中野信子・ヤマザキマリ「生贄探し」753冊目

ああ、いやな本だ(※書かれている事象がね)。

私はつねづね、今の日本に魔女狩りというものがあったら間違いなく焼かれている、なくてよかったと思ってるんだけど、おそらく、中野信子ヤマザキマリも焼かれるほうだと思う。目立たなく愛される、守られる女性を演じることが苦手そうだし、アウェイな場所にもどんどん出かけていきそうだし。この本は血祭にあげられた経験がある人としての視点と、そういう人たちが努力してできる限り鳥のように高い目でさまよえる地上の人々を見下ろした客観的、第三者的な視点をもって、いじめる人たちについて書いた本。でもさ、いじめる人たちが自覚をもってこんな本読むわけないよね。書いてる二人が一番よくそのことをわかっている。彼らは自分こそが被害者であると、多分、一生思い続けるのだ。(これを読んで「お前こそそうだろ」と思う人は、筆者自身に置き換えて読んでもらっても全然かまいません)

多分、今この時に血祭にあげられている人たちに、いじめる奴らの心理について解説して少しでも安心させようという本なんだろうけど、それもなあ。本のどこかにも書いてたけど、いじめは人間の本質的な行いなのでなくなることはないからな。

最近思うのは、何をやられても、相手のことを気の毒に思って仕返しをためらうと、確実につぶされるということだな。同情や共感は加害したい人を引き付ける。

攻撃せずに、でもターゲットにならずにすむ方法を考えてるところ。そのために「人を操る技術」を身に着けようったって難しいんだよ。正攻法しかできない。非暴力不服従。今日も私は立ち直る方法、生き延びる方法を悩み続けています。