佐藤正午「月の満ち欠け」1042冊目

<すみません、小説でなく映画のほうの結末にまでふれています。これから見る方はお読みにならないよう>

最新作「冬に子どもが生まれる」を読んだら、これを再読したくなりました。

最初に読んだときは、なんかすごくロマンチックに感じられて少しびっくりしたけど、今度は最初から”正午節”というか、昔から感じていたこの著者らしさ(と私が勝手に思っている)がいっぱいだ、と思いながら読みました。ヒロインに元々家出癖があるし、悪いめぐりあわせがたくさんあるし。映画のほうはめちゃくちゃお涙ちょうだいな演出で、ふたりの再会が最後になるまで実現しない構成だったけど、こちらは既に実現した再会の場面を回想する章を最後に持ってきています。著者あるいは神の視点の誰かが、ものすごく熱い涙を抑えて抑えて、最後まで泣かずに見守りに徹しようとしているような。

これまでは津田にしろ誰にしろ、人妻と寝る男はみんなどこか気だるくて、そもそも自己肯定できず若干自堕落な感じだったけど、三角はとても真面目で立派な会社員。その一方、夫であった正木は妻を亡くしてからは道を見失ったまま堕ちていく。今までの主人公には正木のような側面もあった、とか言うと、三角に肩入れして正木を悪漢視して読んでいる読者に殴られてしまうかしら。

この正木も哀れな男なんですよね。ちょっと俺様で機微のわからない男だけど、彼なりに妻を深く愛している。「アンナ・カレーニナ」のように妻を失ってしまうと、原因となった男を憎むことも、この状況では理解できないことではない。だけど彼には共感ポイントがひとつも与えらえない。彼の最後は語られないので、何を短く書き残したかもわからない。映画で演じた田中圭は好感度の高い役柄も多く演じている人で、小説での大男の正木よりは観客に近いかもしれないけど、やっぱり反発を感じた記憶があります。哀れ正木。

深い深い悲しみと愛情。最初から最後までこの小説にはしずかにそんな感情が流れ続けていて、やっぱり今までの作品の、愛や誠実さをあきらめて半笑いしているような雰囲気とは違います。何が変えたんだろう。著者の死後まで待ってもいいから、その心境の変化をめぐる要因を知ることができたらなぁ。(私も長生きしなきゃだけど)こういう興味って下世話なのかな、著者は作品だけを見てほしいんだろうな、きっと。