アーナルデュル・インドリダソン「湿地」600冊目

寡聞にも知らなかった、北欧ホラー台頭のなかにアイスランドの作家もいることを。さらに、その代表的な作家の作品が映画化されてたことも。友人から聞いてさっそくこの映画を見てみたんだけど、映画の感想のなかに「小説のほうが良かった」という人が多かったので、順番が逆になってしまったけど原作も読んでみることにしました。

いくつかわかったこと。(ネタバレあります)

事件の鍵は遺伝性の疾患とレイプなんだけど、幼い女の子の死にまつわる最新の事件のことは小説では最後になるまで出てきません。映画では、刑事がレイプ犯が殺された事件の捜査を進めるのと並行して、それより数か月前に始まったその最新の事件が進行していきます。 むしろ、最新の事件の関係者の視点で映画は作られています。エンタメ性はこのほうが高いかもしれない。複数の時系列の事件が同時進行する映画って、すごくわかりづらいんだけど、関係なさそうに見えた複数の事件が一点に収束していくのがスリリングです。

ただ、この作品に関しては「遺伝」が最大のポイントなのに、映画では冒頭が遺伝子研究所だし、最初からヒントというより答が提示されてしまっている感じがあります。とはいえ、小説でもわりと早い段階から「遺伝」という語は出てくるので、小説のほうでももっと後まで取っておいてよかったんじゃないかと感じます。

それから、アイスランドの人名や地名は耳慣れないものが多く、口に出して発音することすら難しいので、映画で登場人物をビジュアルに把握するほうがわかりやすいかも。(ただ、ぱっと見似てる人も多いし、人間関係が複雑なのでやっぱり難しいんだけど)

ほかに、レイプ犯が映画だと3人がかりとしか取れないけど小説では単独犯であることが明白。そもそも、それがレイプだったのか合意だったのかも、映画ではいまひとつ明白ではありません。もしかしてこの辺は、原作に忠実に慎重に字幕をつけていたら、それだけで変わっていた部分かもしれません。

…でも読み終わってみて、ちょっと考えが変わりました。この作品の主人公は、その遺伝子を受け継いだ男であるべきだ。刑事を中心に描いてしまうと主人公は最後の最後に登場するだけになってしまうけど、謎解きよりこの不幸な男の一生に注目を集めるためには、彼は最初から登場しなければならない。映画化に当たっては、作品の再構成の苦労が必要だったんだな、と。

小説のほうが切なさがつのるけど、それは本人が登場する前からずっと彼は行間にいて、ビジュアルがない分、読者は彼に対するイメージを持ち続けられるからだ。

小説と映画って、メディアとしての特徴が違うから、場合によってはこういう風に再構成が必要になるのか、と、新しい発見がありました。

同じ作家の他の作品も、続けて読んでみようと思います。

湿地 (創元推理文庫)

湿地 (創元推理文庫)