山崎晴雄・久保純子「日本列島100万年史」886冊目

日本列島って、ユーラシア大陸の東端の湖が海とつながっちゃって、キワだけ残ったものなんだろうか。とふと思って気になってたまらなくなったことがあります。すぐ東に日本海溝があって、そこから先はずっと海だったはずだから。

そういうことも含めて、納得の日本史をとてもコンパクトに繰り広げている偉大な本です。ゆっくり読めば理解できるけど、基礎知識ゼロなので難しく感じるのと、図解やアニメーションで見られたらもっと私でもよくわかるだろうな、という感じはあります。と思ったら図解バージョンもちゃんと出てるんですね。需要と供給。

個人的に印象に残ったのは、九州に「鬼界が島」を生み出した7300年前の大噴火で、九州の縄文人はほぼ絶滅した・・・という話。私の母方の実家は大分の山奥、九州山地の一角なのですが、がっしりして肌の浅黒い祖父や眉が太く猪首ぎみだった母を初めとして、明らかに”縄文系”なのだけど、縄文時代が終わってから北から来たのかな。それとも南九州の噴火を逃れて生き残った縄文サバイバーななんだろうか。そういうことって遺伝子調査とかでわかったりするんだろうか。。。

本の最後の最後に出てくる、そういう全滅レベルの災害については対策が取られていないという文章も、なかなか衝撃でした。理由は「被害が壊滅的で防災対応ができないから」。まあそうだろう・・・けど・・・。ベスビオ火山を想像してぼんやりしています。

 

佐藤正午「月の満ち欠け」885冊目

<ネタバレあります。映画の詳細な筋の一部にも触れています。未読、未見の方はご注意ください>

映画を見たので、改めて読み直しています。どうも違う部分がたくさんあるなと思って。

映画のキャスト、大泉洋柴咲コウ有村架純、と聞くとわかりやすく作り替えたかも、となんとなく思ったし、長年愛読してる佐藤正午の作品のなかで、最もロマンチックに、真剣に「愛」と向き合った作品だと思っていたけど、思ったほど甘すぎずよくまとまった映画だなと思いました。それでも「鳩の撃退法」同様、原作の緻密で入り組んだ構造を2時間にまとめきれるわけもなく、(必要に迫られて)かなり作り替えられていたなと感じます。

だから映画のほうがだいぶわかりやすい。小説で瑠璃は2回ではなく3回転生して、二度目は違う名前だった。正木の妻の瑠璃、小山内の娘の瑠璃、社長の娘の希美、小山内瑠璃の親友、縁坂ゆいの娘のるり。つまり全部で4人いる。正木の妻の瑠璃の事故はジョン・レノンとは関係なかったし、彼女が好んで口ずさんでいたのは黛ジュンの「夕月」という歌で、ジョンともヨーコとも関係がない。正木は妻に先立たれたあと「社長の娘の希美」を助けようとして

「夕月」をググって聞いてみたら、めちゃくちゃ短調の、歌い上げる感じの演歌だった。意外。黛ジュンだし、軽快なポップス調の恋の歌か何かかと思ったのに、こんなベタな昭和歌謡だとは。

ジョン・レノンの「Woman」が流れないだけではなくて、彼が撃たれた日というマイルストーンは存在しない。・・・これは、時系列を認識するためには効果的な追加だったかも。私自身、あの日自分がどこで何をしていたか、妙によく覚えてたりするから。

そして正木は単なる一代の少し暴力的な夫だっただけで、あれほどつきまとってくる闇の存在でもなかった。

でも、佐藤正午の小説の中で唯一と思える大団円なのは映画と同じだ。彼の小説でよく見るふらっと失踪する女性と、無為に時間を過ごす男性は、織姫と彦星みたいに、いつか再会することを夢みて相手を探し回ってたのか、と思う。いままでの小説がこれで全部結末を迎えたような気持ち。

今、新作の長編に取り組んでいるらしい。来月から「Webきらら」で連載が始まるらしい。なにか一つ書ききったように感じられた手練れの小説家が、次に何を書くのか?すごく楽しみで待ちきれない気持ちです・・・。読み終えられないうちに事故で死んだりしたら、生まれ変わってでも結末まで読みます。絶対。

 

白尾悠「サード・キッチン」885冊目

どこかの書評で見て、読んでみました。

日本からアメリカの大学に留学した女の子が、異文化の中でもがき、悩み、もまれてダイバーシティの受容を学んでいく話。と理解しました。

よく構成されていると思う。主人公の女の子が学習していく過程に説得力もある・・・けど・・・何か感じるものがある。これは、この本が「教育的」「啓蒙的」ということかな。主人公が破ったひとつの「殻」をすべての日本人も破らなければいけない、という強い方向性が感じられて、道徳の副読本を読んでるような気持ちになる。

自分の中の偏見って常に試され続けてると思う。答にたどりついたと思った次の瞬間に、逆の意見に出会って戸惑う。・・・そういう戸惑いがあるのが人間で、「自分が絶対であると思う」というダイバーシティと真逆の意識に至ってしまうと戸惑わなくなるんだと思う。

迷い続けましょうよ。どうしても苦手な人っているよ。絶対間違ってることをしてる人もいやだけど、自分こそ正しいって思ってる人はもっと苦手だ。傷つけてしまった人の気持ちを考えてときどき泣く、でいいと思います。

 

トマス・J・スタンリー&ウィリアム・D・ダンコ「となりの億万長者」884冊目

経済関連でフォローしてる誰かが勧めてた本。意外に良い本でした。億万長者になるには、とにかく質素に暮らして蓄財し、リスクを恐れず投資すること。そのためにはお金の勉強も必要だし強い意志も必要。ケチで貧乏性な自分の背中を押されるようで嬉しくなった部分もあるけど、好きなことには散財してしまう自分を肯定してくれるところは、なかった(笑)。そこが、私が凡人たるゆえんで、、、

要は稼いだ以上に使わなければ、少しずつお金は残っていく。それを放置せず賢く増やす。お金に好かれるには、お金のことをよく知って仲良くすることなんですよね。

あんまり長生きしたくないけど、もし長生きしたら、と考えて、いくつになってもお金といい関係を作っていこう、と改めて思いました。

 

リサ・ガードナー「噤みの家」883冊目

映画ばかり見てると、本を一冊読み切るのってエネルギーとか知力が必要だなと感じる。この本も文庫本で500ページ超。

とても面白かったし、登場人物ひとりひとりに肩入れしたくなる深い造形も、不幸で不運だけど力強く歩いていく姿勢も、とても読み応えがあります。1章ごとに話者を交代させる書き方が生きてます。読者は転がされて、いくら深く読んだつもりでも、最後の最後に著者にしてやられるのも快い。

でも、これって一つの種類の娯楽、アトラクションなのかな。ミステリーを読むのって(それを原作とした映画を見るのも)ちょっと疲れてきた気がします。消費サイクルに乗ってしまっていて、そのことがしんどくなってきた。誰かが推薦するものを片っ端から読む、という読書はそろそろ引退しようかな。。。。

 

安壇美緒「ラブカは静かに弓を持つ」882冊目

JASRAC音楽教室の間のトラブルを元にした小説。だけど全然社会派ではなくて、音楽教室にスパイに行かされたその団体の内向的な職員が、音楽を取り戻し、自分の生きる道に気づくという人間ドラマとして書かれています。

その職員の長身でイケメンで無口で音楽の才能豊かなキャラクターに惹かれるし、音楽教室の反骨精神と人間味あふれる教師や、気のいい仲間たちのこともだんだん好きになる。人間小説として面白いけど、「団体」の描き方はちょっとショッカーみたいじゃない?

その団体がなければ、私が100回カラオケで歌っても、国内外の作詞家も作曲家も使用料を配分できないので(注)、必要悪というより必要な団体がどうあるべきか、今のあり方はよくないんじゃないか、というのが論点のはずなんだよな。単純な二元論って仮想敵の悪口を言うときは楽しいけどね。(注:人が手でお金を集めて計算して配らなければならない時代ではないので、すごいシステムとネットがあれば、今なら団体の手間とか職員数とかは10分の一くらいには減らせたりしないかしら。)

これドラマ化されそうだなぁ。主役は誰がいいかな、町田啓太とか・・・?

 

エマニュエル・ドンガラ「世界が生まれた朝に」881冊目

高野秀行「語学の天才まで一億光年」を読んだら、この本を卒業制作にして最優秀賞を取ったと書いてあったので読んでみました。リアルなのか空想っぽいのか、西欧批判なのか地元批判なのか、はたまたすべてを認めているのか、価値観がひとつでなく移ろっていく不思議な、たくましいのにふわふわした物語です。これがアフリカのマジックリアリズムか。

社会的な部分についていうと、主人公は老人になっても同じ部族で集まる習慣のある世代で、隣の町から来た女性と結婚したくても認められない。でも自分の息子世代の若者は、アフリカン・アメリカンの女性と軽やかに結婚して都会で暮らしている。時代を切り開いて、上の世代に反発して生きてきたのに、最後は老醜と見られるだけなのか・・・。という箇所は、いつの時代にも共通する時代の変化だ。

旅行が好きだったけど、コロナ以降の円安のなかでコンゴに旅することはもうないだろう。遠くの大陸の真ん中に、こんな風に生まれてこんな風に生きた人がいたんだ、(小説にしても)と想像するだけで、世界が広がるようなきがするなぁ・・・。