湯川豊 編「須賀敦子エッセンス2 本、そして美しいもの」1032冊目

「エッセンス1」を読んだあと、ずっと頭のなかでこの人のことを考えていた。いったいどんな人だったんだろう。周囲の人たちから愛される可愛らしい女性だったと思うけど、自分を高くも低くも見ない、他者のことを書いてもあまり感情を出さない。独力でヨーロッパへ飛んで数カ所に定住し、家族まで持ったことの孤独を、声高に叫ぶこともない。

もしかしたらこの人は、ものすごく不幸な人だったのかもしれない、一生、誰にも見せられない絶望を隠し続けた人なのかもしれない、と思ったところで、この本を読んでみた。

こっちのほうが「エッセンス1」よりもっと、孤独や絶望が漂ってくる気がする。エッセイを書き始めたのはイタリアから日本に戻って何十年も後だけど、昨日のことみたいに、映像を見ながら書いてるみたいに詳細なのは、その頃の思い出にとらわれたまま、抜け出せずにその後も生き続けたからかもしれない。

須賀敦子に心を奪われて、彼女の軌跡をたどった人の本を読んだのが最初なんだけど、彼女自身がサバという、書店主でもあった詩人の軌跡をたどる章がある。急ぎの旅で手がかりをつかめるかどうか怪しい、本で読んだイメージに裏切られるかもしれない、不安な気持ちが読んでるわたしたちにも伝染する。誰かが誰かの本を読んで、書いた人の歩いた道をなぞる。その人の道をまた誰かがなぞる。でも次になぞる人はもう誰もいないかもしれない。憧れる気持ちは続いても、憧れられる気持ちは続きにくい。100年後の誰かに読まれようと思って、みんな本を書くわけでもない。たいがいの本が黄色くなって破れて捨てられて焼かれる、書いた人の遺体と同じように。

歳をとってから書き始めた人だからかもしれない、諦念というより、書くこと、読まれることに何も期待していない堅さがある。この人が20代に書いたものとか、何も残ってないんだろうか?意外なほど無邪気で希望にあふれたこの人の文章などあったら読んでみたい気もする。

いくら感想を書いても書ききれない気がする、ずっと何か特定できないものが残る。不思議な書き手だな、ほんとに・・・。