「須賀敦子の手紙」1036冊目

これは、最近読み漁っている須賀敦子関連書籍のうち、彼女が親しい友人夫婦に宛てて書いた個人的な手紙を集めたもの。エアメールの表書き、裏面の筆跡も含めて、なにもかもさらしています。

名前くらいしか知らない人の自宅を、いきなり覗き見しているような気分。ご本人が知ったら、顔を真っ赤にして怒って、この手紙を公開させた「おすまさん」(手紙の宛先)に長々とお説教をしたんじゃないだろうか。読んだ私も同罪かもしれません。

この本の中の須賀敦子は、才気豊かで感受性が強く、ちょっと短気でたぐいまれな知性を持つ女性です。きっと目のキラキラした、早口の、すごく魅力的な女性だったんだろう。話がべらぼうに面白くて、愛嬌があって、料理が上手で、一緒にいると最高に素敵な気分になれる女性。「おすまさん」は、写真もないけど、きっと自然が好きで優しくて温かい、のんびりとした”山ガール”のような感じの人じゃないかなぁ。

この手紙の山から見えてくる須賀敦子は、こんな下書きもない万年筆書きの手紙でも、感覚がするどくて表現も独特で、わかりやすく親しみやすい。むしろ、一般庶民はこのままの文章を読みたい、いやもっと言うと、この人がテレビでこんな話をしてくれたら国民的な人気者になったかもしれない、とさえ思います。そんな人があえて、出版されたエッセイを見ると、抑制に抑制を重ねた、完成度の高い文章です。まるで、おてんば少女が厳しい父親に正座させられているような文章。父親なきあとも、彼女の中には厳格な父親が住み続けていたのかな。

今って、おてんば少女がそのまま言いたいことをブログやYouTubeで垂れ流し続けている時代だと思う。(私もそうだ、ほとんど推敲はおろか誤字脱字チェックもしてない)才能のある人の文章を読むのは、話し言葉のようなものでも、抑制しきったストイックな形でも、どちらも好きです。でも世の中が自由に寄りすぎていることのバランスをとるように、抑制の美しさも再評価されたりしないのかな。それともエントロピーは増大し続けるので、文章表現はダイバーシティ(広い意味で)をさらに広げていくしかないのかな。私自身は、完成度の高い文章をもっと読みたいと今思ってますけどね・・・。