なんでこの本が絶版なんだろ?
日本IBMの社長を18年間務めた椎名武雄が日経新聞の「私の履歴書」に連載した、彼の半生をまとめた本。連載は(本には何も書かれてないけど)2000年、文庫本は2001年に出ています。
日本国内の外資系企業で働く人や、そういう企業について知りたい人には、まずこの本から読めって感じの基礎的な名著です。
全体のトーンは、演歌だろうかと思うくらい(いい意味で。)日本的です。日系2世や3世にも通じる、外から日本の失われたものを懐かしむナショナリズムのようなものが感じられます。これは外資でしか働いたことのない私にも通じるものがありますね。この本でも繰り返し書かれていますが、自分が日本人だということは、外に出て初めて実感し、日本人代表として急にがんばらなければならなくなるものです。P124で自分は日本が大好きで、マラソンで1位の高橋尚子が大写しになった瞬間涙した、と書かれています。・・・そういうことをことさら書かなければ、外人かぶれだと決めつけられてしまうんだとしたら、けっこう嘆かわしいかも。
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今回はまたメモが多いので、ご勘弁を:
「はじめに」で”Sell IBM in Japan, Sell Japan in IBM”というフレーズが早速出てきます。これはp99で、社長就任時に本社の人たち向けのスピーチ用に考えたフレーズだと書かれています。
P22 IBMって戦前から日本にあったんだー。前進「日本ワットソン」は1937年に設立されています。開戦後の42年に"敵国資産会社"として全資産を凍結され、凍結解除後その資産を元手に事業を再開。戦後は1度も日本にドルが払い込まれていないので、本当は日本資本の会社だ、とも言っています。
新卒で就職して勤め上げたたたき上げの社長だから、こういう歴史が語れるんですね。日本では場に馴染むるのに、努力はともかく時間が必要となることが多いと感じているので、日本企業との社長どうしの付き合いがこれだけ続けられたから、地元感が根付いたのかもしれません。「日本で成功」って言うと普通は売上とか利益率の話になるけど、私は「どれだけ好感をもって受け入れられるか」に注目してるので、その辺が気になります。ホンダもIBMも徹底した現地主義でその意味の成功を手に入れたと言われています。・・・そこまで考えてくるとかえって、「本社centricなのに現地で好かれている企業は本当にないのか?」を調べてみたくなります。「ブランドもの」と呼ばれるカバンやジュエリー、車などは、手が届きにくい方が価値があると感じられるかもしれない。でもフランスのブランドのSUICA対応定期入れがあったりして、やっぱり本当は現地のことをすごく意識している・・・のかしら?
P40 カナダのトロント工場は、小さいけどアメリカに負けないとがんばって「多品種少量生産」で成功し、これが日本にも受け継がれたそうです。
P45 1953年当時のIBMの大森工場の写真は驚愕です。いわゆる町工場のイメージより、さらにずっとさびしい。でも、こういうのを見ると、演歌ごころがうずいて、IBMっていい奴じゃん!とか思ってしまいそうになります。(←けっこう中小企業マニア)
P46-49 徹底した現地主義の「世界企業」であり、日本で作った(当初は)粗悪な製品もUSでどんどん売ってくれたのだそうです。資本は100%本社から出すが、経営は徹底して現地に任せる。
P64-65 “Don’t shoot the messenger”。悪い知らせを持ってきた人を罰してはならない。これ他でも聞いたことあるな。続いて”Glorious discontent”とは、不満を感じたらそれを外にぶつけるんじゃなくて自力の改善につなげろ、という意味のようです。
P67 トマス・ワトソン・ジュニア(創業者の長男)が日本の工場見学のとき「整理整頓はトイレを見ればわかる。キレイなので合格」と言ったらしい。オフィスは必ずしもそうではないかも・・・
終身雇用は日本的だと言われているが、IBMの方が先に始めた、らしい。思うに、1937年(昭和12年)に前身の会社が日本にできた、つまり日本だけで70年やってる企業と、たとえば5年前に創業し2年前に日本法人をたてた会社を、単に「外資系」という安直な言葉でくくること自体がおかしい。MSもIntelも、彼らに比べればベンチャーみたいなものかもしれない。「千年、働いてきました」とか「テクノヘゲモニー」とかと合わせて読むと、近視眼的でない見方ができそうな気がする。PCに参入したときに、CPUとOSビジネスを他社に与えてしまったことを失敗として書かれることも多いけど(p151-155)、PC産業の振興に果たした功績は大きくて、そういう歴史的なものの見方をすれば、失ったものが大きかったとは必ずしも言えないのかも。
P68 ジュニアはホンダが大好きで、メードインジャパン(が粗悪だという)の偏見がなかった、といいます。でもホンダはアメリカ企業に近いイメージをアメリカ人に持たれていたはずなので、それを言うならSONYとかを出した方が良かったかも・・・。でも、たとえば設立間もないヤマハからのスピンオフ会社の最初の仕事がIBMからの委託だった、というようなエピソードを聞くと、実際そういうスピリッツが根付いている気はします。
P71 終身雇用とは、50になっても新しい技術を覚えなければならないとういこと。おじさんがバケツを持って廊下に立たされてるのを見て驚いたと書いていますが、私はアメリカ人が「バケツ持って廊下立っとれ」を実践してたことに驚きました。日本の小学校の体育の先生が考えたのかと思ってた。
P74 IBM対国産機の戦い。1960年にIBMが通産省との交渉の後、特許を開放したが、そのときの通産省側の担当者が故・平松守彦 もと大分県知事だったそうな。やり手で国際派とは聞いてたけど、そういう人だったんだ~。
P75 60年代、「貴重な外貨でUSのPCを買うな」と牽制してたらしい。それはもしかして、「夢を力に」で本田宗一郎が書いていた、外貨をたくさん使ってアメリカに工場を建てた・・・って頃と一致してる?(59年6月にLAにホンダモーターを設立してるな。)
P84-85 契約について。67年の八幡製鉄との契約でも、賠償額の上限とか秘密保持期間の限定でもめたらしい。今と同じじゃ~ん。
p98「国益重視」と書いてあるけど、「国益」とは何か?→Discussion pointだな。
P110 自社による直接販売から、82年に特約店を通じた代理販売も行う形に移行。「地元企業にももうけさせる」のは重要かも。
P118 椎名さんは、本社との戦いが6勝4敗か7勝3敗くらい、らしい。0勝10敗の人も多いと思うので、この数字はかなり良いと思います。
P126 82年の産業スパイ事件。三菱と日立の社員がFBIのおとり捜査にひっかかってIBMの機密を盗もうとした、と言われています。いまでも純粋培養のエンジニアは赤子の手をひねるように、かんたんにひっかかってしまいそうです・・・(日米問わず)会社としての対応は日本のほうが幼い気がするんだけど。
P165 日本IBMは人材を輩出していると自負しています。終身雇用でない外資系企業の場合、輩出もなにも、どこが出身会社なのか(その人のカラーを決めたのはどの会社だったのか)特定するのも難しい。渡り鳥ばかりが育つわけだ。
P167 「外資での経験は、日本企業で役立てられるはず」・・・同じことを某エージェントに言ってみたことがあるけど、日本企業への転職は難しい、辞めた方がいいと言われました。つい昨年。最初から諦めるのが悪いのか、それとも努力しても無駄なのか?
この後は経済界での経験が語られるけど、あんまり興味ないや。ただ、SONYの盛田さんにすごく可愛がられてたってのが興味深い。・・・あ、そうか、盛田さんはハリウッド大好きでメディアを買うことに熱心だったんだな。みょうに納得。
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とにかく、尊敬された社長が書いたものを読んで、その会社のことを好きにならないわけがない。もーちょっといろんな文献や人を直接当たってみて、ネガティブ面も探ってみたいと思います。以上。