カズオ・イシグロ買って読んだの初めてかも。映画があれば先に見ちゃうし…。今までに本で読んだのは「遠い山なみの光」と「忘れられた巨人」だけ。映画で「わたしを離さないで」「日の名残り」「上海の伯爵夫人」。じつに丁寧に作られたすばらしい映画で、言葉にならない思いで胸がいっぱいになります。情緒って普遍的なんだなと、彼がノーベル文学賞をとった事実から思ってしまう。
この作品の主役、一人称で語る「クララ」はArtificial Friend、AFと呼ばれる精密なアンドロイドで、今回は彼女の情緒が中心になるわけです。クララが…いいんですよ。機械っぽく、複雑すぎる光景だと認識が混乱したり、心遣いをしつつもまっすぐすぎて相手が気を悪くしてしまったり。純粋すぎて、ジョジー(彼女を買い与えられた、身体が弱い女の子)の幸せだけをひたすら望み、自分が打ち捨てられることに対するうらみつらみという感情が一毛もないことも、アンドロイドだと思えば受け入れられるのかもしれません。
そういう設定において、登場人物たちが(クララやクララ以外のアンドロイドも含めて)どんな風に生きてなにをどう感じて、考えて生きていくか、ということを、もう徹底して把握して描く。小説を書く人は神の視点を持つというけど、この神は私たちの痛みを全部わかってくれてる、というような不思議な信頼感があります。
でも、読んでる私は人間なので切ないです。切ないけど…でも、誰かが自分の努力で幸せになってくれて、自分が役目を終えたというよろこびもあって、清々しい気持ちもある。なんとなく、一歩下がって後ろを行くようなこの思いやりが「日本的」あるいは「英国的」と感じたりもするけど、エッセンシャルワーカーと呼ばれる仕事をしている人たち、医療や介護や教育に真摯に携わる人たちはそんな気持ちになることがきっとあるんじゃないだろうか。プロでなくても、そうだ、これは親が子どもを見送る気持ちにも似てるんじゃないかな。世界中の普遍的な思いやりの気持ち。
それだけじゃない。人間たちが誰も持っていないのにアンドロイドのクララだけにある強い”信仰心”(お日さま信仰?)。彼女だけが”ご利益”を信じて奇跡を起こそうとする。この設定すごいね。人間が信仰を失ってしまったことにもしずかに触れてるんだろうか。深く考えさせられて、その後の一生、心に残り続けるのが文学のすごさだから、もう一つ名作が生まれたってことなんだろうな。
今回は待ちきれずに買いました。