常盤文克「モノづくりのこころ」121

3部作をとうとう読み始めました。まずは1冊目を読破です。 この方の本は、 2年半も前に一冊読んだことがありました。そのときも妙に「気が合った」というか、すーっと入ってきて腑に落ちるところがあったんだけど、今回もするっと入ってきて私の中の床の間のようなところにぴたっと収まりました。自分と考え方が同じだからといって「これこそがビジネス論の極意」だなんて言わないが、誰にでも受け入れられそうなことは断言し、びみょーに反発もありそうなことは「・・・と考えると面白い」といった表現をしているところが、その成功の秘訣では。 断言の例:「大自然の法則から経営についても学ぶことがある」 面白いの例:二進法で四進法の計算が可能だと証明したライプニッツが、数学者である前にアニミズム的な哲学者だったことと、易経を結びつけること。世界は陰陽記号6個(2の6乗=64のバリエーション)であらわされる陰陽コンピュータだ、ってことかしらん。本ではそこまで言ってませんが、面白いので個人的には比喩としてacceptします。 その他印象に残った部分。 p146 漢方では病気でなく病人そのものに目を向けて、どうしてその部分に歪が生じたかを分析して、違う部分を治療することもある。というのを会社に当てはめる。「曖昧なものは曖昧なままで、無理に分析せず、そのまま感じ取り、受け止めることの大切さ」ととらえ、「集団の黙の知をとらえるときに欠かせない。 ところで、暗黙知の次元という本を前に読みましたが、おおざっぱに言うと常盤氏は知を明の知(文字などでビジュアル化、共有できるもの)、暗の知(個人個人が持っている、表現はできないけど知っていること)、黙の知(会社などの内部で共有するもの)と分けています。というのが基本にあります。 p158- 筑波大学高橋進名誉教授があげた、易に学ぶべき5つのポイントの中に、「個人には個性があり、自分自身になりきることで明日がひらける」、「真理は作為にはない。ものごとはあるべき自然のところにある。不自然は過ちと悪への道である。」といったものがあるそうです。最近ほんとにそう思うんだ。誰かが書いた「立派な行いはかくあるべし」という本を真似ても何の意味もない。そこから学べるのは筆者にとっての真理であって、それを自分にあてはめるのは自分の頭。 例えば、寝たきりの病人に「毎日1000歩歩け」という具体的な指針を示しても、病人は歩けない自分を嘆くことはない。その人にとっての1日1000歩とは何かを考えればいい、ってこと。私は最近やっと、自分はあまり体が丈夫じゃないことを認めるようになって、自分をいたわるようになってから、やっと無理しなくても早起きできるようになってきました。 等々。さっそく2冊目を読み始めます。