三島由紀夫「午後の曳航」643冊目

Eテレでやってた「今夜はトコトン“三島由紀夫”」で、出演者が推した作品を何冊か読もうと思ってます。一時期、彼の”通俗小説”を何冊か読んだことがあったけど、これは初めて。主人公は13歳、まだ子どもに見える、変声期も迎えていない男の子だけど、三島由紀夫が憑依してるので歳の割に賢い。(13歳に設定している理由は刑事罰を受けない最高年齢だから)一方でまるで子どもな部分もあり、プライドが高い分始末に負えない少年です。今の中二的なアニメ作品とかと通じる部分があります。でも、自分たちは大人より賢くて強い、みたいな態度でチームを組んで悪だくみしてるあたり、はたから見たらむしろガキが何を粋がって、という幼さいっぱいで、なぜそんな自分たちを顔から火が出るほど恥ずかしがったりしないのかが、不思議です。

冒頭では、主人公の母が営む輸入品店の扱う一流ブランドがずらりと名指しされて、見てるこっちが気恥ずかしくなるくらい俗物っぽい。なんでそんな羅列をすることは恥ずかしくないんだろう。書いてるほうは、「ほーらお前らの好きな、手に入らないような高級品だよ、ざまみろ」くらいに読者を見下してるんだろうか?そんな著者のプライドもどうでもいい気がして、どっこいどっこいだなぁという気もします。なんなんだろう、この「どんぐりの背比べ」感。

最後まで読み終えてなお、作者は人目を気にしているということばかりが目に付く。どんな死に方をすれば一番カッコいいか。最初から最後までそれなんだ。舶来のブランドは途中で卒業しても、多感だった13歳の頃の自分心底憧れる死とは何か、という、他人だか自分だかの視線。「金閣寺」を読んだときは、(たとえば夏目漱石「こころ」を読んだときみたいに)主人公の内面の深い深い思索に打たれたけど、カッコよさに終始するんだったらあんまりカッコよく思えない気がする…。

私がきらいな”スクールカースト”ものの作品みたいに、人をクラス分けして、すごくない人は死ねみたいに考える世界。その絢爛としたEarthly delightや醜さを悦ぶのも面白いのかもしれないけど…。 

午後の曳航 (新潮文庫)

午後の曳航 (新潮文庫)

 

 

 

恩田陸「祝祭と予感」642冊目

蜜蜂と遠雷」を読んだのが3年前、映画を見たのが2年前なので、だいぶ時間が経っちゃいました。発売後すぐ図書館に予約を入れて、やっと昨日届いたというわけです。私のあとさらに136人がお待ちかねなので、一晩で読んでしまいました。今日さっそく返そうと思います。

蜜蜂と遠雷」読んでだいぶたつので、4人のコンテスタント、彼らの先生たち以外の登場人物をちゃんと思い出せない、、、。この本はあの素晴らしい音楽小説の続編ではなく後日譚と前日譚なのですが、まるで憧れる先生の作品の二次創作をするコミケ参加者が書いたような愛と遊び心の短編集です。それくらい本編のコンテスタントたちは魅力的でした。

でもやっぱり、読みたい!というときに読むべき本もあるよな…とちょっと反省。お金ないけど、古書店ですぐ買うとか、新刊買ってすぐ売る・寄付する・とかも考えてみよう。(なるべく買うべきなのはわかってますが)

祝祭と予感 (幻冬舎単行本)

祝祭と予感 (幻冬舎単行本)

 

 

ラビンドラナート・タゴール「ギタンジャリ」641冊目

 「あるヨギの自伝」に出てきた、宗教家・詩人でノーベル文学賞の受賞者、タゴールの作品。詩人で宗教家ってどういうことだろうと思ったら、この本はすべて彼の神への思いをつづった愛の詩集でした。

人間ってたいがい、救われたい、愛されたい、と強く思う一方で、自分自身に救われる価値があるということや、神の存在が信じきれなくて、まったく素の状態で泣きながら神を求めるってことができない、と思う。できない自分にどこまで祈りの気持ちが持てるか、そこまで純粋な気持ちになれるか、という葛藤の本のようにも感じます。

だから読んでて苦しいし、なんだか心配にもなります。でも、待ち焦がれる詩を読めば読むほど、「誰の中にも神様は最初からいるのに」っていう気持ちも起こってくる。

不思議なのは、男性であるタゴールが乙女とか花嫁に自分をなぞらえたり、創造主を母とみたりするところ。なんとなく感覚的には、時折そういう感じに書きたくなることのほうが自然な気がするのが、また不思議。

英語原文(タゴールはインド人だけど英訳も自分でしています)も掲載されてるんだけど、thouとかthyとか、普段使わないかしこまった言葉が多くて私には読めなかった…。

(1994年 9月20日発行 900円)

ギタンジャリ (レグルス文庫)

ギタンジャリ (レグルス文庫)

 

 

崔実「pray human」640冊目

前に「ジニのパズル」を読んでとてつもなく切ない気持ちになったなぁ。これは彼女の次の作品であり最新作。読んでてすごく辛くなるんじゃないかなと思いながら読み始めて、最初のほうはけっこうチクチクしてたんだけど、まず、すごく面白かったと言いたい。率直で鋭い感性で、表現力も高くて文章がうまい。この本がどの程度自伝的なのかわからないけど、たぶんこの人には、自分が体験していることの面白さや美しさを感じ取る力があるので、今後も自分の生活の中からいろんなものを拾い上げて見せてくれるんだろうなと思います。

あけすけな会話がいいですよね。アルゼンチンの映画でも見てるような。外国っぽいという意味じゃなくて、なかなかここまで思ったことそのまま口に出す日本の小説を読む機会は多くない、という意味。「わたし」も安城さんも由香も「君」も、表面に見せる緊張感から心のひだの内側まで、読むほうに伝わってきます。

決して暗い小説ではなかったけど、最後の最後、終わり方を迷ったんじゃないかな?ちょっと、いかにもな感じで明るくまとめすぎてないかな。私は、ぼんやりと終わってくれても良かったんだけどな。

この人ほんと才能あると思うので、できることなら(コロナが明けたら)旅とかしてまったく新しい人たちと出会ったりして、さらに新しい世界を体験して、見せてくれたらいいなー、などと思ってしまいました。

(2020年9月28日発行 1500円) 

pray human

pray human

  • 作者:崔 実
  • 発売日: 2020/09/30
  • メディア: 単行本
 

 

パラマハンサ・ヨガナンダ「あるヨギの自叙伝」639冊目

ある人からこれの原著(英語版)をいただいたんだけど、インド哲学の用語が難しくて、和訳を借りてきてしまいました。

この本はヨガナンダさんの生まれ育ち、ヨギとしての修行の記録なんだけど、生まれてからずっと、わりと頻繁に、奇跡に出会います。コレラで死にかけていた自分がよみがえったり、手からバラの香りがするようになったり、身体が浮かんでいる人がいたり。あらゆることを予言したり人の心を読めるのなんてまるで当たり前みたいです。

私、こういう奇跡ってある程度起こるもんなんじゃないかと思ってるんだけど、それにしてもこの頻度の高さは何でしょう。もともとこの時代のカルカッタ近郊では異次元への扉が開いてたんだろうか…特殊な高僧が一人でもそこにいると、連鎖的に奇跡が起こるんだろうか。彼を研究しようとする欧米の科学者が彼の生涯を描いたとしたら、不思議な超能力者の能力を科学的に解明しようとする本になったんじゃないかな。

この中に女性の異能力者が数人取り上げられています。テレーゼ・ノイマンは、毎週決まった日にイエス・キリストが磔になった際の手足の釘の跡が現れ、いばらの冠に傷つけられた頭と目から出血します。かつ彼女は、祭壇に備えられた小さな餅以外の何も口にしない「不食者」でした。彼女は「修行」らしい修行は何もせず、ある日この状態になり、人々のケガや病気を癒してあげる能力も持つようになったとのこと。もう一人、大食いをたしなめられたため「何も食べないようになりたい」と神に強く祈ってその能力を得たギリバラという女性もいます。彼女は他の人に対して何かすることはなく、食べずに50年以上生きていられた以外に何か行ったという訳ではないようです。苦行を何十年も続けて透視能力を身に着ける聖者たちと比べて、彼女たちはある日突然啓示のように能力を持つようになってるのが興味深いです。

比較対象になるかどうかわからないけど、語学についていうと、英語だけでも大変なのに他の言語まで学ぶなんて無理!と思ってシンガポールに行くと「4か国語くらいみんな話せるよ」と言われて、そこで初めて「やればできるかも」と思って勉強を始めたら3か国語くらいしゃべれるようになった…って話もあるしな。これだけ聖人(あるいは超能力者)がわんさかいるところで育つと、異能を達成できるのかな。自己催眠で促進されるようなものなら、多分人間誰にでも知られていない能力があるかもしれない?

今既に解明されてること以外に、まだ知られていない法則を探り続けるのが科学だと思うし、私たちが存在してたり世界が(たくさんトラブルがあるけど)回っていること自体がプラスのなにか大きなエネルギー(神の愛とよぶ人もいる)だと思うので、まだ知らない不思議だってあるのかも…。

(2014年8月20日第1版30刷発行 4200円) 

あるヨギの自叙伝

あるヨギの自叙伝

 

 

萩尾望都「ポーの一族 春の夢/ユニコーン/秘密の花園1」636~638冊目

2016年に執筆が再開し、現在も掲載中らしい。すでに出版されている単行本は再開後のシリーズ1が「春の夢」、2が「ユニコーン」そして3「秘密の花園」はまだ未完。いずれもエドガーとアランの物語です。ブランクを感じさせない、みずみずしい(やけにろうせいした)14歳たちの姿がそこにいます。

エドガーって甘さのかけらもないんだよな。これを演じられる10代の俳優っているかな。少年の頃のジャン=ピエール・レオ「大人は判ってくれない」アントワーヌ・ドワネル)とか、「SWEET SIXTEEN」に出てたマーティン・コムストンしか思いつかないけど二人とも黒髪茶色の目だし。青すぎる目というとキリアン・マーフィーを思い出すな、金髪の女装も美しかったらしいので、もう少し若ければできたかも‥‥

…なんてことを言い出すのはもうマニアみたいですねw

現在のシリーズでは、叶わなかった夢や愛について探求してるのかな。「flowers」買おうかな。連載を楽しみにまんが雑誌を買うなんて、半世紀ぶりか!?(そんなに生きてないか) 

ポーの一族 ユニコーン (1) (フラワーコミックススペシャル)
 

 

 

萩尾望都「ポーの一族1~3」633~635冊目

「100分de萩尾望都」を見て図書館に予約を入れたんだけど、数十人の列ができていたのですぐに借りられるTSUTAYAで借りました。1冊110円。

大長編ではなく、数回の連載と何度も繰り返してるんですね。エドガーとメリーベルとポーツネル夫妻の”家族”、アランとの出会いとメリーベルの別れ…という骨子が一番最初のシリーズですべて語られています。それ以降のエピソードはいずれも、前日譚や後日譚。「ポーの一族」を最初のシリーズ「ポーの一族」だけとみると比較的短い作品だということもできて、舞台化するときにはその後に書かれた他のエピソードをどれくらい加えるかという判断になるのでしょう。

トーマの心臓」も強烈な神と生死と愛の物語だったけど、これもまた愛と生の意味を問う深淵な物語です。後になるにつれ、エドガーの冷酷さが際立つエピソードが増えていきますが、こういう本格的な”悪”が深く描ける萩尾望都を育てたのが若い頃に読んだ「恐るべき子供たち」とかのおかげだとしたら、ジャン・コクトーに感謝しなければです。

これ、子どもが読んだら驚き、思春期なら啓示を受け、大人が読んだら何かを思い出し、老人が読んだら答を得たような気持ちになるんじゃないかな。 

続編も読まなければ。 

 (1998年8月発行、2013年6月第33刷 3冊で1833円)