福永武彦・現代語訳「古事記」157

どこまでジャンルを広げる気だ、このブログ。

もう卒業した学校にまだときどき遊びに行って、古典を読むクラスに顔を出してるんだけど、「古事記は古典中の古典、日本人なら一度は読め」と言われて素直に読みました。

いやー面白かった。旧約聖書の比じゃないくらい荒唐無稽で、徳の高い人がめったに出てこない。神様がわんさかわんさかと生まれては、誰かが自分を殺そうとしていると疑って、ばっさばっさと切り捨てる。・・・言うまでもないことでありますが、世界各国の天地創造記というのは、それが書かれた時代の人たちの想像力のかぎりを尽くしたものであり、事実を脚色したものが含まれるとしても、まったくのフィクションです。

伊勢神宮の内宮のかなり奥まったところに入れていただいて、お神楽を見せてもらったことがあるのですが、小さい頃から見てた近所の神社のお神楽とはかなり趣が違いました。きれいな色の衣装をつけた若い美男美女が、ゆったりとした店舗のあかるい音楽に合わせて舞い踊る感じなのです。ブータンの舞みたいに、なんだかのんびりしてるの。大昔の日本人ってこういう風だったのかなぁと思いました。

古事記は、そういう人たちが書いたんだろうな、と感じさせるものでした。かの有名なヤマトタケルノミコトは思ってたより残虐?な戦闘マシンのようだったけど、物語全体にのびやかなおおらかさが感じられるのです。

古事記といえば大昔学校で習ったときに、「やまとは 国のまほろば」っていう詩の一部だけ記憶してたんだけど、全体がよみがえりました。著作権切れてると思うんで、そこだけ引用します:

大和(やまと)は 国の真秀(まほ)ろば

畳(たた)なづく 青垣

山籠れる 大和しうるはし

(引用したからって解説するわけでもないけど)

以上。