講談社文芸文庫 編「戦後短編小説再発見18 夢と幻想の世界」929冊目

京都に「鶏肉のどろどろ」という料理を出す中華の名店があるらしい。お昼どきのバラエティ番組を見ていたら、その料理を紹介してました。これには由来があって、谷崎潤一郎のある小説のなかに、この料理の名前だけ出てくるんですって。お料理そのものは、実際お椀のなかに白っぽい半固体のようなものがたっぷり入っていて、「谷崎スープ」という名前で出しているとのこと。試食した人が、鶏のひき肉や豆腐の味がすると言っていました。

私がひっかかってしまったのが、その短編のタイトルのほう。「過酸化マンガン水の夢」っていうんですもん。あの耽美の大家、谷崎にしてなにやらSF的な?マッドサイエンティストが出てくるのかな?いや、正直まったく想像つきません。

この短編が収録されている本のうち、一番借りやすそうなものを借りてみました。このほかにも全11編、すべて別々の作家の作品が収録されています。シリーズもので、これが18冊目だそう。なにやら怪しくてゾクゾクします。

読んでみたところ、過酸化マンガン水というのは赤いらしい。そんな色の液体をあらわす比喩に使われていました。内容は日常的なエッセイなのですが、主人公が妻と妻の妹を連れて熱海から所用で上京した際に、ジプシーローズのストリップに3人で出かけたり、あるいはひとりで「悪魔のような女」というフランス映画を見たりしています。ジプシーローズのことはよく知らないけど、その舞台に出ていた、おそらくまだうら若い春川ますみが気に入ったと書いてあったり、映画の筋や見どころに触れていたりするのが、ほんのここ数年のことのように身近に感じられるのは、私がずっと昔の映画ばかり見てるからでしょうね。

春川ますみは、その後年を経て優しそうなオバちゃん女優として活躍しましたが、今村昌平監督の「赤い殺意」では強盗に惚れて堕ちていく主婦をゆるく演じて印象的でした。「恐怖の報酬」を撮ったアンリ・ジョルジュ・クルーゾー監督の「悪魔のような女」は消えた遺体、悪女、などが渦巻くサスペンスで、観客を驚かせることばかり追い求めていてあちこち筋が破綻してる、などと私と同じような感想を書いています。趣味が合うわぁ。(ほんとかしら)

他の短編も面白い。なんといってもテーマが「夢と幻想の世界」ですから。村田喜代子の「百のトイレ」は細部までよく覚えてる作品。川上弘美の「消える」は昔ばなしのよう。星新一色川武大の作品を読んだのは何年ぶりだろう・・・など。

でも本当は、周囲に何もない旅館に泊まって、VODとか見ないで、虫の声でも聴きながらじっくり読めたら最高だろうな、こういう本は。そんな機会があったら、またこのシリーズの本を読んでみたい気がします。

 

うタイトルなんですよ。

鈴木大介「ネット右翼になった父」928冊目

なかなかの問題作じゃないかと思う。晩年急にネット右翼だけが使う特殊なスラングを使い始めた父を嫌悪した著者が、父の死後に「なぜそうなったのか」を調査するうちに、問いが「本当はそれほどのネット右翼ではなかったのではないか」「なぜそう思い込んでしまったのか(自分自身が)」へと変遷していった状況を記録した本。

自分の行動のベースになっている感情や事情を解き明かそうとする、というアプローチを見て、アニー・エルノーの「シンプルな情熱」を思い出した。感情そのものは両方ともドロドロとして生々しいものだけど、アプローチがあっちは解剖学者みたいで、こっちは心理学者みたいだ。調査する視点があっちは冷徹だけど、こっちには愛があふれている。でもどっちにも共通しているのが、今この世の中に決定的に欠けている「ちゃんと調べる」という強い意志だと思う。

誰かが言ったことを本当のように伝えるものがいて、ろくに疑いもせずに信じて伝播することに被害者意識しか持たないものがいる。

いつかどこかで話すことがあるかもしれないけど、私は事実とちがう”風評被害”で何度も実害を受けたことがあるので、本当にそういうのはやめてほしいと思う。どんな人もどこかで立ち止まって、気づいて、考えてみてほしい。

あと、事実って「これはこうだ」と納得した瞬間、別の新しい可能性があるものだと思う。科学がいくら発達したといっても、摩訶不思議な森羅万象を解き明かすことは、私が生きてるうちは少なくともむりだ。この著者はきっとそれほど遠くない将来、自分がたくさん誤解していた父が、自分のそういうところを認識したうえで、ちゃんと愛してたことに気づくんじゃないかな、という気がする。自分の誤解をあらかじめ赦していたことも。そうやって、実の子どもではないにしろ、次の世代の人たちをいつくしんで、育てていけばいいんだろうな、と思う。

そんなことを思うような、父と子の愛の物語、のようにも思える本でした。いい意味で。

 

地球の歩き方BOOKS「世界遺産の歩き方 学んで旅する!すごい世界遺産190選」927冊目

このシリーズを何冊か読んできたけど、中でもこれはカタログや教科書的に使えそう・・・世界遺産検定や、添乗員や旅行会社を目指す人なら。私自身、旅行関連の仕事をやることはずっと考えていて、文字ばかりの本では全然イメージが湧かないので、この本なら楽しく見られそうだなと思います。

それに、自分がかつて大昔に旅行したところを改めてこの本でおさらいするのも楽しい。エジプトに行ったのは1993年だと思うけど、あまり世界遺産ということを意識した記憶がない・・・。1979年にとっくに登録されていたけど、今ほどセールスポイントとして大々的に宣伝してなかったかも?(私がちゃんと見てなかっただけ、という可能性も高い)

コロナ以降すっかり海外旅行からは遠ざかってしまったけど、いつ再開できるかな・・・以前は時間とお財布さえ許せば毎月でも行ってたのになぁ。でも、国内にとどまっている間も、いつかまた行く海外に備えて勉強しておくのもよいかも。

 

柴田元幸・小島敬太 編訳「中国・アメリカ謎SF」926冊目

中国とアメリカの、新進気鋭のSF作家の短編を集めた本です。

この中では冒頭の「Shakespeare(遥控)」と名乗る作家の「マーおばさん」という作品が面白かったなぁ。脳の神経ニューロン→アメーバ→小さい生物(昆虫など)の集合、と連想してなんとなく納得してしまった。

原語で中国語や英語の新作をどんどん読んでくれる人がいるおかげで、ベストセラーにまだなっていない作家の作品がこうやって読めるのってありがたいですね・・・。

アレクサンドル・ベリャーエフ「ドウエル教授の首」925冊目

強烈にインパクトのある1925年のロシアSF。ざっくりいうと、遺体の蘇生を研究していた学者が、助手に殺されて実験台になり、首から上だけの状態でひそかに生き続け、助手の研究はさらにエスカレートして・・・というお話。当時はこんな未来もありうると考えられたんだろうな。

ロシア作品らしく(偏見かもですね、私)それぞれの自我が強くて独白が多いのが、奇天烈な設定に深みを持たせています。ドイツ時代のフリッツ・ラング監督で映画化してほしかった。「カリガリ博士」とか「M」みたいな古典になりえたかもしれない。

この著者、実際に大人になってから脊椎を傷めて5年間も首から下が動かない生活を経験してるそうですね(今日付けのWikipediaによると)。体の自由がきかないのがどういう精神状態か、彼は知った上でこの本を書いてるわけです。どうりでその牢獄に閉じ込められたような感覚の表現に重みがあります。

邦訳はなんと10回も出版されています。きっとそれぞれの発行部数はあまり多くなかったんだと思いますが、「これを世に出したい!日本のSF読者に届けたい!」という出版関係者の熱意が感じられます。

これ、アメリカの人が書いて映画化したら、めちゃくちゃサイエンス寄りになって、閉じ込められた人間の精神はさらっとホラーっぽく表現して終わりそう。ロシア的な深みの魅力を改めて実感しました。

 

佐藤ジョアナ玲子「ホームレス女子大生川を下る」924冊目

面白い本しか書かない高野秀行氏(このブログの常連)が激賞していたので読んでみました。さすがです。面白いものを書く人が面白いという人は本当に、腹の底から面白い。

佐藤さんは自分の蓄えてきた身一つでアメリカの郊外に留学し、お金がなくなってアパートを追い出されたら小さい組み立て式カヌーと少しの道具だけでミシシッピ川を3000キロも下るのです。

この方、若くして母も父も失って、人生には甘いことなど一つもないとこんな年齢で悟ってしまったのか、一人でかつ独力で生きていくことに何の迷いもないように見えます。人間レベルの階段の頂上近くにすでに至っているような。他人になにひとつ期待していないので、してくれること全てに感謝できる。どんなアクシデントも楽しみと捉えられる。25歳までにみんながこんな経験をして覚悟を決めることができたら、世界はものすごく良い場所になるだろうな。

サバイバルに必要なのは考えて考えて考え抜く力、その積み重ねから生まれる「勘」。健康な肉体も必須でしょうね。

すごく変かもしれないけど、最近見たアニエス・ヴァルダ監督の映画「冬の旅」を思い出しました。あの主人公の女性(モナ)もこのくらいの年齢でしょうか。社会を倦んで一人で旅しているところまでは同じだけど、モナは社会を、人を、憎み続けてる。自分で考え始めていないから、何をやっても失敗する。彼女たちを旅へいざなったものは、もしかしたら似ていたかもしれないけど(映画では何も語られないし、佐藤さんもあまり詳しく本に書いてません)、大いなるこの違いは。

映画「ノマドランド」を思い出した人は多そう。旅で出会った人と飲むビール、焚火で沸かして飲むコーヒー。・・・でも最近のキャンプ女子のことは連想もしない。彼女たちは佐藤さんやノマドランドのファーンは開いてるけど、インスタ映えする写真やYouTubeを撮ってる彼女たちは閉じてるように見える。日本とアメリカの環境の違い(主に人かな)から来る違いかもしれないけど、見栄えを棄てたら世界は少し違ってくるのかな。

肉体も脳みそも鍛錬した自分だけを持って、広い世界の中で小さく生きるのって、私の理想なのだ。「Culturally rich」というのは、芸術の素養のことじゃないのだ。生きる全てがculture。

佐藤さんの今後の人生をずっと見ていたい、かないようがないけどお手本にしたい、と思います。どこにいて何をしていても、がんばれ佐藤さん。

 

ニコルソン・ベイカー「U&I」923冊目

Uってジョン・アップダイクのことか。好きだけどなぜか全部読んだ作品が少ない小説家のことを、知りもしないのにあれこれ妄想して1冊本を書いてしまった、という。やっぱりニコルソン・ベイカーって変な人だ。

でもこの本はすごく面白い。語り口がカジュアルでアケスケだし、自分がどこに行ってどう思った、何を読んで(あるいは読まずに)どう考えた、ということしか書かれてないので、誰かの面白いブログでも読んでるみたい。書いてあることはアップダイクの作品にしてもパーティにしても、知らないことばかりなのに、なぜか面白い。この人はとにかく感受性が豊かで、目の付け所や比喩のしかたが独特なんだ。誰かの借り物、手あかのついた表現を極度に恐れて、常に自分の文章を批判し続ける。自分自身の見た目や考えも批判する。基本的に、自分を卑下してる文章は読者をその分持ち上げてくれるから、緊張せずに楽に読める。

それに翻訳が素晴らしいんじゃないだろうか。この有好宏文という翻訳者はいったい何者だ。こんなにクセの強い文章をどうやったらこんなにスルスルと読める日本語にできるんだろう。アップダイクも読んだことないし、その他この本のなかで言及される物事の半分以上見たことも聞いたこともないのに、まるで旧知のことみたいに読めるのはなぜだ。きっと手練れの「読み手」「書き手」で、かつ博学な人なんだろう。と思いながらググってみたら、この本の翻訳は30歳そこそこでやってたようです。すごいな、さすが京大卒。その後キューバへの留学を経て今はアメリカのアラバマ州にいるらしい。理想の人生だ。

老い先短めになってきた自分の今後のことを、夢見つつ現実に足を降ろして考えてみる。4月から仕事が激減するかもしれず、なんとか生活はするとして、空いた時間をどうするか・・・。テキスト買って安心するだけじゃなくて、本気でスペイン語やってみようかな・・・(本を読むとそれ以外のことを考えこんでしまうことが多いな私)