデアがあまりに大きな可能性を持っていて、それぞれで映画が1本ずつ作れそう。気楽にオヤツなんか食べながら読んだりできないくらい濃いです。さすが劉慈欣。続いてまた短編集が出るそうなので、楽しみにしてます。

 

森博嗣「歌の終わりは海」774冊目

ミステリーじゃないシリーズがあったのか…。何も知らずに読んでしまったら”解決編”がなかった。先日読んだ「冷たい密室と博士たち」は、冒頭に現場の見取り図が載ってるいわゆる”本格ミステリ”だったので、頭を働かせる覚悟で読んでしまって肩透かしになってしまいました。

探偵事務所を経営している小川、加部谷という二人が、あまりにもお気楽でまるで探偵じゃない。推理なんておよそできそうにないけど、浮気調査もひたすらめんどくさいと愚痴ばかり言ってる。「博士たち」に出てきた不器用な探偵と美少女、みたいな”一般人が憧れる優れた人たち”は一人も出てこず、かといって登場人物の誰にも共感が持てない。

表紙に、日本語タイトルを端的に英単語で「Song End Sea」と書いてあるのが「尊厳死」のことらしく、内容もまさにそういう話で、前に書かれた「馬鹿と嘘の弓(Fool Lie Bow:風来坊)」と同路線の社会的なメッセージが込められてるそうです。ストレートに言わず小説化するのが作家なのかな。でも…ページのほとんどを占める会話が、打っても響かず冗長で鈍感で(あえて、なんだろうけど)、途中からいらいらしてななめ読みしてしまった。謎解きをしない前提で書いてるので、目から鼻へ抜けるような切れ者探偵にトリックを看破されては困るってことか。

なんだか実験的な作品なのでした。

 

ローレン・ウィルキンソン「アメリカン・スパイ」773冊目

オバマ元大統領の「夏の読書リスト」にあった一冊らしい。オバマさんもだしビル・ゲイツの同じようなリストもチェックはするけど、読みたい本が不思議となくて、これがその手のなかで初めてくらいじゃないかな。(いやクリントンの書いたミステリーはこの手のリストでみたやつかも)

これ、著者はアフリカ系アメリカ人女性で、主人公はマルチニーク出身の母を持つ、やはり女性。それで実話ベースのスパイ物というのは、それだけで珍しい。しかも彼女は二人の子持ちで、この本は将来息子たちに自分のことを読んで知ってもらうために書き置こうとしている手記という体裁をとっている。だから文体がテッド・チャンあなたの人生の物語」(映画「メッセージ」の原作で、私の大好きな本)とほぼ同じ。「あなたたちはそのとき、・・・したの。」みたいに、二人称でありながら客観的な過去形で書かれてるのが出だしは不思議だと思ったけど、途中からわかってきました。

二人称で子どもに向けてスパイ活動を語る…感情を抑えたりあふれたりしながら、わかりやすく易しく語る。その一方、内容は国家機密の活動の詳細なので、読んでる子どもたちはさぞかし胸躍らせることでしょう…。

何より新しいのがやっぱりこの語り口ですよね。男性主人公をはずして女性に差し替えた作品はたくさんあるし、女性が書いた作品も多いけど、なぜ語るか、どう語るか、という方法論はずっと変わらなかった。スパイ活動だろうがなんだろうが、母が子に語るという形をとることによって、語りつがなければならない理由と内容が浮かび上がってくる。そうしなければならなかった母の生きざまに、子どもたちへの愛に、なんだか感動してしまう。

そういう意味で、この小説の新しさは何よりその形なんですよね。若いけど、すごく本をたくさん読んで、方法論を研究してきた学者的なアプローチです。スパイ小説としては、ストーリーが特に新しいわけではないけど圧倒的に新しい。これからどんな方法論を出して見せてくれるのか、楽しみですね。

 

カルロ・ロヴェッリ「時間は存在しない」772冊目

哲学の本のようなタイトルだけど、科学の本。太陽が地球を回っているのではなく、地球が太陽を回っている…というパラダイムシフトをはるかに超える(今の私たちにとっては、だけど)、時間は地表のほうが山頂よりゆっくり流れているという”事実”からこの本は語り始めます。まじで!?

そういえば地上にいついるんだというくらい、年がら年中飛行機に乗ってる人たちがやけに若々しいのは、速く動いてる人のほうが時間の流れが遅いとも書いてあるのと関係があるんだろうか。

さらにこの本は、「時間」は時計で規定する一つの統一されたものではなくて(それは単なる「目盛り」みたいなもの)、何かを中心とした時の流れがそれぞれ存在してネットワーク化したのが「時間」である、というふうに言います。

自分が見ていなかった間に大人になっていた親戚の子どもに驚いたり、昔好きだった歌手がいつの間にか老人になって亡くなった話に愕然としたりするのは、自分には自分の時間があって彼らには彼らの時間があるから。私の時間は他の人の時間とも、知らない街の時間とも、どこかの国の時間とも違う。…という感覚と同じように思えるけど、著者はこの考え方は現代人には受け入れがたいだろうと言うので、違うのかもしれない。

時間ありきではなくて、何かと何かが出会って反応が始まって進んでいくその過程が「時間」であって、何も起こらないかぎりそこには彼のいう時間はまだない、という感じかな。

なんとなく、生命が何もないところから発生したり、サルが道具を持って急激に知能を持つような変化って、突然爆発的に、加速的に起こるものだと思うので、平均的に流れ続ける時間よりその方がわかる。

「近代的な時間」ありきで生活してると、ご飯を食べてから寝るまでの隙間を埋めないとむなしいような気になるけど、何も起こらない時間のことなんてそもそも考えても仕方ないのだ、と卑近にとらえてみる。

そうだよな、「箱の中の猫は生きていると同時に死んでいる…箱を開けて確認するまでは」というシュレディンガーの考え方だと、開けるまではその箱の時間は他人にとっては止まってるって考えた方が自然(って話でもないのかもしれないんだろうな、多分)。

不思議と、読んで安心してしまった。小さいころからずっと、真空の箱の中に何があるんだろうとか、自分が見てないうちに誰かが死んでしまったらどうしようとか、宇宙の果てで救助を待ち続ける宇宙の生存者の心配とか、考えてもしょうもないことばかり心配してたので…。人はみんな自分の時間のことだけ考えてればいい、と言われたのだと勝手に理解したみたい、私。

 

岸俊彦「断片的なものの社会学」771冊目

学問ってふつう、ランダムに見えるものを膨大に集めて規則性や普遍性を見出すことだ。数式ならそれでいいしそれが役立つんだろうけど、ビジネススクールのようなものに通ってたとき、講師の書いた”成功の一般法則”の本に出てくる会社の不正が報道されたり買収されたりしたのを見た。その一般法則は大方、役に立たなかった。そういう感じを持ってる人がこの本を書いたり読んだりするのかな。何も前進しないし問題は解決しないけど、ほっとする。

1つの施設に3日間張って行きかう人たちを取材する「ドキュメント72時間」っていう番組がすごく好きで、終わりの音楽が流れるといつも泣いてしまうんだけど、なんで泣くのか説明できない。通りすがりの人に、その人がそこに来る理由や事情を聴いてすぐに別れる。その瞬間のかけがえのなさ。

うちには捨てられてたのを引き取った猫がいて溺愛して暮らしてる。預けられていた動物病院から引き取ってくる車の中で、道路で死んでいる猫を見た。うちの猫とその猫のどちらが特別なわけでもないし、どちらも特別だ。

前に介護施設でおばあちゃんたちのお話を聞くボランティアをしてたとき、若いころの武勇伝を聞いたり、お嫁さんが意地悪だという愚痴を聞いたりすることに、なんていうか魅せられてた。記憶があいまいだったり、多分半分以上ウソだったりするのかもしれないけど、語るその人のその時の時間はかけがえのないものだった。

そういうものを見てきた。それと同じようにこの本を読むし、この著者の他の本も読むんだよな。

 

 

高野秀行「腰痛探検家」770冊目

冒険や納豆の本を何冊か読んでいる高野秀行氏の、今回は腰痛に関する本。冒険談にはいつもおおいに驚嘆し共感し楽しませていただいているんだけど、腰痛も共感…私も頸椎と腰椎にヘルニアがあって(脊柱側弯のせいもあるかもしれないけど)、ぎっくり腰になったこともあるし、足が痛くて動けなくなったことも。私の場合は鍼で緩解するんだけど、本当に治るわけじゃなくて、ずっと通い続けるしかない。それに高野さんも書いているように、原因は(いろいろある中で)筋肉不足と姿勢の悪さが大きいので、対照治療だけじゃなくて根本をなんとかしないといけないのだ。

そういう意味で、長年考えてきたことを後押ししてもらえたのですが、きちんと筋肉をつけるためのトレーニングが必須だなと改めて思う。なんとなくちょこちょこ筋トレしてるだけじゃだめだよな…。水泳はどうなんだろう。女性は男性より水着も大きくて邪魔だし、髪をまとめるのも乾かすのも面倒なので、男性ほど気楽に通えない(単に自分が面倒なだけ)…。ジムに入会してもヨガに通ってもうまくついていけないし、運動は何にしろ苦手意識強いしな…。私は高野さんみたいに体を動かして辺境の地を探検してきたのと真逆に、長年座り仕事で腰回りがとても弱いので、時間があればなるべく、少しでも歩くことだけでも。こんな年になって(実際に高野さんと同じくらい)どれほど鍛えられるかも不安だけど、がんばるわ私。

 

藤原マキ「私の絵日記」769冊目

つげ義春の妻が書いた絵日記(故人)。村田喜代子の本に出てきたのが気になって、読んでみた。

なんとも生き生きとした絵、屈託のない文章。楽しいときとつらいときがあるので、「面白かった」という気持ちではないけど、なんとも言えず、この素直な生活感が好きだ。こういう人と「ねじ式」を描く人が結ばれるんだなぁ。

ねじ式」を読んだのは大学生のころ、調布に友達が住んでいて、川の近くの喫茶店つげ義春の漫画が置いてあったのを読んだんだけど、その辺に住んでたらしい。この本は1982年10月が最初の発売。私がその辺をうろうろしてたのは1984~1986年くらいだから、そう遠くはないな。

続編が出ることがなかったのが残念だけど、息子さんはもう40代のはずだな。…と思ってググったら、2020年にフランスの漫画祭でお父さんが受賞したのに付き添ったという記事が見つかった。なんかすごくほっとした…。