萩尾望都「ポーの一族1~3」633~635冊目

「100分de萩尾望都」を見て図書館に予約を入れたんだけど、数十人の列ができていたのですぐに借りられるTSUTAYAで借りました。1冊110円。

大長編ではなく、数回の連載と何度も繰り返してるんですね。エドガーとメリーベルとポーツネル夫妻の”家族”、アランとの出会いとメリーベルの別れ…という骨子が一番最初のシリーズですべて語られています。それ以降のエピソードはいずれも、前日譚や後日譚。「ポーの一族」を最初のシリーズ「ポーの一族」だけとみると比較的短い作品だということもできて、舞台化するときにはその後に書かれた他のエピソードをどれくらい加えるかという判断になるのでしょう。

トーマの心臓」も強烈な神と生死と愛の物語だったけど、これもまた愛と生の意味を問う深淵な物語です。後になるにつれ、エドガーの冷酷さが際立つエピソードが増えていきますが、こういう本格的な”悪”が深く描ける萩尾望都を育てたのが若い頃に読んだ「恐るべき子供たち」とかのおかげだとしたら、ジャン・コクトーに感謝しなければです。

これ、子どもが読んだら驚き、思春期なら啓示を受け、大人が読んだら何かを思い出し、老人が読んだら答を得たような気持ちになるんじゃないかな。 

続編も読まなければ。 

 (1998年8月発行、2013年6月第33刷 3冊で1833円)

 

 

エリック・A・ポズナー/E・グレン・ワイル「ラディカル・マーケット 脱・私有財産の世紀」632冊目

たしかNHKの「欲望の資本主義」に著者が出て、すぐさま予約を入れたんだと思う。社会に関する本の最近の流行はまるで社会主義みたいな「シェア」かと思っていたら、この本は「脱・私有財産」を掲げつつ、ラディカル・マーケットでは何でもオークションで価格が決められるらしい。それってけっこうすでに現実になっているけど、この本ではさらにどういう未来像を見せてくれるんだろう?

難しいかなと思ったら、すごーく平易で読みやすい本でした。するする読めます。

ベースになるのはノーベル経済学賞の受賞者、ウィリアム・S・ヴィックリ―のオークション理論とのこと。そして二人は、スタグフレーション(インフレなのに不況が続くこと)になぞらえて、格差は広がったが活力はかえって低下している状態のことを「スタグネクオリティ」と名付ける。(これ言いづらすぎて定着しない、に5000点)

第1章では共有財産制に移行し、例えばあるマンションの部屋を持ち続けたい人も価格を提示し、買いたい人が来たら即座に売らなければならない。持ち続けるには自分でつけた価格に見合った税金を払い続ける。という仕組みをCOSTと名付ける。…それ絶対うまくいかない。元気でバリバリ働ける人しか賛同しないと思う。富裕層に近い人。だって私はストレスまみれでやっと買ったちっちゃい部屋、猫が飼える貴重な部屋を、誰かが買いに来ても売る気はないし、もう体のあちこちが悪くてバリバリ働くこともできない。たいがいの人が若い頃にがんばって稼いで、年を取ったら休みながら最低限の生活ができるように蓄えるんだもん。住み慣れた家を引っ越すお金・労力・人間関係や便宜上のコストって「ネットワークの外部性」と同じで、簡単にはいそうですかと移動できるものじゃない。

第2章では、興味のあるものを選んで投票できる仕組みを考えてそれをQVと名付ける。興味のないことに投票させられるより、自分の利害が如実に反映されるトピックを選べるようにするというのは意味がありそうだ。障壁があるとすれば、投票作業が複雑で難しくなることかな。そうすると投票することのインセンティブが下がる。投票しない人、自分自身の利害を把握できない人は選挙に参加せず、外れていくのかな。

第3章では、個人が移民を受け入れる仕組みを提唱。なんで「豊かな国」から「貧しい国」への移住のことは何も書いてないんだろう?

第4章では、機関投資家が同じ業界の1位、2位など寡占企業の株を多数買い占めていて、資本がその業界を独占する状態が起こっていることを懸念し、それを禁止する法律が必要だと説く。企業は株主の顔色なんて、気にしているふりをしてるだけで、どんなCXOもライバルに勝ち、少しでも高い価格で消費者に商品を買ってもらうことに真剣に取り組んでるので、そんな懸念は無用、と思いました。そんな資本独占で価格競争がなくなるような動きのない業界は、低価格競争に陥ってどこかがつぶれるより、価格の波がなく落ち着いていた方がよい市場だと思うんだけどな。なんか実感のないことばっかり言うなぁこの人たち。

第5章では、FacebookGoogleを消費者たちがあまりに使っていて、2大巨頭が持つ「ビッグデータ」が高値で売れるのに、彼らはユーザーというデータ供給者に一円も払ってないので、ユーザーは組合を作ってお金を払わせるべきだという。ボイコットとかしないと思う、プラットフォームだから。ユーザーは1つのコミュニティに属してるだけじゃないから。経済学の本じゃなくてSFにしたら意外と話題になって、警鐘を鳴らすことにもなるんじゃないかと思うんだけど…。

結論・エピローグではここまでの主張をまとめて、すべてを実現するのに必要な情報集積・分析・リコメンド能力を、コンピューターシステムが2050年までに達成するだろうと述べている。結局そういうことか、中央計画制の社会主義が崩壊したのは、人々のニーズや長所を中央政府が正しく把握、分析、調整する力が及ばなかったからであり、現在の技術をもってすればそれは不可能ではないというのが、著者たちの考えなんだな。

人間の悪意や執着など、動物であるかぎり何千年たってもなくならない部分でコントロールができなくなりそうな部分がたくさんあるけど、純粋な概念書だと思えば面白いと思います。ボリューム大きいけど、読み終わったとき自分の考えもはっきりしてくると思うので、いいチャレンジになるんじゃないかな。

(2020年1月2日発行 3200円)

 

ケン・リュウ編「月の光 現代中国SFアンソロジー」631冊目

待ちに待ったアンソロジー第2巻、やっと図書館の予約の順番が回ってきました。

小型だけど510ページもあるし、歴史ものやとてつもなく非現実的な宇宙ものもあるので、なかなか読み進みません。だから、予約の順番が近くなってもなかなか回ってこなかったんだな…。

今回は1つずつ感想を書いてみよう。


夏笳「おやすみなさい、メランコリー」

人工知能、未来もの。ノッコはあざらしの赤ちゃんの見た目をしたロボットだけど、リンディが何かは書かれてなかった。赤いフェルトのケープを着た、耳の長さがふぞろいなぬいぐるみ。ウサギか?生き物みたいなんだけど。…という入口でひっかかってしまって困った。

張冉「晋陽の雪」
これは歴史的過去に現代のオタク少年がタイムトラベルしていく話なんだけど、これも、タイムトラベルものだとわかるまでが長くて、困った。

糖匪「壊れた星」
これは少女まんが的な残酷で美しい作品。女性にしか書けないな!

韓松「潜水艇」「サリンジャー朝鮮人
2つとも、すごくよくできた短編、という感じです。経歴を見たらすでに大家とされている人で、納得。そしてテーマ選びにも行間からも社会批判が漂ってきます。この人の作品はもっとじっくり読めたらいいな。

程婧波「さかさまの空
すごくロマンチックな作品。イルカの会話を録音しようとする教授、心で聴ける女性。イルカとの心の会話、空の星になりたいイルカのジャイアナ。これは「ファンタジー」だと思うんだけど、普通ファンタジーは漢語が少なくて、漢字もひらいて、やわらかい文章で書かれることが多い一方、これは出どころが中国なので、原文を生かそうとすると漢語だらけになる。そこが、ちょっと入り込みづらい原因だと思うけど、これはきっと慣れですね…。

宝樹「金色昔日」
これはまた正統派の非SF小説というかんじ。中国の近代史が逆行するという不思議な時間軸と、巻き込まれる主人公と彼の愛する女性との運命に、心を痛めながら読んでしまいました。このアンソロジーの中では長いほうだけど文庫本せいぜい1冊分の長さなのに、大河ドラマくらいの時間の流れを感じさせる作品でした。

郝景芳「正月列車」
前アンソロジーに「折りたたみ北京」を提供した作家。すばらしい発想力だけど、物理学のほかに経済学などを修めてシンク・タンクでアナリストとして勤務しているとのこと。この短編は雑誌「エル」に掲載されたんですって。これもまた、科学をもとにした新しい発想がひとつあって、それを非常にセンス良く簡潔に料理たもの。科学者と科学にうといレポーターのやりとりが秀逸です。

飛氘「ほら吹きロボット」
これはガルガンチュアとかドン・キホーテの仲間の空想譚という感じですね。豊かな想像力で面白かったです。

劉慈欣「月の光」
とても面白かった。星新一のショート・ショートみたい。「未来の自分が世界を事前に変えようとして現在の自分に電話してくる」…やってみたけど失敗したら?という命題を畳みかけてきます。この重複、うまいですよね。さすがです。

吴霜「宇宙の果てのレストラン――臘八粥」
中国の小さい街の食堂のどこかの光景みたいな小品。中国の作家には、情緒を重んじる人も多いですよね。毎回は泣けないけど、作者の思いが伝わってきて胸を打ちます。 

馬伯庸「始皇帝の休日」
これも笑った。勇気あるな~こういうの書くって。いや、ゲーム雑誌に掲載したコメディというかパロディみたいなものだから、誰でも気楽に書けるのかな。こんなの書いて笑ってるオタクなゲーマーがいるなんて、ちょっと中国に親しみを持ってしまいますね。

顧適「鏡」
これも少女まんがみたいな、きれいでヒネリが利いていて不思議なお話。豊かな想像力のたまものです。あえてごく短くしてあるけど、この後何が起こったんだろう?と想像したくなります。

王侃瑜「ブレインボックス」
これも面白い。人生の最期の5分間だけを記録する、飛行機のブラックボックスのような「ブレインボックス」。彼女の頭の中には何が残されていたのか、プロポーズの返事を待っていた彼がその中を覗く…。設定も面白いけど、結局人間ドラマなところがまた良いです。

陳楸帆「開光」
ブッダグラムというありがたい写真SNSのアイデアは面白かったけど、オチがわからなかった…

「未来病史」
こ、これも難しくてよく理解できなかった。。。

小説のあとに、作家でもある王侃瑜がまとめた「中国SFとファンダムへのささやかな手引き」という解説も載っているのですが、これは素晴らしい。文化大革命など数回のSF禁止を乗り越えて、中国SFがどのように書かれてきて、どのような雑誌や愛好家団体がそれらを取り上げてきたかをとても包括的かつわかりやすくまとめていて優れものです。

いやー、それにしても今回は読むのにすごく時間がかかった。良しあしではないんだけど、熟語が多い(漢語がそのまま日本語の熟語として使われていると思われる)文章を読むのには、いつもよりエネルギーが必要だった(私は、ですが)。

次に中国SFを読むのはおそらく、「三体2」の予約が廻ってきたときだろう…。楽しみにしています。 

 (2020年3月25日発行 2200円)

 

早川書房編集部・編「早川書房創立70周年記念コミックアンソロジー★SF編/ミステリ編」630~631冊目

早川書房が創立70周年を記念して、過去の「SFマガジン」と「ミステリマガジン」に掲載された、古今東西の偉大なるまんが家の短編と、このために書き下ろしたものをまとめた作品集。手塚治虫松本零士石森章太郎萩尾望都吾妻ひでおとりみき…もう、すごいです。

でも書下ろし編の、SF編とミステリ編にまたがって書かれた2連作がとても面白かった。SFもミステリも、文字だけじゃなくてまんがもアリだよ、当たり前でしょ!って感じでした。

 (2016年1月25日発行 1500円x2冊)

 

 

森博嗣「トーマの心臓」629冊目

先に萩尾望都のまんがを読んで、こっちも読んでみることにしました。森博嗣がノベライズ?したもの。

読み始めてみたら、けっこう小説と違う。トーマのほんとうの死因はなかなか明かされない。ユーリとエーリクが出会うのは墓地ではなくて公園。出かけた先でサイフリードと出会う場面に、肝心のユーリはいない。だいぶ読み進めたあとで、舞台がなんと日本だと気付く。カタカナの名前は全部教授がつけたあだ名ということになってる。先輩は上級生ではなく「院生」。トーマは金髪青い目だったけど、舞台が日本なので「エーリクのほうが髪が長い」という表現になってる。唯一の外国人がワーグナ教授で、オスカーの容貌は何かのヒントになっている。ユーリが傷ついた事件が起こった場所と時季が違っていて、オスカーがそのことを知ったのは部屋が分かれた後だ。ユーリが神学校に転向を決めたのはかなり前のことだった…きりがないけど、すべては、森博嗣が自分の言葉でこの物語を語りなおすために必要な修正だったんだと思います。

そして、とても読みやすく小説として魅力的。なんというか、まんがの舞台化のときの脚本を書くのってこういう感じなのかな。

ただ、全体を読み終えて、「わかったようなわからないような感じ」になるな。それはきらびやかな絵や、ときに大げさな感情の発露があったまんがの方を先に見てるからかな。でも物語の本質を深く理解して愛情をもって自分の言葉で描いた、ということが伝わってくる小説でした。 (2009年7月31日発行 1500円)

 

佐藤正午「小説の読み書き」628冊目

佐藤正午の本は全部読んでるし持ってる上に、ときどき読み返す。そんな作家はこの人しかいないのだ。なるべく全部読む作家は他にもいるけど、借りるか、買ってもすぐ売るので手元に残らない。というわけで佐藤正午の本はいつでも読み返せる。

1章毎に1人の作家を取り上げて、その文体や表現を著者なりに分析する本で、前に読んだときは「小説界で文章の巧と呼ばれてる人の本だから、分析も鋭いのに違いない」と思い込んでうやうやしく読んだ。前も今も、取り上げられてる作家の本はほとんど読んだことがない。でも、2009年に最初にこの本を読んでから11年も経つと私はだいぶ図太いおばさんになっていて、「佐藤正午はこう言ってるけど、大昔の作家はそんな文体なんか頓着しないで気分のままに書いてたんじゃないかな」と思うようになった。昔は編集者があまり「てにをは」を直したりしなかったのかもな、とか。大作家の文章にはおかしなところにもすべて意味がある、と言いたがるのは著者が几帳面だからなのかな?

大作家たちに常に敬意を表してるように見える著者自身、何度かあとで「連載のときにこう書いたけど間違ってました」という追記をしたりしている。私から見れば、取り上げられてる大作家たちも佐藤正午も同じような高さにいるので、大作家の人たちもいっぱい間違いをしたんだろうと思ってる。

文章がうまくなりたいなーと思って読み返してみたんだけど、それより何より、書きたいことを特定して、あとは書いて書いて書きまくって、推敲して推敲して推敲しまくるのが、文章が上達する秘訣なんだろうなと、当たり前のようなことを痛感しました。

小説の読み書き (岩波新書)

小説の読み書き (岩波新書)

  • 作者:佐藤 正午
  • 発売日: 2006/06/20
  • メディア: 新書
 

 

高野秀行「幻のアフリカ納豆を追え!~そして現れた<サピエンス納豆>~」627冊目

あー面白かった!本当に面白かった。納豆という、どんなにお金がなくてもこれさえ食べていれば相当生き延びられるほど、安くて滋養豊富な食品(世界中どこでもきわめて安価で、材料や完成品が取引されてることもわかった)をネタに、著者はとうとう世界制覇を遂げてしまった。多分。文体も軽くて明るいけど著者の人柄も気安くユーモアたっぷりだ。でもそれより何より、やってることが面白すぎる。

世界の納豆菌をちゃんとした筋を通して輸入してもらって、世界の納豆料理が食べられるレストランをぜひ開いてほしいです。私は今日も、スーパーで買った普通のねばねばの納豆に唐辛子と塩とオイルをたっぷり混ぜて食べたけど、著者がこの本やこれより前の本で紹介した世界の納豆料理のようなものができるとは思えない。成城石井の乾燥納豆をスープに入れたほうがそれっぽくなるかな‥

九州の辺境の山間の村の出身の母に似て、小さい頃から納豆が大好きな私としては、著者の納豆活動を応援したいし、日本でできることはデパート的に世界の納豆を取り込んで自分のものにすることじゃないかと思います。ぜひ実現してほしいです。