佐藤正午「月の満ち欠け」885冊目

<ネタバレあります。映画の詳細な筋の一部にも触れています。未読、未見の方はご注意ください>

映画を見たので、改めて読み直しています。どうも違う部分がたくさんあるなと思って。

映画のキャスト、大泉洋柴咲コウ有村架純、と聞くとわかりやすく作り替えたかも、となんとなく思ったし、長年愛読してる佐藤正午の作品のなかで、最もロマンチックに、真剣に「愛」と向き合った作品だと思っていたけど、思ったほど甘すぎずよくまとまった映画だなと思いました。それでも「鳩の撃退法」同様、原作の緻密で入り組んだ構造を2時間にまとめきれるわけもなく、(必要に迫られて)かなり作り替えられていたなと感じます。

だから映画のほうがだいぶわかりやすい。小説で瑠璃は2回ではなく3回転生して、二度目は違う名前だった。正木の妻の瑠璃、小山内の娘の瑠璃、社長の娘の希美、小山内瑠璃の親友、縁坂ゆいの娘のるり。つまり全部で4人いる。正木の妻の瑠璃の事故はジョン・レノンとは関係なかったし、彼女が好んで口ずさんでいたのは黛ジュンの「夕月」という歌で、ジョンともヨーコとも関係がない。正木は妻に先立たれたあと「社長の娘の希美」を助けようとして

「夕月」をググって聞いてみたら、めちゃくちゃ短調の、歌い上げる感じの演歌だった。意外。黛ジュンだし、軽快なポップス調の恋の歌か何かかと思ったのに、こんなベタな昭和歌謡だとは。

ジョン・レノンの「Woman」が流れないだけではなくて、彼が撃たれた日というマイルストーンは存在しない。・・・これは、時系列を認識するためには効果的な追加だったかも。私自身、あの日自分がどこで何をしていたか、妙によく覚えてたりするから。

そして正木は単なる一代の少し暴力的な夫だっただけで、あれほどつきまとってくる闇の存在でもなかった。

でも、佐藤正午の小説の中で唯一と思える大団円なのは映画と同じだ。彼の小説でよく見るふらっと失踪する女性と、無為に時間を過ごす男性は、織姫と彦星みたいに、いつか再会することを夢みて相手を探し回ってたのか、と思う。いままでの小説がこれで全部結末を迎えたような気持ち。

今、新作の長編に取り組んでいるらしい。来月から「Webきらら」で連載が始まるらしい。なにか一つ書ききったように感じられた手練れの小説家が、次に何を書くのか?すごく楽しみで待ちきれない気持ちです・・・。読み終えられないうちに事故で死んだりしたら、生まれ変わってでも結末まで読みます。絶対。